eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-05

鷲田清一「パラレルな知性」(2013 晶文社)

鷲田清一はときどき読むが、それほど印象は残らなかった。しかし「パラレルな知性」(2013 晶文社)を読むと、いろいろと考えるところがあったので、抜書きをつくってみた。
以下は、適宜抜き出したもの。

・フクシマの原発事故がわたしたちに迫ったのは、もはや未来は白紙ではないということだ。未来はわたしたちの前に茫洋と広がる不定のものではなく、すでに「汚染されている」。そのことを勘案したうえでこれからの行動を決める、そういう事態にいまわたしたちは置かれている。
「トランスサイエンス時代の科学者の責任」 2011秋

欲望のこうした変容は、村上の描いているように(※小説「ラブ&ポップ」)時間感覚の変容を伴う。時を未来から現在へ流れ来るものとしてではなく、現在から過去へ流れ去るものとして感じるというセンスである。(中略)
「右肩上がり」の時代はそうではない。高度成長期以降、産業はすべて時を先駆しようとするものだった。プロジェクトの立ち上げから、そのためあらかじめなす利益(プロフィット)の見込み(プロスペクト)の計算、事業の計画(プログラム)、生産(プロダクション)工程、販売促進(プロモーション)、そして約束手形(プロミッソリー・ノート)による支払い、事業の進展(プログレス)の確認とその後のスタッフの昇進(プロモーション)というぐあいに、生産から営業まで、プロスペクティブとでもいうべき前傾姿勢で事にあたってきた。「先に」とか「予め」「前もって」を意味する接頭辞「プロ」がついた行動の、見事なまでのオンパレードである。先にトレンドを捉え、先に事業を起こした者の勝ち、というわけだ。
「工学離れの深因」(2011秋)


ドイツに留学中のフランス人の知り合いからも、いくつか興味そそられる話を聞いた。リセの必修科目「哲学の学級」のこと、上級公務員を養成する大学院では卒業要件として「哲学」の論文提出が義務づけられていることなど。公務員試験になぜ「哲学」が?…と訊けば、どうしてそんなことを訊くのかという表情でこんな答えを返してきた。「よい社会、一人でも多くの市民が幸福になるような社会を目指して働く公務員が、『よい社会』とはどのようなものか、『幸福』とは何かについての定見をもたなければ社会はめちゃくちゃになるじゃないか」というのである。
「知のパラレルキャリア」(2011夏)


1「教養」を失った専門家
いまから七〇年ほど前に、スペインの思想家、オルテガ・イ・ガゼットが大きく変貌しつつある西欧社会のありようを「大衆の反逆」と名づけ、専門性の意識というものが深く抱え込む錯誤について、きわめて厳しい批判をおこなった。ここでいう「大衆」とは、いうまでもなく「大衆社会」の「大衆」であるが、注意する必要があるのは、その典型として批判の矛先を向けられているのが、「市民」という大衆ではなく、むしろそれまで(そして当時もおなじく)精神的貴族とみなされていた知的専門職、とりわけ科学者と行政官僚だということである。
 科学者に向けての言葉はとくに辛辣であり、「今日のもっとも『教養』ある人びとが、信じられないほど歴史的無知に陥っている」としたうえで、オルテガはいう。「(一八九〇年代に)歴史上前代未聞の科学者のタイプが現れた。それは、分別ある人間になるために知っておかなければならないすべてのうち、一つの特定科学だけしか知らず、しかもその科学のうちでも、自分が積極的に研究しているごく小さな部分しか知らないという人間である。そして彼は自分が専門に研究している狭い領域に属さないいっさいのことを知らないことを美徳と公言し、総合的知識に対する興味をディレッタンティズム〔物好き、素人芸〕と呼ぶまでになったのである」(『大衆の反逆』、神吉敬三訳)と。
「専門性」という名のもとにサイエンティスト(ビューロクラート)は自己の限られたレパートリーのなかに閉じこもる。他の領域、つまりじぶんが無知である領域にまで発言するのは越権としてみずからに禁じる。裏返していえば、他の領域の専門家をじぶんの専門領域に受け容れようとしない。こうした「自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間」がはびこりつつある。そのような種族の人間は、かつて「選ばれた人間」がおのれに課していた「自分を超え、自分に優った一つの規範に注目し、自らすすんでそれに奉仕する」という使命をもはや内に感じることはない。そのような凡俗な人が社会を牽引している。「もはや主役はいない。いるのは合唱隊(コーロ)のみである」。そうオルテガは警告した。
「専門家と市民のカルチャーギャップ」(2006春)


学問がすぐに何の役に立つかは考えなくてもよいと、わたしはおもう。けれども、それがだれの役に立つかはつねに考えておく必要がある。幾分かは恵まれたじぶんの才能を他の人のために使うのは、「名代」という言葉にもあるように、「代わりをやって」と何かを託され、それを引き受けることである。そしてだれかに当てにされているという感覚は、なによりも研究の励みになる。
「だれかの代わりに」(2013冬)

