eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

バベルの塔(ブリューゲル)は、神の怒りがなくても崩れる。

先日、上野の都美術館でブリューゲルの「バベルの塔」(ボイマンス美術館所蔵)を見てきた。
http://babel2017.jp/
藝大でCG化した映像、およびそれを使った拡大模写版バベルの塔も見ごたえがあってよかった。

ところで、このバベルの塔の絵を見ていて気付いたのだが、この塔は、画面右側に河口もしくは港らしきものがあり、かなり水際まで土台部分が迫っている。
また、よく見ると画面下部中央右側に、塔内に入り込む水路らしきものが見える。
こんな水際に巨大な塔を建てたら地盤が軟弱で、じきに不等沈下を起こしそうである。
下部が傾いたら、ピサの斜塔のように全体が傾き、いずれは崩壊しただろう。
※と思ったら、似たようなことを考えた方がおられたのでURLをはります。
https://www.s-thing.co.jp/column/cat333/post_38.html

また、大友克洋が塔の内部(断面図)を描いているが、塔の構造を内部に空間のある円筒形で想定していた。
http://www.asahi.com/articles/ASK4761G7K47UCVL02M.html

塔本来の目的は高さを追求することにあるのだろう。
高さ自体によって、遠方の見張りであるとか、権勢の誇示などができる。
例えば日本の五重塔の内部空間は、使い道があるのだろうか。あまりなさそうな気がする。

しかし、ブリューゲルのバベルの塔の場合、あれだけ巨大な建築物であれば内部空間の活用を考えるかもしれない。現に作品では教会らしきものも描き込まれている(大友克洋)。
もし内部空間を使いたいとなれば、奥の方は日が差さないので照明が必要になるが、電気がない時代なので人工的な照明には限界がある。
となると、内部を空洞にすることにより建物の下や中まで、日が届くようにしそうではある(なんとなくローマのパンテオンの天井の丸窓を連想している)。

ちなみに大友克洋の断面図では、塔の内部に水路が入り込んでいた。大水や嵐のときには水が入り込んで、塔の躯体自体が相当の損傷を受けるだろう。
ということは、神の怒りがなくてもいずれ塔は崩壊する、かのようにブリューゲルは描いたのではないかと思ったりした。


ところで、この作品を見ていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。
というのは、塔の中層辺りをみていると、どうにも立体感と現実感のある描写で、不思議な現実感がある。
その現実感は、額縁の向こう側にも、つまり絵の世界の中にも、こちら側とは違う別の世界が確かに存在しているという印象を持たせるものだ。
たとえて言えば、額縁を窓として、塔のある風景を見ているようなかんじだろうか。
絵であることを知りながらも、しかもあきらかに額縁の向こうにも世界の実在を感じさせるところが傑作のゆえんか。
会期もまだあるので、もう一度見たい気がする。

不思議な一日(後編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪会場は19日までか。もう一度行きたいが、明日は仕事があるし、週に2回も大阪に行くのは俺の財布には荷が重い。
18日には六田さんによるギャラリートークもある。是非行くべし。
https://www.facebook.com/events/164472997402794/


