eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-04

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六田知弘「水ノ貌」展1。別次元の写真。

今、東京京橋の加島美術で、写真家・六田知弘さんの「水ノ貌」展が開催されている。
http://www.kashima-arts.co.jp/events/mizu_no_bo/index.html

先日見に行ったところ、六田さんとお話しすることが出来た。
それもふまえて、自分も考えなどもいろいろ書きたいが、まだ整理がつかないので箇条書きに。

・今回の写真展は、瀧を中心に写したものであった。那智の瀧とのこと。でもそれは重要ではあるが、本質的ではないことが後でわかってきた。
・最初の感想。実際に瀧を見ていると、動いているはずなのに、時間がたつと止まっているように見えてくる。その不思議さが写真として捉えられているような。
・例えば、瀧のそばによると轟音が聞こえてくる。しかし時間がたつと、その轟音は聞こえてこなくなってくる(意識に立ち上らない状態になってくる)。それと似ているようにも思える。
・芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を思い出した。

・瀧の周囲だろうか。雪景色の写真。モノクロのようだが、よく見るとカラーであった。
・池のハスの大判の写真。パンフォオーカスで、白、グレー、黒によって構成された抽象表現に近くなっているが、しかしその寸前で戻ってきているような印象。その間合いが面白い。
・瀧の写真の屏風仕立て。画廊の人が言うには、もともとある程度時代を経た屏風に、現代の六田さんの写真を貼ったもの。なるほど銀箔が貼ってあるが、酸化している。屏風としては日本間に合わせるのは難しそうだが、モダンアート的な作品として楽しむ人もいそうである(アメリカ人の富豪とか)。
・これと対になる屏風があったほうがいい。六曲二双という考え方。そちらは瀧の動に対して、静的な写真、カラーも良い。この件、六田さんと話したら、すでにある(頭のなかに?)と言っていた。
・1階は、瀧を中心にした作品であった。

・2階にあがると、まずはハスのつぼみの写真。水滴のついたクモの巣。緑の水面のうえのすこし枯れたようなハスの葉。好きな写真である。森の雪景色の写真は抽象表現の一歩手前で戻ってきているような。
・このへんで、六田さんと話をはじめた。
・まずは全体を見た感想。瀧を中心に、そのまわりの事象、時間の動きをとらえたひとつの小宇宙のように見えた。しかし後で話しこんでいくと、それだけのものではなかった。
・2階には水滴のビデオもある。1分前後のもの2本。はじめて撮ったビデオだったそう。見ていると頭がぼうっとするような、ある種のドラッグ的トリップ感。
・1階に下りて話の続き。

・この写真群は何か。抽象表現に肉薄しているが、しかしやはり具象である。さらにいえば、概念芸術に走らず、しかし具象的にただ写しとったという段階ではない。おそらく抽象と具象に分かれる以前、主観と客観に分かれる以前、そこに近づいているような印象。
・それは名付け不能なものであるが、しかし、確実に存在するものでもある。言葉にすることは難しいのであるが、それを機械の目としてのカメラで捉えている。
・六田さんは「それ」のしっぽを掴んだ感触があるという。しかし一緒にひっぱってくれる人が必要。今回の画廊の若いスタッフが一緒に引っ張ってくれた。六田さんのいろいろな引き出しから、本人も気付かないようなものを見つけてきて、これまでにない見せ方をしてくれた。
・六田さんの昔からのファンには、変わったように思われるかもしれないが、本人としては一貫している。
・私から言えば、「時のイコン」で写された瓦礫とは何か。もとは生活のなかに位置づけられ、ものとしての意味があったが、震災の津波で押し流され、意味を剥奪されたもの。たしかにそこにあるが名称不可能になったもの。それを捉えていた。その点で、やはり「それ」のしっぽのようなものは見えていたのかもしれない。
※見ようによっては単なる瓦礫でもあるが、それだけでは片付けられないものがあるゆえに、写真として撮られ、作品として成立している。
・同じように、今回の作品もたしかに存在するが、名付けられないような、安易な意味付けを拒否する(=名付けると大切なものが逃げてしまう)ようなものを捉えている。

・それにしても昔からの六田さんの写真のファンは戸惑うらしい。たしかに、「写されたものがはなんであるか」とは言葉にしにくい写真、わかりやすくはない写真である。同時に感情移入、情緒を排するような作品でもある。
・件の屏風、年配の方からは、写真が強すぎて置けないという声があったそうだ。感情移入しにくいからか。
・しかしそういうファンの方たちでも2階に行くと落ち着く。おそらく両方が必要なのだろう。

・六田さんには「宇宙を構成する五大原素 - 地水火風空」という全体計画がある。いずれはもっと大きいところでやりたいが、今回は五元素のうちのひとつである「水」を扱った。いずれすべてをそろえて、大きいところでやりたい。
・情緒、感情移入の問題、スティーグリッツ「等価物 Equivalent」は、雲を撮影したものであるが、撮影者の感情、意識と等価物という意味でそう名付けられている。しかし六田さんはそうではなく撮りたい。
・五大元素それぞれの対象は大きい。撮影する自分は部分であり、全体は部分より必ず大きいので、等価ではない。スティーグリッツ的雲、また荒木的雲ではないかたちで追及したい。

・それにしても、いずれは石に帰る。
・ただしストーンヘンジ(的なもの)ではない。あれは石そのものではなく、むしろ建築である。
・むしろ石をそのように用いたくなった古代人の気持ち、そう行動させた、その石自体の力に意味がある。それを撮りたい。

・撮影のためのこれからの時間を考えると、現在57歳である。潤沢に時間があるわけではない。そのため頼まれた仕事(美術品撮影)にはためらいがある。なぜなら撮影に集中しすぎて体力が消耗するから。
・しかし、瀧の撮影などはむしろ楽だった。つまり自分自身が一種の感光体になって、対象に向き合って、撮れるものが撮れれば良いと考えているから。いわばカメラを媒介にした依り代のようなものでもある。
・ある意味、現代写真の最先端にいるとの自負があるとのことだった。たしかに理念にも、既成の概念にも、宗教にもたよらず、カメラという機械の目だけを頼りに、ものの本質にせまっている。そしてあるレベルの達成があるように思う。
・たぶんもう海外に打ってでたほうがよい。世界レベルの写真にになっているのではないかと思う。

写真について真剣に考える人ならば必見です。
私としては、「五元素」という大きなテーマを最後までやり遂げてほしいと思う。
時間はかかりそうですが。


ちょっと俗っぽい話をすれば、今作品を買っておけば、将来コレクターに売れんじゃないかな。
お金のある人は写真を買って応援し、ない人は写真展にまめに行って見るといいと思う。
私は後者です。残念だな。
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