FC2ブログ

eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2020-02

チェンバロの話はしばらく掲載をやめます。

アクセスログを見ていると、チェンバロ関係の検索によるアクセスが多いようですが、別にあの記事を読んでもらうのがここの主たる目的ではないため、しばらく掲載は取りやめます。
なんかmixi経由で来る人がけっこういて、どうもどなたかの記事にリンクが貼ってあるらしい。別にいいけど、あの事故(事件?)の関連で、なんか動きでも出てきたのかね、裁判がはじまったとかか?

と思っていたら、4/28に判決が出たらしいですね。


そういえば、以前、大阪府知事の記事を載せたときもなんだかアクセス急増があったな。

他人の褌で相撲をとるようなことをやっているわけで、お恥ずかしいかぎりです、と反省してみましたw。

IKD晶子という方について

※この方の名前を書いたら、やたらと参照されるようになったので表記を変えます。

IKD晶子という方がしばらく前に亡くなった。
この人の価値というのは自分にはあまり分からなかったが、いまだに読まれていると、以下に書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90
ちなみに、この書き込み履歴を最初から見ていくと、いろいろな意味で笑ってしまう。ご照覧あれ。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90&action=history

ところで、この人の文章は週刊誌での連載しか知らないのだが(正確に言えば、それ以上に読む気がしなかったというべきか)、そこで記憶に残っているのをいくつか。
一つには、養老孟司氏について、批判がましいことを書いていたこと。これについては、いろいろ意見があっていいと思う(ので、特にいう事はないが、印象には残った)。もう一つは、若くして病魔に冒された方が「自分の生きた証を残したい」と言って、いろいろなことをやったことについて、かなり厳しいことを書いていたことだ。後者については、他人のやることだもの、しかも誰に迷惑かけるじゃなし、厳しいことを言うほうがどうかしているとも思ったが、今にして思えば、ご自分の残された生命のことを思って、思わず取り乱したのだろうか(それも人間らしくて、悪いことではないと思うが)。

改めてみると、この方はどうも頭でっかちだったな、と思う。そして普通の人であればいやおうなしに厳しい現実に直面するので(=考えたようにはならない現実)、頭でっかちのまま生きることは難しい。しかし、たまたま恵まれた環境にあったので、そのまま生きることができたんだろう。うらやましくもあるような、ないような。

体験的にいえば「頭で考えること」は、体が疲れないので、無限とはいわぬが相当長い時間考え続けることが可能だ。もちろん考え続けて疲労するとはいうが、かといって例えば重い荷物を運び続けるような場合の肉体疲労とは違う。
肉体疲労は、ある時点でそれをし続けることが継続不可能となるが、考え続けることは不可能ではない(堂々巡りになっても、それは考えていることの続きである)。

(ここから余談)
というのは、身近に精神的に不安定な人がいた時期があり、そのときに気付いたのだが、ある種の人たちの症例として、「とにかく寝ないで考え続ける」というのがあるようだ。これができるのは、考えることは体力をそれほど消費しないからである。寝ないで重い荷物を運び続けることはできないよ。こういう人は、考え続ける→不安増大→ますます考える→最後は妄想レベルに達する。そして寝ると落ち着く。だからこういう人は体を動かしたほうがいいのかもしれないが、専門家ではないから分からない。
(余談終わり)

池田氏は理性を重視していたようで、また、ソクラテスについて語ったりしているようだが、彼は実は理性だけでなく肉体も頑強であった。戦争に参加し武勲を揚げたことは知られている。そういえば、孔丘もがっちりした体格であった。ついでであるが、基督はどうだっただろうか、市場で暴れたりしているからひ弱ではなかったろう。お釈迦様は王族の出だから、やせっぽちではないのではないかと思う。

話がずれたが、池田氏には肉体性についてどう「配慮」していたのだろうか。「魂への配慮」とはいうが、魂を支えるのは肉体である。肉体に魂が引きずり回されてはならない、ということもあるだろうが、肉体を無視することはできない。このへん、脳について語っていながら、脳だけになってはいけないと語る養老氏とは折り合いが悪かったのかもしれない。
例えば、池田氏がもし子供を出産していたらどうだっただろうか。理性ではとらえきれない、しかし愛しい存在を前にして、その後の思考がどのように展開したか、見たかったような気もする。

「中の人」問題

という名称の哲学的問題があるような気がしたが、もちろん冗談である。
「郵便的」とか、なんかよく分からん用語があるもんね。

とりあえず、それだけ。

続きを読む »

