eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-10

「サイボーグ化する私とネットワーク化する世界」

amazonに書評を書いてみたが、不採用のようなので、こっちに転載した。と思ったら、掲載されておりました。気づかなかったなー(追記:20060602)
(以下本文となります)

おそらく、読む価値があるのは、第12章とエピローグのみ。それ以外の部分については、すでにタイトル「サイボーグ化する私とネットワーク化する世界」(NTT出版)が物語っている。
つまり、牙もなく、暖かい毛皮もなく、腕力も脚力もない人間という動物が世に現れたとき既に、生き延びるために身体機能の拡張(extension)を実行していた。衣服、家屋、武器、車、その他。身体機能の延長は、人間の本性の一部ともいえる。これが「サイボーグ化する私」ということ。
ところで、人間の活動のうち、非常に大きな部分をしているのがコミュニケーションである。さまざまな身体機能の延長のうち、コミュニケーションに関するものが、昨今飛躍的に拡張・拡大してきた。その現時点での到達点が、「ネットワーク化する(した)世界」。
要約するとこういうことになると思う。
第12章では、ネットワーク化された社会の問題点を取り上げている。
エピローグでは、ネットワークによって、イラク戦争反対のデモが発生したことについてふれているが、しかし電子ネットワークがリアルワールドに影響を与えたと言いながら、現実には戦争を止めることが出来なかったことについてはふれていない。
エピローグ全体の印象は、いわば、電子社会版古代ギリシャのポリス・市民の再現に近いが、古代ギリシャが奴隷によって支えられていたように、現代のポリス(都市国家)が誰の犠牲によってなりたつのか、という視点が欠如している。

それともう一つ。ここでいうネットワークはあくまで「言葉」によって成立するもの。つまりインターネット技術(とその応用)は、とどのつまりは言語によって成立している。もしくは言語化可能なものを重要視しているといっても良い。しかしネットワークは言語によるものだけだろうか。音楽、儀礼、食物、その他によるネットワークもある。しかし、ここでは、それはすべて排除されている。それで本当にいいのか?
これがこの本から読み取れるもう一つのテーマだと言える。

ところで、立花隆がNHKで取り上げていた、
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/
これをどうとらえるべきか考えていたのだが、やはり身体機能の延長がインターネット技術と結びつく場合を想定すれば、不思議ではない(しかし違和感はある)。
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