さて、話を戻して、当日の御所市・赤塚邸でのギャラリートークのあと、六田さんはこの日、東京に戻るというので、一緒に帰ることになった。
六田さんの車に乗せてもらったのだが、「今回は時間がなくて葛城山や金剛山に行けなかったので、機会があれば次は是非行きたいものだ」などと言ったら、六田さんが「時間があるので寄っていこう」と言ってくれて、急遽、葛城山に向かうことになった。
車で葛城山方面に走っていくと、山頂に縦の虹が出ているのに六田さんが気付いた。
R0018229.jpg ※中央右側です。
思えば、赤塚邸の「高天」と題された写真にも、虹が写っていたが、なにか不思議な符号を感じた。これから向かうのは、その高天である。
車はどんどん山道に分け入るように走って、高天彦神社に着いた。高天の写真は、この神社の参道の並木を撮ったものだという。
神社の前に出ると、手水鉢があり、蛇口から水が滔々と流れ出ていた。手を清め、口を漱ぎ、ちょっと飲んだが冷たく、うまい。これは山の清水だろうか。
さっそくお参りをしたのだが、なにか気圧されるような雰囲気があり、冷気というか霊気というか、身震いするような空気を感じた。
わりとこういったことには鈍いほうなので、どこへ行っても何も感じなことが多いのだが、どうもここは違うらしい。
有難くもあり、畏れ多くもあり、すぐに社の前から立ち去ってしまったが、あの水の旨さからすると、人に対して親和的なのではないかという気もする。
六田さんに、感じたことを言うと、ここはそもそもそういう場所なのだという話であった。
そのあとに、高鴨神社へ向かった。ここは高天彦神社と違い、なんだか親しみやすい空気を感じた。京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)のルーツだという。
ここもさっそくお参りする。見ていると、六田さんは深々と頭を下げていた。
ここは、親密感のある神社ですね、などと言っていたら、この神社でも絶対にカメラを向けないところがあるそうで、でも、それがどこ(何)かは聞かなかった。怖いからね。
大阪会場、御所会場に写真があった、高鴨神社の池のほとりを歩くと、写真と同じ枝ぶりの木があった。
末社というのか摂社というのか分からないが、小さな社が池のほとりに並んでいて、どれも小さいながらも立派な茅葺屋根で、こういうのは初めて見た。
亡き父たち(義理と実父)はどちらも酒が好きだったので、お神酒を買ってみた。

帰り道、葛城山のふもとから奈良盆地を見ると、低い山々(大和三山)が、ぽこぽこと町に食い込むようにあり、これも不思議な風景であった。
そこから、六田さんのご実家のある方面へ向かったのだが、進行方向に赤く大きな月がのぼっていて、それがずっと視界から外れなかった。なんなのだろうか。こういう経験はあまりない。
R0018233.jpg
※28ミリの広角レンズなのであまり大きな感じはしないが。


六田さんの御所市の写真を見ていると、どうも地霊?のご加護があるように感じられ、それは高天の神、つまり日本神話の神なのかもしれず、はたまたその土地に根差した山としての神(葛城山、金剛山は修験道の始まりの地でもある。御所市は役小角の生地)なのかもしれず、よそから来たものにはっさっぱりわからないのであるが、なにか只ならぬもの、ただし人間とは峻厳たる断絶があるわけではない、そのようなものがあることだけは感じられる。
水木しげるが出雲の神々に守られていたという話に似ていると思ったりもしている。

もっとも不思議というかラッキーであったのは、帰りの新幹線で、六田さんの生い立ちやら、写真を撮りはじめたきっかけやらを聞けたことだろうか。
日帰りではあるが、濃密な体験だった。

不思議な一日(中編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

(前編より続く)

近鉄に乗って御所市へ向かう。
昼過ぎに着いて、碁盤目状の古い街並みを会場である赤塚邸目指して歩いてみた。しかし、行くに径(こみち)に由るhttp://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-890.html 俺としては、まっすぐ向かわずにふらふらとわき道にそれたのであった。
すると、前方から手を振っている人が近づいてきて、よく見ると六田さんであった。いずれ会場ではお会いできるかとは思っていたが、路上で会うとは思いもよらなかった。ちょっと不思議なかんじがしてきた。
六田さんは食事に行くところだというので、そちらには付き合わずに、まずは会場の赤塚邸へ向かった。
15時30分からギャラリートークをするというので、町歩きもするつもりだが、その時間には会場にいますと答えた。
赤塚邸は、ずいぶんと風格のある建物で、見るからに歴史を感じる。

