eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-06

タルコフスキー「ノスタルジア」

先日の「ストーカー」に続いて、「ノスタルジア」を見た。
開場30分前に行ったのだが、すでにチケット番号は80番台だった。ずいぶん混んでいます。北千住のアンゲロプロスなら10分前に行っても空いているのに。

さて、有名な映画であり、いろいろな人がいろいろなことを語っているので、自分なりの感想を少し。
タルコフスキー自身でもある主人公(アンドレイ)が、現実世界にいるときはカラーの映像、夢もしくは幻想の世界の場合はモノクロの映像となる。しかし、音楽や効果音はカラーとモノクロ画面の両方にかかったりしている場合もあったような。モノクロの幻想シーンもカラーのシーンも美しいです。

ところで、タルコフスキーは、祈りというものは、ひざまずいてただ祈るだけでは足りないと考えていたのではないか。とくに世界を救おうというような気違いじみたことを祈る場合には、たとえ狂人と思われようと何か大事なものを賭けなければならない。

ドメニコという人物がいて、狂った世界から家族を守ろうとして何年も家族と一緒に家にこもった。一般的に見れば妄想による一種の監禁ともいえる。
アンドレイはそのドメニコから祈りを託された。温泉のなかをロウソクを消さずに歩ききると世界が救済されるという。実際にそうするのはいかにも難しそうであるが、完全に不可能というわけではなさそうでもある。が、ドメニコは一度も成功していない。
アンドレイは何度か失敗したあとに成功するが、極度の緊張のせいか心臓発作(直前に薬を飲むシーンで暗示されている)で倒れる。生死は定かではないが、モノクロ画面の世界に移行したので、おそらく死んだのだろう。
そのころ、ドメニコはローマで演説をするが、世に受け入れられぬ預言者として、焼身自殺をする。
アンドレイとドメニコの祈りは結局命を賭したものとなった。
この祈りというテーマは、「サクリファイス」から続くのだろう。

ヴェンダースに「パリ、テキサス」という映画があるが、そのなかで妙に心に残っている場面がある。1人の男が高速道路上の橋の上でこの世の終わりを叫んでいるのだが、誰も耳を傾けない。しかしその様子は必死で、なんだか胸を打つ。狂人めいてはいるが言っていることも実はそんなに狂ってはいない。その男とドメニコが重なって見えた。
※ちなみにこのドメニコ役のエルランド・ヨセフソンは、アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」でも重要な役を演じています。

実家の相馬市に中村神社というところがあり、そこの案内の額に「祈りは行動の最たるものである」(詳細は忘れたが大意はこんなふうだった)とあった。
アンドレイもドメニコも、そしてサクリファイスの主人公も、一見単なる愚行のような、しかし内実においては真剣な(命がけともいえる)祈りを行うのであるが、この言葉と重なり合うように感じた。
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