子供十字軍

子供十字軍という出来事があった。
children crusadeというらしい。

ブッシュ氏の失言は、childish crusadeというべきか。

栄螺

以下、あまり意味はないのだが、長寿番組で栄螺さんというのがある。
今見ると、天真爛漫すぎて、ちょっと躁気味にも見えるね。
で、今風だとどうなるか、なんとなく考えた。

買い物しようと ベッドを 出かけたら
やっぱり 起きれず ちょい欝な○○○さん
みんなが笑ってる 私を笑ってる 
縷々縷々縷々 今日も曇り空



たぶん、こんなこと考える自分自身が、ちょい欝気味なんだろね。

岡野先生にお会いした。

先日機会があって、歌人の岡野弘彦先生にお会いする幸運に恵まれた。
岡野先生は、いろいろと有名な方であるが、私自身はこの歌一首で歴史に残ると思っている。

 またひとり顔なき男あらはれて 暗き踊りの輪をひろげゆく

※この歌は、太平洋戦争、その傷跡、日本文化の深層など、さまざまな面に広がりをもつ歌だと思っています。

さて、お話の中で、記憶に残ることがあったので、それをいくつか。
文春で立花隆が東大物語を書いていたが、それに登場していた平泉澄教授の関連から、先生が聞いたことのある講演の話があった。
岡野先生は、皇學館中学の学生だった頃に、平泉博士(と先生は言っておられた)の講演を聞いたことがあったそうだ。そのとき、平泉氏は別に国粋主義的な話はすることなく、明恵上人の

 あかあかや あかあかあか や あかあかや あかあかあかや あかあかや月

という歌についてずっと語ったそうだ。それにしてもすごい歌だな。
※平泉氏については、戦時中のその影響を思うと、敬語を使うべきか私自身に迷いがある。

さて、皇學館中学は伊勢神宮に関連が深いだけあって、そこの校長はやはり国粋主義であったという。その校長先生の話は、ひじょうに熱く語ってはいたのだが、しかし内容よりはその熱意が記憶に残る話だったそうである。

その後、國學院大に進まれ、折口信夫の最後の弟子になるわけだが、折口氏は、平泉氏や皇學館の先生とは違い、民俗学の立場から日本文化の話をされたそうだ。そこで、岡野先生は、まったく違うものの見方を教えられた、というようにお話された。

とりたてて結論とか発見のある話ではないが、自分のために書いておいた。

日本人12歳説

ベルント・ローゼ写真館「希望の光」~ドイツ人特派員が撮った昭和26年の日本~
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/02/h0217-1a.html

この写真展の案内の文章に、何か気になるものをかんじた。
※以下引用
敗戦国という同じ立場にあったドイツ人の目に、当時の日本は、日本人はどのように写ったのでしょうか。来日前、広島の取材を思い立った彼が想像したのは、悲観的になり無気力の中に沈んでいる人々の姿でした。しかし、彼が配信した記事には「これほど明るい笑顔を、……再建、再興において、これほど市民が活発に努力している町を、わたしは他に知らない」と記されています。(引用終わり)

何故、ドイツ人としては「悲観的になり無気力の中に沈」んでいるだろうと思ったのに、日本人は広島であってさえ「これほど明るい笑顔を、……再建、再興において、これほど市民が活発に努力している」というほど違ったのだろうか?
確かに、ドイツは国内が戦場になり筆舌に尽くしがたい惨禍があったと聞く。しかし、比較すべきものではないだろうが、広島の惨禍も周知のとおりである。にもかかわらず広島でさえそうなのだから、それ以外の日本国内はなおさらだったのだろう。

以下は、ちょっと思いつきレベルなのでまだ書くべきではないかもしれないが、よかったら読んでみてください。

マッカーサーの有名な言葉に「日本人12歳説」というのがある。曰く「日本人は、近代文明の尺度で測れば、12歳の少年といったところ(like a boy of twelve)でしょう」。
Wikipedeiaによれば、「民主主義の成熟度について「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」と述べた。「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が 45 歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである」。どちらかといえば日本を擁護したような文脈であった。
wikipedeiaの「ダグラス・マッカーサー」の項より引用。