靴を脱いで、まず最初の座敷に入ると、正面に衝立があって、これは大阪会場にもあった高鴨神社の池の写真である。見ると右手のふすまには、大阪会場の最初にあったような木立のカラー写真(後で聞いたら大阪会場にもあった高天の写真で、よく見ると木立の上に虹が出ている)。左のふすまはもともとのふすま絵かと思ったら、モノクロの靄のなかの木立の写真であった。
※反対側のふすまにも写真がある。
この部屋には座卓があって、まずはそこに座って、しばし呆然と衝立とふすまを眺めた。どうもここは、こういうふうにちょっと座って膝を崩して見るのが良いようだ。
天井には明かりとりの窓があって、それもなんだか好ましく思える。
R0018167.jpg

R0018170.jpg

呆然としていてもきりがないので、次の間に移る。

次の間には床の間があって、小さな中庭に面している。
くだくだ書いても、けっきょくは実物を見るに如かずと思うので、思いつくものだけを書いていくことにする。
床の間には、大阪会場にあった櫛羅の滝の一番下の写真で、蝶が写りこんでいるものが掛け軸にされていた。よく見ると、軸の装飾(写真の枠の部分)にも蝶らしきものがあしらってあったが、これは一種の洒落であろうか。
庭が見える窓にトンボの写真があった。
あとで六田さんのギャラリートークを聞くと、思い入れのある写真であることが分かった。さらに自分なりに調べると、御所市の土地柄に根差していることが分かってきた。
写真のトンボはちょうど交尾を終え、産卵の直前だということで、独特の尾を丸めた姿勢で飛んでいる。
トンボは別名「秋津」ともいう。その理由は、wikipedeiaによれば、
『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている
とある。
2017031202.jpg

ちなみに御所市には神武天皇社があり、国見をしたのは、御所のあたりだったのかもしれない。トンボと御所というのは昔からの組み合わせなのだろうか。
※一般には橿原神宮が神武天皇の墓所といわれているが、別の話もある。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0f15ecfc3677f0a0d3dd26c73f89b4b1

この部屋では、反対側の椿の写真を見ながら、横になりたかったな。
2017031203.jpg



隣の部屋に進むと、その奥に仏壇があるのが分かり、ちょっとしんとした心になる。
が、障壁画である白象(象を見たことがない人が描いた象の絵)と虎(猫的)の絵を見て、その気持ちも薄らぐ。この部屋は写真と、もともとの表具類が混然一体となって、なんとも面白い状態になっていた。
左の廊下に進むとそこにも写真があるが、左の部屋に入ると炬燵があって、つい入ってしまう。こたつに入ってぼんやりと雪景色の写真を眺める。
さらに隣の部屋に入ると、山腹と靄の巨大な写真がある。なんだか禅寺の障壁画のようである。この写真の右手には、大阪会場にあった蝶と蜘蛛の巣にかかった葉っぱの写真があった。六田さんの説明では、撮影していたらたまたま揚羽蝶が飛んできて、たまたま正面を向いた時の様子が撮影できたということだった。
つまり蝶は蜘蛛の巣にかかっていなかったわけで、なんだかほっとした。

さて、一通り見たが、ギャラリートークまでまだ時間があるので、少し足をのばして、役小角誕生の地とされる吉祥草寺に向かった。
吉祥草寺は六田さんが子供のころに遊んでいた場所という。
小一時間、散歩がてらに行き来して、六田さんのギャラリートークを聞いた。その内容は、これまでの文章に組み込んでいる。
2017031210.jpg


ちなみに、吉祥草寺では不思議なことはありませんでした。役小角が産湯をつかった井戸があったな。

不思議な一日(前編) 六田知弘写真展「宇宙のかけら」@御所市

大阪と御所市で六田知弘さんの故郷、御所市をテーマにした写真展があるので、先の日曜日に思い切って行ってみた。
http://gose-muda.jp/
けっこう交通費もかかるので、数週間迷っていたのだが、図録(があったとしても)で見ても、展示会場で見る写真にはかなわないし、御所市というのは特徴のある町だという話も聞いていたので、日帰りで行ってみることにした。

