eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-05

六田知弘「水ノ貌」3

若い友人H君と加島画廊へ。最終日間近、これで3回目。
H君と前日に、特定の宗教をさすのではないが、しかし現実を超越したなにものかがあって、特定の宗教・宗派ではない「それ」をどう名付けるべきか、という話をしていた。
ところで、現実を超越してしまうと、現実世界からは把握できなくなるのであるが、美というものは現実を超越しつつありながら、現実にとどまっていて認識可能なものである。
今回の六田さんの写真には、それに通ずるものが現れているのではないかという話をしたら、見に行きたいということになり、一緒に出かけた。

加島画廊にいったところ六田さんがおられて、若い友人と3人で話したのだが、以下記憶に残るところを。例によってまとまりはないが。
私見では今回の写真では、現実に具体的に存在するものをストレートに撮影しただけなのに、その背後というか、対象以外のものの気配まで写り込んでしまっている気がするという話をしたら、六田さんが、今回写真を見に来た人のなかに「拝み屋さん」がいて、写真を見ながら「ここにも、あそこにもカミサマが写っている」と言っていたそうだ。とはいえ六田さん自身は別にオカルト的なものを狙って撮影したわけではない。
でも、画廊の入り口には盛り塩がしてある、といっていた。帰るときに見たらたしかに盛り塩があった。

では、カミサマ的なもの、異界に属するものについてはどうか。
六田さんの最初の写真集「ひかりの素足」はネパールで撮影で撮影したものだが、そこでの生活では、日常生活と異界が継ぎ目なくつながったような生活であった。そのなかに入りこんだ生活をおくるうちに、異界が近しいような感覚になったそうだ。そのなかでハシシをつかったときに見た夢の話が出てきた。

※以前、このblogに書いたような気がしたが、確認するとまだだったので、概要を書いておく。
六田さんがネパールのとある村に入って生活しながら写真を撮影しているとき、ハシシを進められたことがあった。ハシシの服用にはタバコにして吸うやり方と少量を食べるやり方があるそうだが、そのときは食べる方法で服用したらある夢を見た。
その夢では、地平線のかなたまで白い紙が広がっていて、自分は一本の鉛筆もしくはパステル様のものになっている。
そのなかで六田さんは、なんらかの真理を悟っていて、それを白い紙の上に自らの体=鉛筆を使って描いている。しかし描いているうちに自分の体は磨り減ってしまうことは分かっているが、描き続けることをやめることが出来ない、という夢だったそうだ。ちなみに、そのとき書いていた字は思い出せない、ひょっとして梵字のようなものだったかもしれない、というはなしであった。

そういえば、加島美術の入り口のウインドウには、梵字の写真があったが、それに通ずるものだろうか。

六田さんはロマネスク教会の写真を撮っているが、西欧中世のものを撮影する際はゴシックよりロマネスクを好むという。ゴシックの時代になると、すべてが秩序付けられており、怪物など異界に属するもその整然とした秩序になかに位置づけられ、組み込まれてしまう。
ロマネスクの写真では素朴な彫刻(怪物もふくむ)が面白いという声があるが、素朴な造形のおもしろさだけを狙っているのではない。フランスの田舎に行くと、キリスト教国のはずではあるが、いまだにあの手の怪物の類するものが家の中にあったり、生活のなかで仄見えたりする。ロマネスクの教会を見ると、怪物と人間が地続きで存在していることがわかる。混沌としているようであるが、そこが魅力である。
フランスの田舎では、じつはその混沌とした渾然としたところの生活が残っている。つまり生活のなかに、怪物に通じるような、理性主義や近代主義的ではない、それらに切り落とされてきたものごとがまだ生きている。
それが一種の豊かさにつながっているのではないか。事実、フランスでは田舎に若い人が多い。例えばパリなど都市部ですごしてた人たちが、やはり田舎のほうが豊かである、魅力的であるということで帰ってくるということがある。
都市は、基本的にはいわば理性主義がかたちになったものであろうが、そうではない原理が田舎には残っているということであろうか。

その後、六田さんから、杉本博のプラチナプリントの写真展をやっているので、見てきたらいいといわれて、銀座のギャラリー小柳に行った。
しかし、写っている対象からすると、あまりプラチナプリントである必要はないと思われた。
とはいえ、水平線のシリーズが3枚あり、じっと見ていると、海のかなたの異界にひきこされそうな印象を持った。

その後、加島画廊に戻ってきて、六田さんと少し話をして帰った。
本当は、そのとき小さな写真を買いたかったのだが、やはり貧乏なのでお金を動かす決心が出来なかった。その写真は、蜘蛛の巣を撮影したもので、8万前後だったか。
写真は引き伸ばす際に、どのような大きさにも出来るのであるが、やはり内容に応じて適切なサイズがあると思う。
この蜘蛛の巣の写真は、サイズは小さかったが、このサイズに見合う内容で、しかもある種の小宇宙のような印象もあり、家に帰った後も頭から離れなかったのだ。

けっきょく同行したH君の思った感想はよく聞けなかったので、分からなかった。
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