大学の学問は私利のためになされるものではない。(中略)
 学術が市民からの一定の信頼を得、一定の国家予算がそれらに投入されてきたのは、学術が国家ならびに市民にとってある「普遍的」な価値を生みだすものと認められてきたからである。「普遍的」というのは、いかなる政治的立場や利害関係にも与することなく、私的利害を超えて「客観的な真理」を追究しているという共通了解が成り立っているということである。
「<代弁>という仕事」(2011春)


何年か前に、大宅映子さんが、ある私学での講演で、文学部という組織を次のように定義しておられた。「死ぬと分かっていて、なぜ人間は生きていけるのか、 その根源的理由を考えるのが、文学部というところだ」、と。
 人文学というもののすばらしい定義だとおもう。思想も芸術も宗教も、人が「死ぬと分かっていても生きようとする」その理由を探求するところに生まれた。思想や芸術はその理由をさまざまな流儀で表現し、歴史学はそういう(広い意味での)表現の歴史を、政治や経済を含めて考察してきた。
「実業」、つまりは行政や産業活動にかかわる人たちは、それぞれのやり方で、「幸福な社会」をもたらそうと働く。が、そもそも「幸福」とは何かという吟味なしに、慣例や流行に従って活動することほど危険なことはない。舵なしで進むことにほかならないからだ。そういう舵となるフィロソフィーをもたない官僚や企業人が国際社会で信用されなくなっているのも、当然といえば当然のことである。
「実学・実業という虚像」(2007年春)


(前略)わたしがここで考えてみたいのは<技術>としての教養というものである。ただしここでいう「技術」とはテクノロジーのことではない。むしろギリシャの哲学者たちが「テクネー」の名で呼んだ知恵に近いものである。
 古代ギリシャ哲学の碩学、田中美知太郎は『哲学入門』という著作のなかで、哲学は「知の知」である以上に「技術の技術」であるとして、次のように述べている。

〔生活の実際につながりをもつ以前の〕知は、まだ知ではないわけです。医学の知識は、病をいやし、健康をもたらすのであり、建築の知識は、家をつくる。病を治さぬ医学の知識、家をつくることのできぬ建築の知識というようなものは、無意味だということになります。哲学のためには、このようなつながりが必要なわけで、そのためには哲学の求める智も、単に知られるものについてだけ考えられる知ではなくて、知る者を医者にし、建築家にする、ひとつの力としての知でなければならないでしょう。これらは、技術として存在しています。哲学は、それらの技術の技術でなければならないのです。

 この記述に強く含意されているのは、哲学とは知の使用にかかわる技術だということである。それは「見る」こと(理論)と「つくる」こと(製作)の中間にあってそれらを結びつけるもの、つまりは第三の技術としての「使用」にかかわる技術だということである。ここで「使用」の技術とは、「目的と手段をつなぐ技術」のことであり、わたしたちの行いの最終目的は、「そのために他のすべてのことがなされる」こととしての「幸福」なのであるから、そこから、哲学は、「『何のために』、『何を』ということが、いろいろに考えあわされる、大きなつながりのうちで、人を動かし、物を動かすこと」としての《政治》の技術をもふくめて、「最上の道」、最善の工夫を求める技術」であるといえる。田中はプラトンに従ってそう述べる。そして、科学・技術がその本来の目的を逸脱し、それを使いこなすはずのわたしたちを逆に支配し、統制するようなものに反転している現代にこそ、そうした「技術の技術」としての哲学がふたたび呼び戻されなければならないというのである。知の「すべてに気をくばる」ものとして。
(中略)むしろ何が人の生の真の目的かをよくよく考えながら、その実現に向けてさまざまな知を配置し、繕い、まとめ上げていく技としての「哲学」である。(中略)それをわたしたちはここで、「教養」と名づけたいとおもうのである。
 そうすると、「教養」は高みから時代の社会を眺めるものではなく、時代の社会のなかに深く潜り込もうとするものであると言ってもよい。

 そういう視点から、わたしはいわゆる教養教育は、高年次になるほど不可欠なものになると考えている。

 人が学ぶのは、わからないという事態に耐え抜くことのできるような知性の体力、知性の耐性を身につけるためではないのかと言いたいくらいである。そういう知性の耐性を高めるジムナスティックスこそが、いま「教養教育」には強く求められているようにおもう。
「知性のジムナスティックス―大学における教養教育をめぐって」(2011冬)

 思考というものがわたしたちのうちにまずあって、それからそれが言葉にされるのではない。逆に、たいていの思考というものは、なにかよくわからないままぼそっと口にすることで、あるいは文字に書き起こすなかで、おのずと形をとってくる。言葉には思考をまとめるはたらきがあるのだ。
(略)ガブリエル・マルセルという哲学者は、「もし言葉をもたなかったら、人はじぶんが襲われている感情がどういうものか、わからなかっただろう」と書いている。
「イメージ・リテラシー」(2009年夏)