早朝、といっても7時の新幹線にこけつまろびつ飛び乗って、着いて来るは新大阪。中心地なる中之島に地下鉄で乗り付け、即ち大阪会場に這入った。
http://gose-muda.jp/osaka/
会場は地下鉄の駅の一部で、コンクリート打ちっぱなしのモダンな空間であった。

いくつか印象に残ったものを。
・杉?木立のうえに不思議な雲というかフレアがかかっている。撮影地は「高天」とある(その意味はあとで分かった)。
・蜘蛛の巣にかかった葉っぱと、蝶(パンフレットに使われている)。この蝶は蜘蛛の巣に捕らえられたか、それとも自由に舞っているのか、そこのところで解釈が大きく違うように思った(これはたまたま飛んできた揚羽蝶で、蜘蛛の巣にひっかかっていたわけではないとのこと)。
・金剛山と葛城山のパノラマ(5枚)。これは会場で見なくては意味がない。鳥が何羽か映りこんでいる。中央の峠らしきところの上に夕日が浮かんでいる。ある意味、宇宙的でもある。
・櫛羅(くじら)の滝。滝の全景を3枚の写真で構成している。一番下の写真は滝壺らしいものが写っていて、ここにも蝶が写りこんでいる。
・夜の葛城山頂。ススキの原のうえに、ぼんやりと浮かぶ雲。なんということもないが気になるところがある。
・風、水、空、地、火の縦位置5枚の組写真。大きいのでこれも会場で見ないと意味ない。
・高鴨神社の池。瑞々しい緑と水面。これもパンフレットに使われている(御所会場にもある―後述)。
・伏見 菩提寺の法起菩薩像。五眼の菩薩で、役の行者(役小角)に関係がある。ファインダーを通して、五つ目に対峙するのは俺はできないだろうな。
・櫛羅の滝。これも瑞々しさがあっていいかんじである。
詳述するときりがないので、あとは省略するが、御所の街並みを組み合わせた写真は、なんだかかわいいかんじであった。

全体の印象は、モダンな空間に、非常に風土性の強い写真群が展示されていて、とくに自然を写したものは、六田さんの他の写真(水ノ貌等)とくらべて、人との親和性が高いように思えた。やはり故郷だからだろうか。
虫や鳥が、いくつか写真に写りこんでいるが、あれは六田氏自身ではあるまいか、とも思った。

とりあえず交通費分の元はとれたという感もあり、御所市の資料をもらって、まずは退出。

向かいの大阪市立東洋陶磁美術館で「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」展も見る。この「人類史上最高のやきもの」といわれる北宋の汝窯を代表する青磁水仙盆の写真を六田さんが撮影しているので、これも見逃せない。ただし、ここの話を書くと収まらなくなるのでふれないが、この独特の青は「雨後天青」というらしく、雨の後の、雲の切れ間からこぼれるような青を目指したという。
ちなみに六田さんは、物撮りをするとき必ず触って、触感を確かめてから撮影するそうだが、まさかこの青磁水仙盆にも触ったのであろうか。
http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=366

昼前に一通り見たので、大阪から御所市に向かうことにした。
※まだ不思議な話にはなりません。

猫坐禅

家でぼんやりしていると、膝のうえに猫がのってきた。
ちょうど膝を崩しかけたところで、なんだか半跏思惟像のようなポーズであった。
膝のうえに猫がのると、そのまま寝てしまうので(猫が)、人が動くことは許されない。
なので、なんとなくそのまま坐禅のように呼吸を整え、半眼にし、想念を追い払ってみた。
2017030501.jpg


すると、なんということでしょう。
いつもはなかなか無念無想になれないのに、すぐに人猫一如の法悦境があらわれたではありませんか。
猫はもともと下らぬ思惑で生きてはいないので、その力を借りたのかもしれぬ。
禅や瞑想などを日常に取り入れられている方は、たまには膝に猫をのせてみたらいかがでしょうか。

