eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-07

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この森は誰のものか。夜ノ森の桜

今は福一原発のところと、宮城県と福島県の境のところで分断されたままのJR常磐線に夜ノ森という駅がある。
ニュースを見ていたら、夜ノ森の町の桜並木が満開になったといっていた。
今は帰れない地域であり、今後も帰還は難しいと思われる。

夜ノ森は、いわき市と相馬市のちょうど中間くらいにある。
この「よのもり」という地名の由来は、戦国時代に岩城氏と相馬氏が領地争いを行い、ここは自分の森である(余の森である)と主張したからだと聞いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E9%80%9A%E3%82%8A#.E5.8D.97.E5.8C.97.E9.96.93.E3.81.AE.E9.81.95.E3.81.84

江戸時代までは領主がおり、夜ノ森はたしかに領主の森であった。
廃藩置県以降は、具体的な誰かの所有ということはなくなり、明治期、というか戊辰戦争後に、旧中村藩士の息子である半谷清寿という人が、農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まるという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%83%8E%E6%A3%AE#.E8.8A.B1.E3.81.AE.E5.90.8D.E6.89.80
戊辰戦争後というのが、なにやら意味がありそうである。やはり内乱の傷は深かったのだろうか。

その後の歴史の流れから、夜ノ森は余の森ではなく、しいていえば世(=世の中、世間、一般社会)の森となったように思う。
だから、夜ノ森は、町民をはじめ、みんなから愛された。

しかし原発事故以降、立ち入り禁止の区域となり、夜ノ森は、誰のものでもなくなった。
けれどテレビで見た桜は満開であった。
ニュースでは、避難している人たちがバスを連ねて里帰りし、しかし線量が高いのでバスのなかから花見をしていた。
この森はいつか誰かのところに帰ってくるのだろうか。

俺にとっては、GW中に帰省するとき、特急ひたちがいつも夜ノ森駅で徐行してくれたことが忘れられない。
この駅は、駅員さんたちがつつじを丹精していて、構内のスロープ一面につつじが咲いていた。
それをゆっくり見てもらうために徐行してくれた。
今あの駅はどうなっているのだろうか。
あの駅に行けるのは、いつごろになるのか見当も付かない。

この文章を書いたのは、下の番組を見て、いろいろと思いだすことがあったからだ。
「ストレッチマンがやってくる!~福島県養護学校 奮闘記~
昔聞いた話だが、うちの叔母が以前、双葉郡で訪問の養護教諭をやっていたという。
この番組では、夜ノ森の桜の精(先生が扮している)が、せっかく桜が咲いたのに、だれも見に来てくれないのをうらんであばれるという設定になっている。
なんだか、いろいろ考えることが多すぎて、胸が詰まってしまった。

「相馬弁研究所」がひさしぶりに更新されていた。小高の桜のはなしです。
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7
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