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eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2020-04

「AI美空ひばり」とはなにか。

NHKとヤマハがAIにより故美空ひばりを「AI美空ひばり」として映像化した。当然だが、実体はない(というか色即是空というか空即是色というか)。
これを冒涜という人もいるし、ファンが涙したのだから良いのではないか、という人もいる。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14403750.html

NHKで特集した創作過程も見たし、紅白歌合戦でも見た。
技術的な本質は、初音ミク的VOCAOID技術に、故人のニュアンスをどう反映させていくか、という挑戦に見えた。
https://www.yamaha.com/ja/about/ai/vocaloid_ai/


ところで、VOCAOID・ボーカロイドとは何であろうか。
wikipedeiaに「メロディーと歌詞を入力することでサンプリングされた人の声を元にした歌声を合成することができる」とある。
つまり人の声を扱えるシンセサイザーであり、最近できた「楽器」である。
このへんがAIひばりに対する意見が分かれるポイントではないだろうか。
つまり、美空ひばりの偉大さを思う人は、その存在が、AIひばりという単なる楽器化されて「演奏される→道具化される」のが許せないのだろう。
カント先生は、人格は道具化してはいけないと言っていたような(すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない)。
https://benesse.jp/teikitest/kou/social/ethics/k00499.html

楽器、道具(どちらも英語ではinstrument)とは、使う主体が別にいて、その主体の使い方次第でどうにでもなる。
ということは、AIひばりは歌う主体ではなく(主体は秋元康とかNHKとか)、上手に演奏された楽器・道具に過ぎない。
さらにいえばAIは、ニュアンスを上手につける道具というくらいの位置づけに思える。
偉大なる歌手美空ひばりを単なる楽器化=道具化していいのか、というのが問題の本質ではないかと思う。

俺自身はといえば、素朴・単純な楽器ほど面白く、奥深いと感じている。
同じギター(例えばギブソンJ-45とか)でも、俺が弾くのと、ジミ・ヘンドリックスが弾くのでは、出てくる音楽は天地ほどの差があるだろう(というか生と死くらい違うか)。

AIひばりに代表されるような、こういう高度すぎる道具(おもちゃともいえる)は、高度すぎるがゆえに案外早く厭きるし、つまらないのではないかという気がしている。
もちろん、ある種の技術として定着はするだろうが。
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2020年3月11日記事

昨夜は、久しぶりに半徹夜となる。昼間会議が続いたため。
明け方に帰宅し、仮眠。昼過ぎに家を出て、浅草に向かう。
なぜか浅草寺に行きたい気持ちになった。

いつものように神谷バーに入る。やはりコロナウイルスのせいか、店内はだいぶ空いてる。
例によってビール付きランチに電気ブランを付けたが、食後にコーヒーも飲んだ。
客が少ないので、たいした足しにもならんだろうが、いつもより一品多く頼んでみた。
店内には子連れの母、祖母らしき一組。幼児も親のまねをしてジュースで乾杯。
それを見て微笑むウェイトレス、ウェイター。やはりここは居心地がいい。

酔いがさめたころ浅草寺に向かう。参道は、いつもほどではないが、人出はあり。
30年前、初めて浅草に来た時には、この程度の混み具合だったような記憶がある。
まずはお参りする。
午後2時46分、浅草寺では、特別なことはとくになく、一人黙祷する。
2時48分ごろに、にわか雨。一種の天人感応としての涙雨か。

浅草から上野まで歩く。
上野駅の中央改札口を漠然と眺める。近々常磐線が双葉郡も開通し、仙台まで全線開通するのだが、それでいいのかというふうに考えている。
実家の相馬市に行くには、常磐線で乗り換えなしで行くのがいちばん楽なのだが、原発事故は何も解決していないのに、そのすぐそばを電車で行くのは、いい気がしない。

上野から秋葉原まで近いことに思いいたり、さらに歩く。
千石電商にて、テレキャスターフロントピックアップ固定のネジとバネのセットを購入。
そのまま歩いて帰宅した。10キロ程度か?


