eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-05

西江先生のこと 03 食べ物の話

先日、近所のスーパーでなつかしいサンドイッチを見つけたので買ってきた。サンケイというところのチキンサンドで、西江雅之先生はお昼に、よくこれを食べていた記憶がある。
先生は食べ物がテーマになっている話題で名前が出たり、対談に出たりしていたことがよくあったので、やはり食べ物について書こうと思う。
ちょうど昼飯の話題が出たので、続ける。
学生時代、二限目に授業があると、そのまま先生と昼食に行くことがあった。行くのは、穴八幡の脇にあった「まんぷく食堂」か、生協の売店でサンドイッチを買って食べていた。三朝庵という蕎麦屋もあるが、おばさんが早稲田の先生だといろいろ誉めそやすので大変だからあまり行かないといっていた。
このサンドイッチが先ほど書いたもので、調べると三桂という会社である。そのころ値段は250円くらいか? これと生協の黄色いパックの牛乳だけで済ませていた。先生と一緒にお昼を食べる学生は自分も含めて4、5人くらいだったか。自分がこのチキンサンドを買うことはあまりなくて、もうちょっと安いパンを2個くらい買っていた。おなかが減るからね。
今日久しぶりに食べてみたら、ほどよいボリュームだった。おそらく当時40台半ばだった先生にもちょうど良かったのだろうか。

穴八幡というか放生寺の参道脇にあるまんぷく食堂は畳敷きで、いつも奥の座敷に上がって食べていた。この食堂はだいぶ前になくなって、いまは駐車場になっている。
http://www.wasedaweekly.jp/detail.php?item=345
先生はそのとき何を食べていただろうか。若いころは自分が食べることで頭が一杯だったのであまり覚えていない。あるときカキフライを食べていたような気がするがはっきりしない。よく考えてみたら自分が何を食べたのかもよく覚えていない。ただ、先生は姿かたちというか、何で出来ているかがよく分かるような料理を食べていた。何が混ざっているか分からないような和え物のようなものがあると、「これには何が入っていますか」等と聞いていたような気がする。こちらはお構いなしに食べているので「お豆腐を使った白和えですよ」などと答えていた。いっしょにいた一つうえの学生さんが「先生はいろんなところ(=普通の人が行かないところ)に行って食事することが多いので、用心して正体が分かるものだけ食べているのだろう」等といっていた記憶があるが、自分の頭のなかでいつの間にか合成された記憶のような気もする。

あるとき、以前の教え子(直接の面識はないが、時折話題になっていた)が、自死したという知らせが届いた。先生も気にしていたが、とうとうそうなったか、というふうでもあった。思い返せば、先生は精神的に不安定な人をひきよせるような特殊な魅力があったらしく、わりとその手の困った(ている)人の話題が出ていたような気がする。
そのまま食堂へ行ったのだが、やはりしんみりした空気で会話もあまりない。ちょうどそのころ、先生と親交のある玉村豊男のエッセイをよく読んでいたので、そのなかの話をしてしまった。もとの文章を引用する。
「マダガスカルの田舎では、人が死ぬと、一頭の牛をほふり、村じゅうでその牛を盛大に食べる饗宴を張るという。そのパーティーがそのまま通夜である。一頭の牛は、肉を焼き、内臓を煮こみ、骨はスープをとって余すところがない。村びとたちはその滅多にありつけないごちそうをハラいっぱい食べ、騒ぎ、踊り、一晩中、夜あかしで食べ続ける。そして通夜が明けた朝、村びとたちは連れだって新しい死者の墓を詣で、残りものの牛のツノを二本、墓前に供えて、せっかくの牛の料理を食べることができなかった不幸な死者に同情して、そこではじめて声を揃えて号泣する……のだそうだ。」
玉村豊男 『文明人の生活作法』、「食卓の作法」
http://booxbox.cocolog-nifty.com/tahara/2007/03/20070318_260a.html

