eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2018-07

天と地のあいだのくそ 内藤正敏「異界出現」展

東京写真美術館で、内藤正敏の「異界出現」展を見てきた。
新宿の安売りチケット屋で早めに入手しておいたが、やけに安かったな。
内藤正敏は、「デジャブ」誌で、富士山頂からの夜間長時間露光の写真などを見て、どうも「婆バクハツ」だけの人ではないと思って、注目してきた。
そういえば「修験道の精神宇宙」もいつの間にか持っていた。

大昔、あるカメラマンと仕事をしたが(照明関係を撮るのがうまいひとだったが、おれが頼んだのは工業機械だった)、その人が写真家の吉田元さんのことを知っていることから、いろいろと話をした。
そのなかで、内藤正敏の話がでて、そのカメラマンは一度手紙を書いたことがあったが、非常に丁寧で真面目な長文の手紙が届いて恐縮したといっていた。またお金とは全然縁がない人だとも。そうだろうと思って聞いていた。

初期作品から通して見ていくのは初めてだったが、かなりの内容を持っている写真展だった。今日はNHK教育の日曜日美術館で紹介するので、混むのではないかと思って早めに行ったが、別に大挙して人が来たわけではなかった。そうだろうとは思っていたが、寂しくもある。

大学で化学を専攻しただけあり、初期作品はその傾向が強い。ビデオ映像で星新一のショートショートとのコラボレーションがあって、ちょっと面白い。
展示の最後まで見てから、最初に戻ると、ミクロ(極小)とマクロ(極大)を同じ視点でとらえていたことがよく分かる。

いくつか印象に残った写真について書いてみる。
・月夜の盆踊り
恐山での婆さんばかりの盆踊りだが、岡野弘彦の「またひとり顔なき男あらはれて 暗き踊りの輪をひろげゆく」という歌を思い出した。
この歌では男女が踊っているところが、内藤の写真とは違うが、やはり死者が戻ってきて、生者の踊りの輪に交じっているだろうなと思わせるところで通じている。
・踊る老婆
この婆様は、生者なのだろうが、没我の境地にいるようでもあり、踊りのなかではこの世とあの世はつながっているのだろうか。

そういう目で見ると、
・ホテルニュージャパンの火事
の写真は、タイトルを見たら肝が冷えた。ニュースでの大惨事の様子は覚えていたが、就職してから赤坂見附付近で仕事をしていたら、まだホテルの焼け跡の一部が残っていた。生者が我が物顔で往来しているように見えるが、じつは死が裏打ちされていることを再認識させられた。現実に、あの火事の現場ではあの世の釜のふたが開いていたのだった。
そのなかで、
・花見をする浮浪者
は、花に囲まれた世に埋もれたる賢者のような風情で、心が和むところがあった。
・流れ灌頂
は、知らない言葉だったので調べてみた。
「出産で死んだ女性の霊をとむらうために、橋畔や水辺に棒を立てて赤い布を張り、通行人に水をかけてもらう習俗。布の色があせると亡霊が成仏できるという。地方によっては水死者のためなどにも行い、供養の仕方にも違いがある。」(大辞泉)
なにか悲しいことがあったんだろうな。

この調子で書いていくとキリがない。

・遠野物語・出羽三山
については、素晴らしいので誰もがふれるだろうから、あえて書くまでもない。
それでも、
・神々の異界
には、やはり言葉にならぬ心の動きがあった(体も、かな)。どの写真も宇宙観、生命観、歴史観、様々なものが重層的に重なりつつ、一つの写真として成立している。巨大プリントにして、佐倉のDIC川村美術館で、マーク・ロスコのとなりに並べて見たいものだ。
そのなかでも、
・御来光 月山山頂
はブロッケン現象で内藤自身のシルエットが映っているが、半分くらい神というか、あの世に身を移しているようにも見えた。

最終コーナーの、
・内藤正敏の軌跡展
での、いろいろな時代の写真を並列に並べ、テーマは異なっているようだが、本質は同じものを追及しているということが如実にわかる展示は、それだけの価値がある。ここを見てから、また最初から見直すと、そのへんがよく分かる。

一番最後に、
・聖地
という写真があり、川辺に動物のフンらしきものが映っている。山のけもののフンだと思って見ていたが、図録を見ると、内藤自身のくそであった。
これを見ていたら、文化人類学者である西江雅之先生の本にあった「人は、天と地のあいだにあるくそである」というアフリカの言葉を思い出した。
内藤は、岡本太郎の写真をプリントした仕事があるが、岡本太郎はマルセル・モースに師事した文化人類学者でもあった。また内藤自身は民俗学者でもある。
相通ずるところがあるからだろうか、この言葉を思い出した。
内藤は、天と、地と、地の底の、三つでありながら一つでもある世界を、一見土俗的に見えながらも、scienceの視点を以て、写真という化学的技法を用い、かたちとして定着させているように思う。
そしてその撮影する主体である内藤自身は、天と地のあいだでは、とるにたらない「くそ」でもあるが、写真のタイトルにあるように「聖地」に生きてあることを自覚する、別格の「くそ」でもある。
とはいえ、撮影する際は主体・客体という意識を超えたところにあるのではないかとも思う。

万人向けではないかもしれないが、見るべき写真展だと思う。
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