eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

共時的子供時代

「ぼのぼの」のサイン会があるというニュースを見つけて、今何巻まで出ているか調べたら、41巻まで出ているそうだ。1986年にスタートだからすでに30年か。
ぼのぼのの漫画世界は、ある一定の時間の枠の中だけで展開し、回想シーンなどはあるがぼのぼのが成長したりすることはない。
これはサザエさんやドラえもんも同じで、タラちゃんは永遠に幼稚園に入園できない。
ソシュールが言ったそうだが「共時性/synchronique」という言葉があって、言語研究の際、時間性/歴史性ではなく、ある時点での言語のあり方を研究する際にこの言葉を使う。
反対語が「通時性/diachronique」で、歴史的な変化などが考察される。
もしドラえもんが通時的な漫画であれば、のび太はいずれ中学生になり、ドラえもんへの依存から独立することになるだろうが、そうはならない、ということは、やはり共時的な設定の漫画だと言える。

こんなことを考えたのは、実家の隣のおばさんが亡くなったという知らせがあったからだ。
郷里の家の近所は同じ時期に家を建てた人が多かったようで、わりと仲良く付き合いがあり、春先などは近所で集まって花見をしたりしていた。隣家とは塀を建てても腰までの高さで、出入り口が切ってあって、よく行き来していた。
子供のころは、長いスパンの時間感覚がなかったせいか、そういう日々がずっと続くような気がしていたが、中学生になったあたりで、どうも人生はサザエさんのようにはいかないことが分かってきた。
そうはいうものの、進学の際に郷里を離れたせいか、頭のなかで思い描く実家の様子は昔のままで、隣のおばさんも多少年はとっても、いつまでも元気そうなふうに考えていた。
しかし、否応なしに時間は流れるもので、うちの母は震災を期に郷里を離れ、隣のおばさんも亡くなってしまった。
郷里にいたときの時間は、別枠の特別な時間になっていたのかもしれない。

子供向けの漫画やアニメが共時論的世界であるのは、やはりそれに実感があるからだろう。
平穏に暮らす子供にとっては、昨日と今日はあまり変化がなく、おそらく今日と明日はあまり変わらない。
そうではないことに気付いたときに子供時代が終わるのだろう。

もう数十年前に子供時代は終わったと思っていたが、いまだにその尻尾を引きずっていたことに気付かされた。
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