こんなにまとまった話は出来なかったが、生意気にも次のようなことを言ってしまった。
悲しいからといって食事を味わないで食べても、亡くなった人が喜ぶわけではないだろう、ならばおいしく、というの無理にしても、その方も先生といるときは楽しく食事していたのだろうから、そのときを思い出しながら、そのつもりでいつものように食べたら供養になっていいんじゃないか等と、今思えば場違いかもしれないことをたどたどしくも言ってしまった。
先生は、べつにたしなめもせず、いつものような飄々とした風情になられて、その食事は終わった。
その後、研究室に戻って、その人の思い出話になったが、直接知る人ではなかったので、そこは忘れてしまった。
あのとき先生はどう思われていたのだろうか。考えてみると恐ろしい気もする。

また、あるとき、研究室でアメリカのスーパーマーケットに売っているという大きなガムの塊の話(色はさまざまで、黒っぽいのもあるらしい。想像するにタイヤのきれっぱしのようなものか、それを適宜ちぎって食べる)をされた。ちょうどその前の授業で「食べ物と食べられるものは違う」=生物としての人間が食べられるもの(可食物)は決まっているが、文化的な存在としての人間は可食物から、食べるものを選択している、という話を聞いたばかりだった。
例えば生物としての人間は豚肉を食べることが出来るが、イスラム圏では「食べ物」ではないということになる。
だから、そのガムの話を聞いたとき、アメリカでは食べ物かもしれないが、日本では食べ物とはいえないのではないか、と言ったら「わりと真面目に授業を聞いているんですね」と言われてしまった。いつも真面目に聞いていたんだが…。
とりとめもない話ばかりだが、書いていると心が落ち着くのでこのまま続ける。

その頃、先生は西武池袋線沿いに住まれていた。石神井公園の話をされていたから、そのあたりか。西武系のカルチャースクールの講師などもされていたと思う。高田馬場駅はよく使っておられたはず。
今はどうなっているか分からないが、地下鉄東西線高田馬場駅から地上に抜ける階段の途中に、カウンター式のカレー屋、ソバ屋等数軒が店を開いている一角があり、そこにラーメン屋もあった。先生はときおり「タンメンを食べてきた」とか、「食べていく」と言っておられたが、どうもその店だったと聞いたことがある(誰からかは忘れた)。一度食べてみようと思っていたが、今もその店があるかどうか。これはどうでもよい話か。

どうでもよい話のついでに、これは食べ物ではないのだが(赤瀬川「少年とグルメ」風にいえばこれも食べ物か)、よく爪を噛んでおられた。たぶん爪切りはいらなかったくらいだろう。
爪を噛むというのは子供によく見られる行動で、一般にはある種の精神状態を表すと考えられている。例えば、苛立ち、欲求不満、情緒不安定等。
http://www.bite-naile.info/category2/entry3.html
先生の場合はどうだったか。

いろいろ思い浮かぶが、一つには爪切りもない場所へ旅行することが多いから(もちろん世界中どこに行くにも軽装なので、爪切り等は当然持たないだろう)、爪が伸びないように、事前に噛むという考え方。もう一つは、やはりあれだけの人物なので、世間が窮屈でしょうがないだろうから、心理的な面が反映されたという考え方。
そこで先生から直接は聞いていないのだが、一緒にいた仲間から聞いた話を書いておく。
あるときの授業で、人間は服を脱いでも、真の裸にはなれない。Social bodyという考え方があり、職業や社会階層、生活を反映した刻印(のようなもの)が肉体にしるされてしまう。例えば殺人事件が起きた場合、身体を見ると被害者のプロフィールが概ね分かる部分がある(農業-日焼け、腰が曲がる。鍛冶屋-火傷、爪に炭が詰まっている等)。しかし現代の日本では、服を脱ぐと、その人が何をやっているか分からない状態になってきた。どうやら現代の日本社会はかつてないほど制約(枠)がすくない状態になっているのではないかという話があった。その授業の後で先生は「今の時代・世の中だからやっていけるが、そうじゃなかったら(自分は)生きていられない」というようなことをぽつりと語ったそうだ。

今となっては爪を噛む理由はどうだったのか確かめようもないが、少年体型のままスルリと大きくなってしまったようにもみえる先生の背格好を思い出すと、どちらでもいいような気もする。
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