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Andy Gillが亡くなった。

あまり音楽関係のニュースを見たりすることがなかったので、今の今まで知らなかったが、Gang of Fourのギタリスト、Andy Gillが2月1日に亡くなっていた。
昔、Gang of Fourの1stが国内版が出たときに、さっそく買って聞きまくっていたことを思い出す。
なんでも、あれだけの名盤にもかかわらず、3000枚しか売れなかったとか。

現代の音楽史に残る一人だった。
残念です。

Gang of Four - "Damaged Goods" (Live on Rockpalast, 1983)

ミヤマ商会、さようなら

新宿に散歩に出たら、2月20日付で、ミヤマ商会新宿店が閉店していた。
よく読むと大宮店も閉店で、商売自体たたんだらしい。寂しいかぎりです。
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ちなみに池袋店は2011年に閉店していた。
lhttp://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-596.html


また落とし物をしてしまった話(@新宿、Walkman A16)

午後から新宿に出かけて、ふと上着のポケットに入れていたはずのウォークマンに手をのばしたら、見つからなかった。
またやったかと思って、他のポケットをまさぐったがやはりなかった。
家から新宿まで歩いて出掛けて、しかも、あちこちふらついたから、どこで落としたか見当もつかない。
明日、それらしいお店など電話で聞いてみようと思うが、けっこう電話を掛ける所が多くなりそうで、ちょっと鬱である。
落としたのは、ここ4,5年使っていたかなり型遅れのWalkman A16というやつで、黒の外装は使い古したカメラのように角は剥げ、ディスプレイのガラスは傷だらけなので、金銭的な価値はほとんどないであろう(そもそもアウトレット品だった)が、愛着も、音楽データもあり、些かショックである。

ショックの理由というのは二つあって、一つは、ここ数年、冬場にちょっとしたものを落としている。
買ったばかりの手袋とか(すぐ買いなおしたが)。
で、買いなおしたその手袋をまた落としたり(これは近所の家の塀に引っ掛けてあったので、手元に戻った)。
冬場は、コートとかマフラーとか、いろいろ見に着けるものが多くて、取り紛れてしまうのかもしれない。ポケットの数が多くなると混乱する。
以前はそういうことはなかったのだが、これも老化現象か。

このへんはしょうがないとは思うが、二つ目は、どうも落とし物をしそうなときには、うっすらと予感があって、でもやっぱり落としてしまうのだ。
先日は、ノートにはさんだ赤ペンが、いかにも落ちそうだと思いながら、やっぱり落とし、しかしすぐに気づいて拾ったが、またしても落としてしまった。
再度拾った時に、ノートにはさまずにきちんとしまえば良かったのだが、なぜか、大丈夫だろうと思って、そうしなかった。
今日のWalkmanも、上着のポケットの入れたときに、なにかみょうな予感があったという記憶はあって、でもそのまま出かけて、案の定なくしてしまった。
日中暑くなって、上着を脱いだときに、ちょっと気を付けようと思ったりもしたのだが、このときもなぜか大丈夫だろうと思ってしまったわけだ。
128GのマイクロSDカードには、ライトニン・ホプキンスやカンやビートルズやジミ・ヘンドリックスのbootlegやケイト・ブッシュやら、音楽好きならそれなりに楽しめそうな音楽データが入っているので、落とした人が楽しんでくれたらそれでも良いとは思うが、見かけがボロボロなので、そのまま捨てられてしまいそうに思う。

同時に、こんなことも考えた。
ハードウエア的には、まだ使用できるが金銭的にはほとんど無価値、おそらく普通の人は買い替えるだろうという品物であったので、あきらめもつかぬではない。
中身についてはどうか。けっきょく音楽データはすべて元のデータが別にあるので、それほど困らない(が、どんな曲を入れていたかは、うっすらとした記憶しかないので、元の中身を復元するのは難しい)。
これはデジタルデータの強みで、オリジナルというものがないので、というか、既にデータ化された時点で、コピーもオリジナルも区別はないので、データがどこかにあれば復旧はできる。
例えば、これが誰かから借りたアナログのLPだったりしたら、取り返しがつかない気がする(LP自体に思い入れがあったら、代わりのLPを買ってきても済まないだろう)。
LPというのは市販品であるが、万一、手作りの品や一点物だったりしたら、目も当てられない。

ということは、音楽データに限らす、デジタルデータ化可能なものは、手元のSSDやらメモリーやらにデータをいれておくよりは、ネットワーク上にデータがあれば、ハードウエア自体は交換可能なので、今日のように落とし物をしてもまだ傷は浅い(だろう)。
また、ネット上にデータをおけば、ほぼ永遠?に保全されるのかもしれない。
というのは、ネット上の(サーバ)のデータは、サーバーのバックアップがあるはずなので、手元に置いておくよりはより壊れにくく、失われにくいだろう。
この特性がある故に、リベンジポルノなどは問題が厄介になるという面もある。