でも、法悦が訪れたかと思ったら、猫はあきたらしく、膝のうえから去っていったのだった。
悟りを得たと思ったら、すぐに手元から零れ落ちてしまう。
諸行無常とはこのことか。

タルコフスキー「サクリファイス」を見たら、「アンドレイ・ルブリョフ」が見たくなった。

2011年の震災後、はじめて「サクリファイス」を見てみた。
この映画は世界の終末の話で、ミサイルが飛び交う描写があり、核戦争が起こったらしいことが分かる。
主人公は、世界の破滅を避けるべく何とか奇跡を起こそうとし、「魔女」とうわさされる女により、時間を巻き戻そうとする。どうやらそれは成功したらしく、しかしその代りに主人公は捧げものをしなければならない。
そういえば、主人公はアンゲロプロスの映画にも出てたな。

2011年の震災は、核戦争ではなかったが原発事故が起こり、俺にとってはサクリファイスの内容と非常に重なる部分がある。
それもあって、今回のタルコフスキー特集では、この映画を見るのがためらわれた。
しかし、上映時間に合わせたようにたまたま時間が空き、それにもなにか意味があるのではないかとも思え、見ることにした。

見た感想であるが、映画自体にケチをつけるつもりはない。しかし、この主人公には魔女/マリア(聖母でもあるか?)がいたので、世界は救われた。では魔女がいない俺(もしくは我々)はどうすればいいのだろうか。
魔女を探すべきであろうか(というか宗教的救済のことを言っているわけだが)。
それとも奇跡は起きないと思い定めるべきか。
しかし先日の福島原発二号炉の探索ロボットのニュースを見ても、およそ奇跡でもなければ廃炉は難しいだろう。
人間はそもそも活動できない放射線量であるが、ロボットさえ満足に使えないのであれば、何をもって廃炉を進めるのか。

そんなことを考えていたら、先日見た「アンドレイ・ルブリョフ」を思い出した。
あの映画の最後で、鐘作り職人の息子が巨大な鐘を鋳造するのだが、じつは父親から鐘作りの秘訣は教わっていなかった。
しかし見事にやり遂げて、泥の中に倒れ伏し「親父は肝心なことは何も教えてくれなった」と泣くその息子に、アンドレイは「お前は見事にやり遂げたのだ。お前は鐘を作れ、俺は絵筆をとる」と語りかける。
この鐘作りのことが、どうも頭から離れない。
今回の原発事故の収束と廃炉は、誰もやり方を知らない。チェルノブイリに比すべき事故であるが、あそこはとりあえず巨大なカバーを掛けた状態になっているだけである


実際のところ、誰も何も分からないのであるが、それでも廃炉を成功させなければ未来はないだろう。
そこで、ほぼ徒手空拳で鐘を作った息子の姿(とそれを助ける民衆)が、これからの廃炉作業にダブってくる。
もうタルコフスキー映画特集は終わってしまうので、「アンドレイ・ルブリョフ」を今回再度見るのは難しいのだが、なんとか近いうちにまた見たいものだ。

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一度じゃ分からん、タルコフスキー(一度でたくさん、タルコフスキー)

