eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-04

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個人的には映画週間のはじまり。まずは「旅芸人の記録」から

今日(15日)は9:30から新宿バルト9で、アンゲロプロスの「旅芸人の記録」を見た。
これで何度目かは数えないと分からないが、見るたびに発見がある。
というか疑問がわき出る。きっとギリシャ語が分かって、さらに時代背景まで知らないと分からない部分も多いんだろう。
それでも、大事なところは十分に伝わってきていると思う。
だからだろう、映画館はけっこう人がはいっていたように思う。

明日は「アレキサンダー大王」。今日見た宣伝用の映像ではほとんど退色していなかったが、やはり上映用のプリントは、何回か見ているあの色がすっかり落ちたプリントなのだろうか。
一度ニュープリントで見てみたい。

アンゲロプロスのあいまに「ブリキの太鼓」(早稲田松竹1/18-24)も見たいので、時間のやりくりを考えないと。

今日「旅芸人」を見ていて気付いた点。
・冒頭のエギオン駅に一座が降り立つ場面。画面右後ろからバイクに荷台をつけたような車両が走ってくる。同じように最後のやはりエギオン駅(時代を遡っている)の同じ位置に、このときはバイクではなく馬が荷車をひいている。
・駅からホテルに向かう場面。途中でホテルを間違えてある建物に一座が入ってしまう。ちょどそのときパパゴス将軍を称揚する宣伝カーが走り去るのだが、一座はその車を直接は見ないでやり過ごしたかたちに見える。これはホテルを間違える=道から外れている=時流に合わせていないことによって、右派の台頭からかろうじて逃れる(だろう)ということを暗示しているようにも見える(勘ぐりすぎか)。
・エレクトラが、軍人と逢引する場面。以前はたまたま駅で出会ったのかと思ったが、それでホテルまで行くのは無理があるので不思議に思っていた。今回見ると、やはり以前からの知り合いで、軍人が休暇を取ったときに合わせて駅に行ったのだろうと思われる(見落としているかもしれないが、このことについて映画中で説明はされてないような気がする)。このとき、軍人は靴下以外全裸になるのだが、最初は局部を丸出しにしていて(上映版ではぼかし入り)、後で恥ずかしくなって前を隠す。このとき、男の局部の状態がどうなっているかはあんがい大事な意味があるような気がするのだが。例えば、最初は久しぶりに女性に合うので屹立していたのが、萎れるとか。または終始萎れっぱなしとか。見方によっては笑える場面になるのかしれないし、寒々しいような場面になるのかもしれない。いまだにこの場面が挿入されている意味がわからないので、いろいろ気になってしまう。
・母と愛人を暗殺する前に、ゲリラになった弟と仲間たちはバーの前を通り過ぎる。バーではバンドが最初はリリー・マルレーンを演奏しているが、次にジャズっぽい曲を演奏する。このときのリズムと管楽器の演奏のねちっこさが、いかにも米英が進駐してきたというかんじなのであるが、この曲をエレクトラの妹がアパートにいったん帰って、また進駐軍と出かけるために身づくろいをしているときに口ずさんでいる。どうも当時の有名曲なのだろうか。

弟オレステスがゲリラのまま投降せず、捕縛されるが、拷問に屈しないために死刑になる。その遺体を埋めるシーンで、参列した一座は埋葬されるオレステスを拍手を持って送る。
亡くなった若松孝二監督は、自分が死んだときに同じように送ってほしいと言っていて、葬儀の際はそのように送られた。
そんなことも思い出して、映画の葬儀のシーンでは、俺も拍手したい気持になった。

16日は「アレクサンダー大王」。昨日に比べると若干人が少ない。これも大傑作なのに。
これも以前書いているが、今回見て思ったこと。
通称「アレキサンダー大王」である山賊の親方(主人公)は、ギリシャ政府との駆け引きで恩赦や土地の返還を勝ち取るが、最後の調印の場面で役人を撃ち殺してしまう。
これは、アレキサンダー大王が自分を育ててくれた女性との結婚式の際に、地主に女性を射殺されたことの意趣返しとしてやった。つまり最高に喜ばしい場面を迎えたときに台無しにされたので、同じように相手側が解決したと思いこんだ瞬間に、それをぶち壊さずにはおれなかったわけだが、それによって自らも大事なものを失っていくことになる。
「先生」(「旅芸人」のマフラーの詩人と同じ役者のようですな)は、アレクサンダー大王に、誰かに仕組まれた構図に乗せられていると警告しているが、それが何なのかは見ていてよくわからなかった。
また、最後にアレキサンダー大王は村人に踏みつぶされてしまうが、後にはトルソ状の白い大理石?の胸像だけが残っており、そこに馬が駆け抜ける音が聞こえてくる。
胸像になったということは、ギリシャ各地に残っている遺跡のように、歴史の一部になった=歴史に帰って行ったということだろうか。
しかしその歴史はまたいつでも、大理石から生身の人間に復活可能であり、だからこそもう一人のアレクサンダー(少年)は、馬の背に乗って現代のアテネ現れた、ということだろうか。
この作品は「旅芸人」のように研究書やシナリオが刊行されていないので、どうにも歯がゆい。

17日の「シテール島」は、重い映画2本を続けてみたせいか、ちょっと疲れてパスした。
18日は「霧の中の風景」だったが仕事のため行けず。残念です。これは「旅芸人」の後日談のようなところもあったはずなのでぜひ見たかったのだが、あまりさぼると首のあたりに涼しい風が吹くので断念しました。
19日は「エレニの旅」なのだが、メロドラマ的要素が強い気がして、見ないような気がする(まだ決めていない)。
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