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eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2020-05

また落とし物をしてしまった話(@新宿、Walkman A16)

午後から新宿に出かけて、ふと上着のポケットに入れていたはずのウォークマンに手をのばしたら、見つからなかった。
またやったかと思って、他のポケットをまさぐったがやはりなかった。
家から新宿まで歩いて出掛けて、しかも、あちこちふらついたから、どこで落としたか見当もつかない。
明日、それらしいお店など電話で聞いてみようと思うが、けっこう電話を掛ける所が多くなりそうで、ちょっと鬱である。
落としたのは、ここ4,5年使っていたかなり型遅れのWalkman A16というやつで、黒の外装は使い古したカメラのように角は剥げ、ディスプレイのガラスは傷だらけなので、金銭的な価値はほとんどないであろう(そもそもアウトレット品だった)が、愛着も、音楽データもあり、些かショックである。

ショックの理由というのは二つあって、一つは、ここ数年、冬場にちょっとしたものを落としている。
買ったばかりの手袋とか(すぐ買いなおしたが)。
で、買いなおしたその手袋をまた落としたり(これは近所の家の塀に引っ掛けてあったので、手元に戻った)。
冬場は、コートとかマフラーとか、いろいろ見に着けるものが多くて、取り紛れてしまうのかもしれない。ポケットの数が多くなると混乱する。
以前はそういうことはなかったのだが、これも老化現象か。

このへんはしょうがないとは思うが、二つ目は、どうも落とし物をしそうなときには、うっすらと予感があって、でもやっぱり落としてしまうのだ。
先日は、ノートにはさんだ赤ペンが、いかにも落ちそうだと思いながら、やっぱり落とし、しかしすぐに気づいて拾ったが、またしても落としてしまった。
再度拾った時に、ノートにはさまずにきちんとしまえば良かったのだが、なぜか、大丈夫だろうと思って、そうしなかった。
今日のWalkmanも、上着のポケットの入れたときに、なにかみょうな予感があったという記憶はあって、でもそのまま出かけて、案の定なくしてしまった。
日中暑くなって、上着を脱いだときに、ちょっと気を付けようと思ったりもしたのだが、このときもなぜか大丈夫だろうと思ってしまったわけだ。
128GのマイクロSDカードには、ライトニン・ホプキンスやカンやビートルズやジミ・ヘンドリックスのbootlegやケイト・ブッシュやら、音楽好きならそれなりに楽しめそうな音楽データが入っているので、落とした人が楽しんでくれたらそれでも良いとは思うが、見かけがボロボロなので、そのまま捨てられてしまいそうに思う。

同時に、こんなことも考えた。
ハードウエア的には、まだ使用できるが金銭的にはほとんど無価値、おそらく普通の人は買い替えるだろうという品物であったので、あきらめもつかぬではない。
中身についてはどうか。けっきょく音楽データはすべて元のデータが別にあるので、それほど困らない(が、どんな曲を入れていたかは、うっすらとした記憶しかないので、元の中身を復元するのは難しい)。
これはデジタルデータの強みで、オリジナルというものがないので、というか、既にデータ化された時点で、コピーもオリジナルも区別はないので、データがどこかにあれば復旧はできる。
例えば、これが誰かから借りたアナログのLPだったりしたら、取り返しがつかない気がする(LP自体に思い入れがあったら、代わりのLPを買ってきても済まないだろう)。
LPというのは市販品であるが、万一、手作りの品や一点物だったりしたら、目も当てられない。

ということは、音楽データに限らす、デジタルデータ化可能なものは、手元のSSDやらメモリーやらにデータをいれておくよりは、ネットワーク上にデータがあれば、ハードウエア自体は交換可能なので、今日のように落とし物をしてもまだ傷は浅い(だろう)。
また、ネット上にデータをおけば、ほぼ永遠?に保全されるのかもしれない。
というのは、ネット上の(サーバ)のデータは、サーバーのバックアップがあるはずなので、手元に置いておくよりはより壊れにくく、失われにくいだろう。
この特性がある故に、リベンジポルノなどは問題が厄介になるという面もある。

別の言い方をすれば、アナログなものがオリジナルとしてある場合、デジタルデータ化という一種の破壊と再構築のプロセスを経れば、デジタルであることの利便性を享受できるが、しかしそれはおそらくすでにオリジナルとは別物であろう。
ただし、実用の際には、データ化の前と同じく、たいていは前以上に扱いやすくなるので、むしろ問題はないが、それを良しとするかどうかは、人によって違う(それとも世代か?)。

そうなるとgoogleドライブ等にデータを載せておくことを思い浮かべるが、どうも個人の情報を勝手にみられているようで、嫌な気がする。もちろん、俺のような砂粒的個人の情報は無意味であるが、ある場合には勝手にビックデータ等と取りまとめられるのも、違和感がある。ビッグデータの収集とドライブ内データは切り分けられているはずなのであるが、どうも信用できない。
まあ時代についていけないというのはこういうことだな。

最近、サブスクリプションという言葉があって、定額制のサービスが流行ってきたようだ。わざわざ所有せずとも、常時それが使えれば、問題ないといえば言える。
考えてみれば、所有するといっても、人生の時間には限りがあるので、じつは一時所有に過ぎない。
手元においても数十年も使用に耐えるようなものはほとんどなくて、それだったら、買い取ってまで所有する必要があるであろうか(俺にはあるけど)。

さらにいえば、そもそもものに執着するのが良くない。愛別離苦というのは、基本的には人間関係に言うのであろうが、愛着のあるものには、そんな言葉を使いたくなる(けっこう、傷深いんだろうね、じつは)。
先日の台風で、郷里もだいぶ被害を受けた。
亡くなった友人の母の家は川沿いで、おそらく取るものも取り敢えず、避難したであろうから、友人ゆかりのものは、流されてしまったのかもしれない。
そう思うと、帰省したいという気持ちも薄らぐ。
ものに注目するから、そう思うので、身から剥がせないもの(こと?)こそ大事にすべきではないか。
判断力、語学力、知性、技量、体力等は、身一つになっても残るものだ(なんだか大袈裟になってきたな)。
であれば修練あるのみ、といっても、家に帰って本を読んでは考え、ギターの練習をするくらいしかないが。
好きな音楽なら、頭の中で再現出来ればそれでいいではないか。だいたい、常時耳鳴りしてるんだし。

こんなことを、新宿駅地下のベルクでホットドッグブランチ(ビール付き)を食べながら考えて、自らを慰めておりました。
さてどうしよう。
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