最近、殿山泰司の「三文役者あなあきい伝」を再読しているのだが、「次の戦争の時には責任者を決めてからやってくれ」(大意)というセリフがあった。敗戦時、日本の最終的な戦争責任者はうやむやになったことを踏まえている。
ここで考えたのは、ドイツ人は戦争と敗戦を自分の問題としてとらえたのだろう。ヒトラーに政権を許したのも、戦争に参加したのも、結局は自分たちの問題として考えたのだろう。だから「悲観的になり無気力の中に沈」む。つまり大人の態度だろうね。
一方、日本人は「天皇の赤子」であり、大人として戦争を始めたわけではない。また戦争を始めた政府は戦争をやめたくなっても止め方が分からない。赤子の親である昭和天皇が止める(ポツダム宣言受諾)と言ってくれなければ、本当は止めたかったのに止められなかった(このへんは安吾の堕落論から引いている)。それを考えれば「精神年齢12歳」、つまり、まだ親がいなければ判断できない精神状態なのだという意味であれば、それほど変な話ではない。

ここからもう少し話を進めたいのだが、まだ煮詰まらないので、今日はここまで。

過去文 うpしました。

昨年文を少しずつ復旧しております。
2004年ころを見てください。

目の人、耳の人

宮内勝典氏の「海亀通信」の海亀日記 July 19, 2005(http://pws.prserv.net/umigame/diary.htm)を読んで、表題のことを思い出した。
これは私なりの人の分け方で、視覚情報を重視する人を「目の人」、聴覚情報を重視する人を「耳の人」と、個人的にはタイプを分けて考えている。
ちなみに、自分についていえば、音楽に夢中だったころは「耳の人」、今は写真が好きだから「目の人」の傾向が出てきたけれど、本質的には「耳の人」だと思っている。やはり「目の人」の撮る写真にはかなわないと思うことが多い。大体、写真を始めたきっかけのひとつは、仲間とバンドをやることができなくなって、一人でできるものを考えているうちに写真に行き着いたわけだった。

さて、この両者、優劣はないのだが、ある種の傾向はあるかもしれない。いい加減な思いつきだが、
【目の人】
・直感的
・どちらかというと対話的ではない
・粘着的
・時間性よりも永遠性

【耳の人】
・論理的(というかコンテキスト重視)
・どちらかというと対話的
・しつこくない(淡白)
・時間性重視

適当に並べてみたが、写真家でたとえれば、「目の人」が土門拳、「耳の人」が木村伊兵衛か。
もっとも写真家というのは本質的に「目の人」であろうが、木村伊兵衛の最後の写真(自室の時計)を見ると、時間性に対する意識を強く感じてしまうので、「耳の人」と考えてみた。

ちなみに、日記に出てくる『アーサーはなぜ自殺したのか』(エドウィン・S・シュナイドマン著 高橋詳友訳 誠信書房)を私も読んだが、アーサーは目の人のようだ。
私のこれまでの経験による印象では、「目の人」は思い込みが強いが、自分を第3者的に見る(自らを客観性のもとに見る)のが苦手のように思える。そこがものすごいパワーを生み出すことにもつながっているが「作用あれば反作用あり」(私の口癖です)、自分を自ら追い詰めることもありえるとも思っている。

責任について

戦争責任という言葉があるが、それは「誰」に対する責任だろうか。
いろいろ考えはあるのだろうが、自分としては、自国民に対する責任について少し書きたい。というのは、他国民に対する責任は、決着はついたのかどうか定かではないが、すでにさまざまな形で問われている。

しかし、先の大戦では、戦争指導者の無策による戦死、民間人を巻き添えにした戦闘の進め方など、あまりに自国民をないがしろにしていたのではないだろうか。
例えば、南方への輸送船はずいぶん攻撃されて沈没しているそうであるが、その死者に対する責任は誰がとったのだろうか。
「戦犯」という言葉がある。彼らの中にその責任を取った人もいるだろうが、国政に復帰した人もいる。「敗軍の将、兵を語らず」というが「死人に口なし」ともいう。また仮に敗戦でなかったとしても「一将功成万骨枯」となる。

レヴィ・ストロース曰く、日本の中心は「空虚」だそうだが、同じように責任の所在を求めて、組織の上部へとさかのぼるうちに、いつしかその所在が分からなくなることがあるようだ(何故「組織」とかといえば、一人では戦争できないから)。当時主権と統帥権を持つとされていた昭和天皇に戦争責任があるかどうかは、意見が分かれるところのようだが(これについては身近に両極端の反応を見ているので自分では何ともいえない)、南方への兵員輸送についてはその直接の責任者がいるであろう。個々の作戦の進め方については昭和天皇にさかのぼらなくても、具体的に検討できるのではないかと思う。それとも、それもできないのか?

ところで現在、政治に携わる人々は、誰に対する責任を感じてその仕事をしているのだろうか。疑問だ。まさか、目の前の自分の一番身内のサークルのことだけを考えているわけではないと思いたい。
人気ブログランキングへ

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