別の言い方をすれば、アナログなものがオリジナルとしてある場合、デジタルデータ化という一種の破壊と再構築のプロセスを経れば、デジタルであることの利便性を享受できるが、しかしそれはおそらくすでにオリジナルとは別物であろう。
ただし、実用の際には、データ化の前と同じく、たいていは前以上に扱いやすくなるので、むしろ問題はないが、それを良しとするかどうかは、人によって違う(それとも世代か?)。

そうなるとgoogleドライブ等にデータを載せておくことを思い浮かべるが、どうも個人の情報を勝手にみられているようで、嫌な気がする。もちろん、俺のような砂粒的個人の情報は無意味であるが、ある場合には勝手にビックデータ等と取りまとめられるのも、違和感がある。ビッグデータの収集とドライブ内データは切り分けられているはずなのであるが、どうも信用できない。
まあ時代についていけないというのはこういうことだな。

最近、サブスクリプションという言葉があって、定額制のサービスが流行ってきたようだ。わざわざ所有せずとも、常時それが使えれば、問題ないといえば言える。
考えてみれば、所有するといっても、人生の時間には限りがあるので、じつは一時所有に過ぎない。
手元においても数十年も使用に耐えるようなものはほとんどなくて、それだったら、買い取ってまで所有する必要があるであろうか(俺にはあるけど)。

さらにいえば、そもそもものに執着するのが良くない。愛別離苦というのは、基本的には人間関係に言うのであろうが、愛着のあるものには、そんな言葉を使いたくなる(けっこう、傷深いんだろうね、じつは)。
先日の台風で、郷里もだいぶ被害を受けた。
亡くなった友人の母の家は川沿いで、おそらく取るものも取り敢えず、避難したであろうから、友人ゆかりのものは、流されてしまったのかもしれない。
そう思うと、帰省したいという気持ちも薄らぐ。
ものに注目するから、そう思うので、身から剥がせないもの(こと?)こそ大事にすべきではないか。
判断力、語学力、知性、技量、体力等は、身一つになっても残るものだ(なんだか大袈裟になってきたな)。
であれば修練あるのみ、といっても、家に帰って本を読んでは考え、ギターの練習をするくらいしかないが。
好きな音楽なら、頭の中で再現出来ればそれでいいではないか。だいたい、常時耳鳴りしてるんだし。

こんなことを、新宿駅地下のベルクでホットドッグブランチ(ビール付き)を食べながら考えて、自らを慰めておりました。
さてどうしよう。

サインが欲しくなる理由

どういうわけか、何人かの著名な方のサインを持っている。
著名といっても、俺にとっての、という意味で、多くの人にとってはあまり意味はないかもしれぬ。
桑原甲子雄、荒木経惟、遠藤賢司……、田中長徳なんて人のもある。六田知弘さんのもあったな。
最近ではスピッツのサインが増えた。

ふと考えた。なぜサインが欲しいと思うのだろうか。
ファンだから、と言えばそれまでだが、熱烈なファンであってもサインは別にいらないという人も多かろう。

どうも、いろいろ考えると、ベンヤミンに行き着くような気がする。
先ほど名を挙げた人たちは、基本的に複製芸術の世界で生きている(いた)。というか、桑原やアラーキーのオリジナル・プリントには値段からして、とても手が届かない。エンケンはさいわいにも東京にいたのでライブを見ることができた。そうでなければCDで聞くしかなかった。
写真集もしくはCD(LP)という複製芸術のかたちで、彼らの作品を十分に堪能しているわけだが、やはりそれだけでは寂しく思うのだろう。
となると、オリジナルだけがもつはずのアウラ(そのときに、その場だけに存在する)に準ずるもの・つながるものが欲しくなるのだろうか。

複製芸術であろうとも、例えば楽譜から演奏するように、自分の中で鑑賞・観応というかたちで再創造できることは可能であると考えている。なかなか困難なことではあるが。
しかし、それだけでは足りんのでしょうな。
だから、ライブに行ったり、写真展に行ったりして、そこにしかないもの・ことを体験しようとする。

