eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-05

David Bowieが死んだ朝、東京は初雪が降った

David Bowieが亡くなってぼうっとしていたが、CDを探してみたら「Low」しか見つからなかったので、やっぱりぼうっとして聴いていた。
 いろいろな人がいろいろなことを言うだろうから、あまり書くこともないが、このニュースを見て、なるほどと思うところがあった。
(以下引用)
 ドイツ外務省もツイッターで、1989年のベルリンの壁(Berlin Wall)崩壊の一助となったとして、ボウイさんへの謝意を表明。東西に分断されていた冷戦下のベルリンを題材とした曲「ヒーローズ(Heroes)」の動画へのリンクを投稿した。

“ Good-bye, David Bowie. You are now among #Heroes. Thank you for helping to bring down the #wall.
https://www.youtube.com/watch?v=YYjBQKIOb-w #RIPDavidBowie ”
・ドイツ外務省twitter
https://twitter.com/GermanyDiplo/status/686498183669743616
(引用終わり)

この作品が発表されたのは1977年、冷戦のさなかでベルリンの壁がなくなることはまずあるまいという時代であったが(俺もすでに物心ついていたので覚えている)、それでも彼が、人間らしく(自分らしく)ありたいと歌うことが、聴く人の心を動かして、壁のなくなる日を想像させ、それがあるきっかけで実現したように思っている。
それがドイツ外務省の書き込みにある”Thank you for helping to bring down the #wall.”という意味だろう。

帰ったら「Heroes」のCD探そう。

・歌詞の内容について
http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/02/heroes-david-bowie.html



【追記】
Bowieの1987年ベルリンコンサートでなるほどという記事があったので、引用します。
このコンサートの様子は以下のとおり。
「冷戦を象徴する壁のすぐ西側にある共和国広場で、ボウイさんは野外コンサートを開いた。
 観衆は、壁と向き合うように立った。さらにスピーカーが、観衆と反対側の東にも向けて置かれた。
  壁の向こうには、ボウイさんの歌声を聴こうと東独の若者が集まっていた。
 ラウベさんも仕事を放って、ひとり壁に向かった。
 「壁を倒せ」と叫ぶ若者が東独警察と衝突した、と当時の報道は伝える。だがラウベさんは「歌を聴くのに集中していたので、よく覚えていない」という。
 歌の一つが、西ベルリンで生み出した名曲「ヒーローズ」だった。」


以下、朝日新聞記事より引用
http://www.asahi.com/articles/ASJ1K7600J1KUHBI021.html

ベルリンの壁越しに自由のロック D・ボウイさん悼む
ベルリン=玉川透 2016年1月24日05時16分

■デビッド・ボウイ「ヒーローズ」

 巨星が、墜(お)ちた。

 ベルリン中心部ポツダム広場から数百メートルの「ハンザ・スタジオ」。15日、数百人が集まった。
 10日に69歳で亡くなった英国出身のロックスター、デビッド・ボウイさんを悼むファンの集いだった。
 東ベルリン出身の機械工、フランク・ラウベさん(58)は言った。
 「あの時、壁越しにデビッド・ボウイの歌声をはっきり聞いた」
 あの時――1987年6月6日、冷戦を象徴する壁のすぐ西側にある共和国広場で、ボウイさんは野外コンサートを開いた。
 観衆は、壁と向き合うように立った。さらにスピーカーが、観衆と反対側の東にも向けて置かれた。
 壁の向こうには、ボウイさんの歌声を聴こうと東独の若者が集まっていた。
 ラウベさんも仕事を放って、ひとり壁に向かった。
 「壁を倒せ」と叫ぶ若者が東独警察と衝突した、と当時の報道は伝える。だがラウベさんは「歌を聴くのに集中していたので、よく覚えていない」という。
 歌の一つが、西ベルリンで生み出した名曲「ヒーローズ」だった。
 ♪忘れないよ あの壁の横で 銃弾が2人の頭の上をかすめていったこと
 ♪それでもキスしたよね 僕らは英雄になれる 一日だけは
 ログイン前の続きボウイさんは麻薬におぼれた米国生活に別れを告げ、76年から3年ほど西ベルリンで暮らした。壁のそばのハンザ・スタジオで、「ヒーローズ」などアルバムを3枚制作した。
 医師のクリスチャンさん(66)は当時、ボウイさんの家の近所に住んでいた。ボウイさんは私生活を隠す人ではなかった。共通の知人と一緒に、バーに飲みに行ったこともあるという。
 「ラフな格好で、自転車やアメ車のオープンカーに乗っていた。いつ見ても爽やかで、クールだった」
 東の若者にとっても、ボウイさんは「自由」の象徴だった。ラウベさんの耳には、当時むさぼるように聴いた「ヒーローズ」の歌詞が今も焼き付く。「西独の親戚からレコードを送ってもらい、西から流れるラジオ放送にかじりついた」
 東独にも、政府公認の「ロック」はあった。「オスト(東)・ロック」と呼ばれ、歌詞はドイツ語。東独政府は西側に対抗するため、コンサートやレコード発売も認めた。だが体制を否定するような歌詞には目を光らせた。
 ボウイさんのコンサートの翌年には、東西ドイツで壁を挟んでそれぞれ野外コンサートが開かれた。西でマイケル・ジャクソンさんが熱唱すれば、東では東独が誇るフィギュアスケートの女王カタリナ・ビットさんが司会を務めた。
 89年、壁は崩れた。
 ボウイさんの死を受け、ドイツ政府はツイッターにメッセージを出した。
 「さよなら、デビッド・ボウイ。今やあなたは『ヒーローズ』の仲間入りだ。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」
 ベルリンの壁で落ち合う恋人たちから着想を得た、というのが定説だったヒーローズ。ただ、独メディアによると、バンドの関係者がベルリンで出会ったドイツ人女性との道ならぬ恋がモデルだったと、ボウイさん自身が後に話している。
 彼の歌が政治と安易に結びつけて語られることに釈然としないファンもいる。
 確かなことは、ラウベさんのように、29年前の歌声を今も鮮やかに胸に留める人々がいるということだ。
 「あの感激は、言葉で表せない。メロディーと歌詞の一つひとつが心に染みた」
 あらゆる障壁を越えるように、しなやかに変わり続けたボウイさん。その歌が壁を越えて人々の心を揺さぶった時、すでに壁は崩れていたのかもしれない。(ベルリン=玉川透)

     ◇

 〈ベルリンの壁〉 第2次大戦後、ベルリンは東西で分断統治された。東独の共産主義政権は1961年8月、市民の亡命阻止などのため総延長150キロ以上、高さ約3メートルの壁を建設開始。冷戦の象徴となった。東独領に囲まれて「陸の孤島」となった西ベルリンを、西側陣営は「自由主義のショーウィンドー」として支援。反戦活動家やアーティストが多数移り住んだ。89年11月9日、検問所が開放されて「壁」は崩壊。90年10月3日、ドイツは再統一された。

引用終わり
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