eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-05

新しいようで古い避難倫理

先週から、胃の調子が悪い。酸っぱい液がこみ上げてきて、やたらとげっぷが出る。これもやはり一種の身体反応なのだろう。
昨年の3月11日は実家の相馬市に戻っていたが、今年は仕事していた。それでも午後2時46分が近づいたときに事務所のうらに行き、テレビに合わせて黙とうした。1分間というのはあんがい長いものです。たくさんのことが頭に浮かんで収拾がつかなくなった。

先日から、震災に関するいろいろな番組があるが、ほとんど見ていない。先週は実家に帰省していたせいもあるが、なんだかそういうものを見たくなかった。
いつも、暇になると震災に関わることを自然に考えてしまうので、かえって嫌になったのかもしれない。

地震自体での被害者は少ないのに、そのあとの津波で犠牲者がたくさん出てしまった。それがどうも残念でならない。そして原発事故被災者については、これからどうなるのか、見当がつかない。

以前、震災とは無関係に家人と話したことがあるのだが、もし万が一のことがあった場合、子供を最優先にして、子供を助けるためにどちらかお互いを見捨てて逃げても恨みっこなしにしようと決めた。
同じように、もし自分が年老いたり、身体が不自由であったりした場合に災害に襲われたとしたら、家族や若い人が自分を助けにやってくるのはやめてもらいたい。
震災のことを今になって振り返ると、若い人が年寄りを助けるために海岸部に戻り、犠牲になったという事例が大変に多い。家族だから、身内だから、知り合いだから助けにもどりたいと思うのは当然だろう。
しかしこれからは、助けられる側は、もう助けに来るな、と若い人たちがやってくるのを拒絶すべきではないかとも思っている。
子どもを助けに来るのは、親の本能なので止められないだろうが、年寄りを助けに来ないようにするのは、理性に基づく倫理的判断(と言うのは憚られるが)としてはいけないだろうか。俺ならば、自分を助けるよりは、孫を助けてもらいたい。

そういうことを考えていたが、それを別の言い方で表現したのが「津波てんこでんこ」なのかもしれないと思いついた。これは、津波が来たら、それぞれが取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろという意味の言葉である。詳細はwikipediaにある
言葉自体は新しいが、考え自体は昔からあるようです。
それぞれが逃げる=他の人にはかまわない、というところから、逃げられない人もいるだろうが、恨みっこなし、というのは飛躍でもあろうが、こういう話もある。
NHK3月6日 クローズアップ現代「“それでも生きる” ~被災地3000人の声~」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3170.html
この中にあった話。
「地震の後、祖父母がダウン症で全盲の孫を車に乗せようとするが、車に乗せるのに手間取ってしまった。
お祖母さんが助手席に孫を押し込んだところで津波が背後に迫ってることを知り、運転席のお祖父さんに「先に行け!」という。やむなくアクセルを踏むお祖父さん。
お祖母さんは走り去る車に向かって「生きろよ! こっち見るな! 後ろを振り向くなよ! 頑張って生きろよ! バンザイ! バンザイ!」と叫びつつ流されて行った。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1289904435/472
自分の命よりも、孫のほうが大事だからバンザイと言えたのだろう。

ちょっとまとまらない話だったかもしれないが、そんなことを考えていました。
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