新宿で二度目の「アンドレイ・ルブリョフ」を見た。
とにかく強烈な印象の映画で、とくに教会の巨大な鐘を作るシーンが記憶に残っていたが、二度目に見ると、なかなかそのシーンが出てこない。
というか自分がストーリーの混同をしているのかと思って見ていたが、最後にやっぱり鐘を鋳造する場面が出てきて、記憶が誤っていなかったことが分かった。
そんなことはどうでもいいのだが、この映画では、泥にまみれた農奴の生活や、タタール人がロシア人と組んで村を襲うシーン、また教会がタタール人に打ち壊され、殺戮が繰り広げられる場面など、白黒の画面があたかもドキュメンタリー映画のような迫真性をもって迫ってくる。
最初に見たときは、その迫力にのまれて圧倒されるだけだったが、二度目になると圧倒されながらも、ある程度落ち着いて見ることができた。
構成としては、年代ごとの出来事を並べていくために断片的なエピソードが羅列されているかんじで、最後までなかなか全体像が見えてこないところがあるのだが、今回はアンドレイ・ルビュリョフが沈黙の行をとき、再び絵筆をとるのがよく納得できた。
ところが、Wikipediaでこの映画について読んでみたら、さらに驚くべきことがあった。

映画中に狂女が出てきて、主人公の人生にかかわってくるのだが、最初はまったくの精神薄弱的人格であるのが、途中でタタール人の妻になり、最後の場面では貴婦人のなりで騎乗している。
このへんのいきさつがよく分からなかったが、wikiで「佯狂の女」と記されている。詳細は以下の通り。
そもそも、本作の脚本では、女をюро́дивая(ユロージヴァヤ)と表現していた。この語について、落合東朗は次のように解説した。「東方キリスト教では、修行のために完全に孤独な生活を実現することをひとつの理想とした。そのために狂人をよそおって孤独を得るものがあらわれた。それを男性名詞ではユロージヴィ、女性名詞ではユロージヴァヤといい、佯狂とか聖愚者と訳されている。」
つまり、女は宗教的発心により狂者のふりをしていたのであって、まともであった。だからこそ最後の場面では貴婦人になってもおかしくはなかったわけである。
しかし、そういった文化的背景が分からないと、なんだかよく分からない女としか見えなかった。
どうも二度見たくらいでは分からないようだ。

ところで、佯狂といえば論語の狂接輿を思い出すので、引用だけしておく。
論語 微子第十八 5
楚狂接輿。歌而過孔子曰。鳳兮鳳兮。何徳之衰。往者不可諫。來者猶可追。已而已而。今之從政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之。不得與之言。
楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぐ、曰わく、鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者は猶お追うべし。已みなん已みなん。今の政に従う者は殆うし。孔子下りてこれと言わんと欲す。趨りてこれを辟く。これを言うことを得ず。
https://kanbun.info/keibu/rongo1805.html
http://blog.mage8.com/rongo-18-05

そのあとで、「鏡」も見た。
これはタルコフスキーの自伝的映画といわれていて、たしかに子供時代のことなどが映像化されていたが、これはさらに断片的で、映像詩とはいえるが、一度見ればもう充分という印象を持った。
しかし、タルコフスキーに関心のない人にとって、タルコフスキーのほとんどの映画が、「断片的」で「やたらと水のシーンがある」「訳が分からない」映画で、一度見ればもうたくさんというように受けとめられているのではなかろうか。

子供にゃわからんタルコフスキー、もしくは人生はメロドラマ

新宿でタルコフスキー特集を上映している。
http://www.ks-cinema.com/movie/tarkovsky/

さっそく土曜日に行って、「ノスタルジア」と「惑星ソラリス」を見てきた。
「ノスタルジア」は何度目だろうか。
今回気付いたのは、天井の落ちた廃墟の教会をよく見ていると、非常にシンプルな装飾(というよりは装飾性を排除している)ところが、六田知弘さんの写真にあった、シトー会の教会(ル・トロネ修道院等)に似ているように見えた。
http://muda-photo.com/gallery/citeaux/

調べてみると、イタリア中部のシエナのそばにある「サン・ガルガーノ修道院」というそうで、やはり清貧を旨とし、虚飾を排すシトー会の建物であった。
http://www.tabitoscana.com/s.galgano.html

