eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-10

体育会系が時代遅れになりつつある?わけ

先日、日経関連のwebサイトを見ていたら、会社員向けの人生アドバイスのような記事があった(こういう記事はよく見かける)。
そこでは、自他ともに認める体育会系ということで頑張ってきた後輩がいて、最近元気がない。
先輩にあたる筆者が、「どうしたんだ」と飲みに誘ったら、これまでの仕事のやり方(記事からすると根性主義っぽい)が通用しなくなって、行き詰まりを感じている、とかなんとかそういう記事であった。
→この記事でした。体育会OB社員を襲う早すぎる「定年」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/032500025/060200030/
本当にそんなことがあったのかはしらないが、記事として需要はあるような、つまりある程度、現実としてあり得る話なのだろう。

さて、体育会系の美点はいろいろある。だから就職などでも有利だったという(俺には全く関係なかったが)。
ただ、どうもかつてほど持てはやされていないらしい。なぜか。
体育会系は、スポーツに打ち込んでいる(当たり前)。
スポーツにはルールがある(当然)。
そのルールのなかで最大限努力する(立派です)。

ところが、そのルールにあたるものが社会に確立していない状況になってきた、ということではなかろうか。
例えば、ソニーのウオークマン。音楽を身に着けるという発想と、その枠組みを作ったのは素晴らしい。
しかし、appleはiPodでルールを変えてしまった。
つまり、持ち運ぶのだから音質は落ちてもよい(mp3等)と割り切れば、いろいろな利点が出てくる。
曲単価が安くなる。通信しやすい。小さい筐体にたくさんの曲データが入る。
いわば当初のルールを変えて、違う競技を始めてしまったようなもののように思う。
しかしソニーはオーディオメーカーでもあったので、自ら音質を落とす発想はためらいがあったか?

こういったことが重なると、ルールを大事にするよりは、ルールの逸脱を考えるような発想、態度が求められる。
枠内での努力ではなく、枠自体を再検討する能力(それも頻繁に)。
そうなると、枠内の努力を重視するタイプの発想はやはり行き詰るだろうか。
まじめな人が多いだろうと思うので、気の毒に感じる。
枠にもいろいろあって、仕事関係だけでも日々の人間関係の枠、会社の枠、業務の枠等、自らを取り巻くフレームは重層的になっている。
そのなかで体育会っぽい先輩後輩関係が暑苦しくかんじられるのかもしれない。

俺自身はほんとうはどうでもいいと思っているのだが、かつてF1で日本製マシンが好成績をあげるたびに、また、オリンピックで日本選手が好成績をあげるたびにレギュレーションが変更されたことを思い出す。
いわゆる体育会的なものごとは好きではないが、時代や環境にまじめに向き合ってきた人が割を食うのは、あまりいい気がしない。
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