子育てについても似たことが言えるとおもう。子供に対して大人ができることは「育てる」ことではたぶんない。そこで暮らせば、人として勝手に育ってゆく、そういう場を「地域社会」として子どもたちのためにそっと用意できているかどうかというのが、その地域の成熟を測る尺度となるのではないだろうか。
「Can I help you?」(2012年冬)

(略)この「代わり」の二様、前者を<代替>、後者を<代理>と呼んでみよう。するとこの二つは、ふつう「部分」と訳される「パート」という語の二つの意味に対応することが見えてくる。
 パートという語からは、だから、パーティション(分割)とパーティシペーション(参加)という、対極的な二つの語が派生してくる。
「パートの二つの意味」(2013年春)


(略)自立というのは本当に他の人に頼らずにすむこと、つまり「依存」(ディペンデント)ではなく、「独立」(インディペンデント)であるというこというのだろうか。ちょっと考えればわかることだが、他人にまったく依存しないで生きていけるような人は存在しない。(略)とすれば、「自立」とは、いざとなったらいつでも支えあうことのできる(インターディペンデント)人的ネットワークをきちんともちえていることをいうのではないか。
「私的なもの」をめぐって(2010年冬)

ある日、もっとも年配の参加者が最後にぽつりと口にしたことばが忘れられない。司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、そのご老人が口をはさんだ。「まとめんでいい。知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに長く『家族とは何か』ということをまともに話しあったということだけで満足や」。
カフェという集い(2010年夏)

 ジャーナリズムは、ヨーロッパの近代社会の勃興期に、上流階級、支配階級の社交の場であるサロンに対抗して、中産階級の市民が、職業や階層を離れて「市民」として出会い、語り合う場であるコーヒーハウスでの自由な言論から生まれた。そこからさらに、市民による公論の形成を支えるコミュニケーションの媒体として発展してきた。その歴史を忘れたとき、メディアは耳をつんざく拡声器以上のものではなくなる。
「政治」と「政局」(2008年秋)

 柳田國男がはるか昔に予言したように、近代社会では、貧困という共通の運命に共同であたった「共同防貧」の仕組みが消えて。平均ではより豊かになれども個々の貧しい人は「説くに忍びざる孤立感」のなかでそれにさらされる「孤立貧」の時代がやってくる。
「われわれは公民として病みかつ貧しいのであった」と柳田はその著「明治大正史世相篇」を結んでいるが、彼がそれによって訴えたのは、いかなる困窮にあっても人を孤立させてはならないという一事にあった。
勤労感謝の日に(2008年秋)


新聞には「聞」という字が含まれている。「きく」である。「きく」には、「聞く」「聴く」はもちろん、さらに「訊く」という意味がある。そして「香を聞く」「利き酒」という言葉にも見られるように、嗅いで、味わって調べるという意味もある。
「時代に”添い寝”するのではなく」(2009年夏)


 明治以降、とりわけ戦後は復興から高度成長、高度消費、バブルと急激な右肩上がりが続いてきた。この急カーブの右肩上がりの時代のなかで生まれ育った人びとが、今の六〇代半ばあたりから七〇代、日本のトップを担っている世代だ。わたしは、「ああ、この人たちは未来世代のことを考えない人たち」なのだなとつくづく感じている。なぜなら、右肩上がりの時代には、どんな深刻な問題も技術の進歩によって必ず次の世代が解決してきたらからである。
 しかしながら、定常時代、停滞時代には、ひとたび大災害が起これば食べてゆけなくなるという事態が起きうる、だから昔は、孫の世代、ひ孫の世代が飢えないように蓄えておくことがあたりまえだった。
 ところが、右肩上がりの時代が骨の髄まで滲み込んでいる人びとは、きっと次の世代が何とかするだろうと信じて疑わない。そのぶん、未来の世代のために蓄えたり節制したりということをする必要を感じない。歴史のなかで、今の日本のトップ世代ほど、未来世代のことを考えずに生きてきた世代は珍しいのではないか。
 逆にいえば、このたびの震災によってわたしたちはこうしたことにやっと気づかされた。たとえば、現下の国債の増え方はだれが考えても異常だ。それを放置できてきたのは、いずれだれかが何とかするという発想があったからだ。現在さえフル回転させておけば、いずれどうにかなるだろうという感覚だ。これは個人的なエゴイズムというよりも、社会全体にある”頑張っていたら何とかなる”という空気だろう。七〇〇兆円をはるかに超える国債残高は、それを物語って余りある。
「「右肩下がりの時代」をどう生きるか」(2012年冬)

そのため(多文化共生)に必要なのは、対話である。ただし、それは「ディベート」ではなくて「ダイアローグ」としての対話だ。
 ディベートとダイアローグの違いについて、平田オリザさんが、大要次のようにわかりやすく教えてくださったことがある。
“ディベート(討論)においては、対話の前と後でじぶんの考えが変わったら負けだ。逆にダイアローグでは、対話の前と後でじぶんの考え方。感じ方が少しも変わっていなかったら、対話した意味がない“と。
「聴く力」と「待つ力」(2009年秋)
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