それは良いとして、「ソラリス」は数十年前に見たっきりで、なんとなくモノクロっぽいような、首都高速の映像が目に残るような映画だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9
しかし大人になってから見てみると、SFの枠組みを使いながら中身はまったくのメロドラマで、そこが格別に良かった。
ソラリスという不思議な惑星の作用で、亡くなった妻(らしきもの)がよみがえり、主人公は激しく感情移入してしまう。宇宙飛行士であり科学者である主人公は、それが妻であるわけはないことは理解しているのだが、感情は抑えられない。
そのあたりが、失われたものへの悔恨とか執着とか愛惜とかが入り乱れて、やっぱり子供のころはそのへんが分からなかったなー、とつくづく思った。
それと記憶ではかなりモノクロ映像が多かったように覚えていたが、改めて見ると、タルコフスキー得意の水の映像や、鮮やかな緑に目をとられた。
また、未来都市のイメージとして使われた東京の首都高速の映像であるが、いま見ると昔の町の様子が見られて、なんだか懐かしいばかりだった。
ちなみに、ノスタルジアの場合は、回想シーン等現実ではない場面はモノクロになるようであるが、ソラリスの場合は、回想と現実と幻覚が入り乱れるような趣であるが、モノクロになる場面は、回想ではなくて夜または暗くなったという意味のようである。
ちなみに疑似夜景の技法については、「アメリカの夜」というトリフォーの映画の開設に詳しい。
※タイトルの『アメリカの夜』(フランス語の原題「La Nuit américaine」の和訳)とは、カメラのレンズに暖色系の光を遮断するフィルターをかけて、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のこと。モノクロ時代に開発されハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、こう呼ばれた。英語では "day for night" と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっている。映画のカラー化により使えるシーンが減少し、機材やフィルムの感度が上がって夜間撮影が難しいものではなくなった現在では、この撮影方法はほとんど使われないことになっているが、丁寧に見ていればときどき見られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%A4%9C#.E6.A6.82.E8.AA.AC

そういえば、アンゲロプロスも壮大ではあるが、けっきょくはメロドラマだった。だからこそ良かったのではないかと思う。

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ラスコー洞窟は狭かった(展示的に)。

先日、上野の科学博物館で開催中の「ラスコー洞窟展」へ行ってきた。
http://lascaux2016.jp/

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途中で、上野公園内の正岡子規記念球場を通りがかり
 春風や まりを投げたき 草の原
という句を見て、また名前である「昇」から「野球(のぼーる)」という雅号をつけていたこともあって、「正岡野球(まさおか のぼーる)」をひねって「さまおか のぼーる→Summerおか のぼる→夏岡野球(なつおか のぼる)」という自分用の雅号を思いついたが、野球に関心がないことを思い出して不採用とした。使いたい方がおられればご自由にどうぞ。


寄り道はこのくらいにして、久しぶりに科学博物館に入った。
当時の生活を説明するいろいろな発掘物やレプリカがあったわけだが、さて肝心の復元されたラスコー洞窟はどうかというと、案外コンパクトにまとめられていたのだった。
傑作と呼ばれる壁画が実物の洞窟を模した壁面に、原寸大で書かれているのだが、それが8面くらいあったろうか。たしかに見ごたえがあるが、若干もの足りなさもあった。
たしかにそれぞれの壁画には圧倒されるが、圧倒的なほどの量はなかった。
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さて、解説のなかに、しばらくぶりに再刊された「身振りと言葉」の著者、ルロア・グーランの言葉があった。
簡単にいうと、動物たちの描かれかたにある種のパターンが出てきていて、それはすでに一種の記号であり、そこから文字まではあまり距離がないということか。
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売店方面に出たら、休憩所にこの掲示があった。休憩所では互いに迷惑をかけないようにしましょう、というような内容であったが、どうもこの恐竜がお辞儀しているように見える。
たしかにこの種の掲示物では、ヘルメットをかぶった人がお辞儀をしたりしているが、それと同じ意趣なのだろうか。
ちょっと不思議なかんじではあった。
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