作家が自らの手で書いたサインというものは、間接的に作家に近づけるような気がするものだ。
そういうかたちで、複製芸術のなかに唯一性を取り戻そうとしているのだろうか。
そういえば、昨年、牛腸茂雄のネガから友人の三浦和人氏(だったかな?)が焼いたプリントを買った。
大昔に四谷三丁目のMoleで売っていたもので、たしかに写真の裏にMoleの名前が残っている。牛腸のオリジナル・プリントには手が出ないが、牛腸が直接手を触れたネガから焼かれたプリントなら買えなくはない。

そのプリントをそれほど見返したりしたりはしていないが、自分の中に欠けている何かを確実に補ってくれているような気がする。

シタールギターの理由

パット・メセニーには「Last Train Home」という名曲がある。このところ、よく聞いている。
ジャコ・パストリアスが亡くなったときに捧げた曲だと聞いたことがある。
この曲では、シタールギターが使われているのだが、とくに理由も考えなかった。


今日、散歩の途中で楽器屋に立ち寄ったら、シタールギターを試奏している人がいて、独特の音を聞いていたら思い立つことがあった。
ジャコ・パストリアスはフレットレスベースを弾いていたが、その音と、シタールギターの独特のビビり音が似ているように思う。
だから、メセニーはわざわざこの楽器を使ったのではないかと思った。

ギターについて最近知ったこと(70年代ストラト編)

家に70年代後期のフェンダー・ストラトキャスターがある。
ボディはアッシュ材で非常に重い。メープルネックであるがフレットが非常に薄くて弾きにくい。また、純正のアームを付けて弾いていたら、根元で折れて取り出せない状態になっている。
そんなこともあり、あまり弾かないで漫然と家に置いていた。弾いていたのは、もっぱらフェンダージャパンのジャズマスターだった(80年代に買ったもので、フジゲンが作っていたころらしい)。

先日、某所で同じ年代のストラトが、売れないらしく18万→15万円台に値下げされて売っていた。
弾いてみると、フレットは打ち直し済みで、それでも7割くらいの残り具合であるが、家にあるストラトよりは弾きやすい。
全体に色あせているが、致命的問題もなさそうということで、家にあるストラトを下取りに出して、このギターを購入しようと思い立った。
査定してもらうと、差額は10万円。高いとみるか安いとみるか。
俺にとっては10万を超える買い物は、日常的にはめったにないので、多少逆上気味だったかもしれない。
金を準備して、改めてその楽器を弾いてみて、さらに自分の楽器を弾いてみた。
なんだか、自分の楽器のほうがボディの鳴りも良く、良い楽器のような気がしてきた。
改めて考えた。10万あるならば、問題のネックをリペアできるのではないか。費用は10万はしないはずで、結果として弾きやすい状態のネックと、鳴りのよいボディ、塗装もまだきれい(一部剥げはある)な楽器にできるはず。
そこで、楽器屋のお兄さんに謝り倒して、何度か行ったことのあるリペア屋(中野Pine)に行って相談した。
そこで分かったこと。
70年代はフェンダーの経営も行き詰っており、品質にも問題があった(バラツキもあり)。
問題のネックとフレットであるが、未熟練の作業者が、とりあえずめいっぱい塗装したということで、フレットが埋まるくらい塗料を載せたということらしい。また、ハイフレットのほうは、ほとんどフレットレスギターのような状態であったが、これは塗料を乾かすときに、ヘッドを上にするため、下(ハイフレット側)に塗料がたまったからだという。
他の楽器屋で同じ話をしたら、ふつうに弾きすぎてフレットが削れたんだろうと言われたが、やはりそうではなかった(というか、削れるほど弾いてないし)。
ボディが重いのは、ギブソン、とくにレスポールに対抗するため、わざと重くしたらしい。

この年代のストラトは、ヘッドが大きい、重い、ネックが三点止め(他は四点止め)等、いろいろあってあまり人気がないようだが、年代的にはかなりボディも枯れてきており、ボディの鳴りが直結するようなサウンドなので、本来ならば人気があってもいいのではないかと思うが、そうなると俺の手元には来ないはずでもあった。
最近は、リペア済みのこのギターばかり弾いています。

ギターについて、ここ最近知ったこと(ギブソンJ45編)

しばらく前から、ギターについて考えることが多くなった(就業中もwww)。
きっかけはなんだったか。ジミヘンの素晴らしさに今更ながら気付き、フレーズを弾くことの 意味がやっと分かつたのかもしれぬ。

ということで、(カメラではなく)ギターが欲しくなってきた。
とくに野村ヨッチャンのギターコレクションを見ると、うらやましくて失禁しそうになる(嘘。

で、最近は中古カメラ屋に行くときは、楽器屋(ギター屋か)にも必ず立ち寄るので、いろいろ知らなかったことがあったので、忘備録的に書いてみる。

・ギブソンJ45という、アコースティック・ギターがある。有名な楽器である。
・発売時に45ドルだったからだという(1942年)。
・細野晴臣が星野源との対談で誉めていたので、ちょっと試奏してみたくなった。
・新宿の島村楽器に行ってみたら、ちょうど2000年代初めごろの中古品が2本あった。値段は20万に行かないくらい。
・まず1本弾かせてもらった。ネックの握りはちょうどよい。音は低域は浅く、中域が豊かで、高域はそれなりの、全体としてカリッとした音であった。
・この楽器は、サウンドホールにボリュームはついていなかったと記憶しているが、ピックアップ付きであった。アンプを通した音は自然な音であった。
・だが、家にあるヤマハFG400Dは低域がボッタリと分厚い音なので、それと比較すると少し軽すぎるように感じられた。
・楽器屋のお兄さんの話では、輸入当時は30万円代くらいで、時間がたって、楽器ごとに音も安定してきているころであるという話だった。
・その後、お茶の水へ行ったり、渋谷へ行ったり、あちこちで試奏させてもらった。といってもあまり高額なのは、万一欲しくなっても自分が困るので、漠然と20万以下しか触らないようにしていた。
・その中で分かってきたのは、ギターというのは型番が同じでもそうとうに個体差(音、弾きやすさ等)があるが、このギターはとくにそうらしい。
・あちこちの楽器屋で弾いてみたが、制作年代や、前の持ち主の弾き方次第で、かなりの差がある。ということは、好みの音と出会うまでは、いろいろ試奏するしかないらしい。
・また、アコースティック・ギターといえば、まずはマーチンが思い浮かぶ(エンケンもそうだった)が、最近は流行らないらしい。
・というのは、マーチンはPAが未発達な時代から愛用されていたが、その理由は音が大きかったからだという。しかし、最近はレコーディング機器も発達し、PAも充実してくると音が大きすぎて、他の楽器とのバランスが悪くなるということで、相対的に人気が落ちたらしい。
・いろいろ見ていくと、だんだん自分が欲しいのが分かってきた。
・まず2000年頃より前のものは、ピックアップがついていない。俺としてはピックアップはありたきもの。
・最近のものは、シングルカッタウェイのものがある。ハイポジションがかなり弾きやすい。しかし年式が新しいものが多く、なんとなく好みの音ではなかった。どうも10年以上経って、ある程度落ち着いた音が自分の好みらしい。
・ちなみに、昨年末、お茶の水で好みの音のJ45を見つけた。ザックリ系の音だが、わりと低音が豊か。しかし税込みで20万を超えるので、とても無理と思っていた。
・しかし正月セールで多少安くなるだろうと思い、金を準備して店にいったら、もう売れた後だった。1週間前にはあったのに。
・今は、J45への執着は薄らいだが、それでも出物があればほしいと思う。

今更ながら、windows ムービーメーカーをインストールする。

これまで仕事用に簡便に作ってきたビデオ映像が、そこそこある。
そのなかには部分的に修正して、また使うものもあったりするのだが、お金をかけたくないのと、高度なことはまったくやらないので、windowsおまけのムービーメーカーで作りとばしていた。
先日、また一部修正をしようとして、新しいPCにムービーメーカーをインストールしようとしたら、いつの間にやら、マイクロソフトでは配布終了になっていた。
いろいろ調べると、下記にインストールの仕方など、縷々書かれている。
https://kaoruya.org/blog/moviemaker/
大変参考になりました。ありがとうございます。

さっそく紹介されている通りに英語版をインストールしようとしたら、(書いてある通りに)NGであった。
NET Frameworkを更新するとよいとあったが、手元のPCでは、すでに最新版であった。
自分なりにさらに調べると、どうやら英語版のインストールファイルは、OSも英語版でなければならいようだ。
そこでOSを日本語から英語(米語)に切り替えたところ、見事にインストールされた。
言語の切り替えはここに詳しい。
https://pc-karuma.net/windows-10-change-display-language/

その後、追加した英語版設定を削除しても、ムービーメーカー自体は作動しているので、あまり深く考えずに、これで良しとしている。

どなたかのご参考になれば。
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