eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-08

タブッキ「レクイエム」風のレクイエム

ここに来れば、あなたに会えると思っていましたよ。

そうだね、と彼は言った。ここは誰にでも開かれている場所だからね。まあ掛けたまえ。

私はあなたの作品のそれほど熱心な読者ではないかもしれませんが、それでも、あなたの小説を読んだおかげでリスボンまで行きましたよ。

そう言ってもらえるとうれしいね。それでリスボンはどうだったかね。

私はまず美術館に行きました。「緑の窓の夢」というカクテルを飲むためです。

ほう、そうかい。で、どうだった? 彼はいたずらっぽい目をしながら言った。

あなたはとんだくわせものですね。いや、むしろあなたの虚構の毒にやられたのかもしれない。私は美術館に入って、まず案内図を見ました。barはあるだろうか。しかし案内板には部屋ごとの展示について書いてあるだけで、くわしいことは分かりませんでした。私は日本人である以上、やはり最初に南蛮屏風を見に来ました。いや、そうではないな。入口のそばにあるから行っただけで、ほんとうは「聖アントニウスの誘惑」を見たいと思ったのです。ボスの作品はすばらしかったが、そこには細部を拡大して描く複写画家はいませんでした。これはまあいい。私は妻に言いました(夏休みで妻と旅行中だったのです)。どこかに洒落たbarがあるはずだ、そこで少し休もう。
飛行機を乗り継ぎリスボンに着いたばかりで妻は疲れていたのです。私は、妻を椅子に座らせてレストランに行ってみました。そこには休暇中のアメリカ人学生がたくさんいました。むしろ学生食堂風でした。ここではカクテルは出ない。私はそう思って、他の階を見てまわりました。この美術館はそれほど大きいものではありません。私はようやく、あなたの虚構を真に受けてしまったらしいことに気付きました。

君はもうちょっと注意深く小説を読むべきだったね。他の料理も、現実にあるものと虚構のものが同じように書かれているだろう。それはポルトガル語からイタリア語への訳注に出ていたはずだが。

ええ、おっしゃるとおりです。そして、私は妻になじられました。だから小説好きは駄目なのだと。妻は、ヴェンダース監督の「リスボン物語」を見たので、私のリスボン旅行に賛成したのです。妻にいわせれば、文字による虚構よりも映像による虚構のほうが「罪」が少ないということです。この「罪」という意味は私にはまだ分かりませんが。

例え妻であっても女性は永遠の謎だね。でも、君たちのけんかの原因になったのだったら申し訳なく思う。

いや、そんなことはありません。彼女は「リスボン物語」の舞台になった町、とくに教会に行ければそれでいいといっていましたので、けっして気を悪くしたわけではないのです。




ところで、私はあなたのあまりよい読者ではない、と言いましたね。そのことを話したいと思うのです。

それは、いわゆる日本風の言い回しだろうか。わざわざ来てくれたわりには失礼な言い方かもしれないね。

そういうつもりはないのです。
つまりこうなのです。私は「レクイエム」のビリヤードのシーンが好きで、人と話をするとき、よく取り上げていました。私はあなたが亡くなったことを知って追悼の意をもってこの小説を改めて読みました。そしてアレンテージョ会館で主人公がビリヤードをする場面で驚きました。わたしのなかでこのシーンは、こうなっています。
勝負相手のボーイ長が最初に突いた球筋が巧妙で、次の球の突き方は非常に難しいものとなっている。主人公は追いつめられており、勝負に勝つためには、盤面に散らばった球をひとつの脈絡あるものとしてとらえなおし、次の球筋を見いださなければならない。それはこれまで体験してきた様々なこと、自分にとっては筋道があるのだが説明しにくいこと―それは他人から見れば単に脈絡がない羅列にすぎない―を貫く、見えざる道筋を発見することと同じで、それができてはじめて主人公は、自分の人生を肯定できるし、その後のことに進める。そして主人公は奇跡的に成功する。
でも作中で主人公がプレイするのはおそらく四つ球です。アメリカ風の球の数が多いゲームは粋ではないというセリフがある。しかし私の思い描いていたゲームはよく考えるとナインボールです。そして私は過去に重点を置いて考えましたが、主人公はこの困難なゲームを乗り越えることが、イザベラに会うという困難を克服すること、つまりこれから先のことと重ねられている。だから、私はまったく誤読していて、あなたの作品を好き勝手に改変して、じぶんの話をしていたにすぎないのです。いったいどこを読んでこうなったのでしょうか。

君の誤読も面白いといえばいえる。でもそれはもう私の小説ではないね。

だから、もし良かったらこう思ってください。私はあなたの作品世界を自分なりに読み、さらにいえば生きた。その証拠に、あなたの小説が私の鼻面をつかんでリスボンまで連れていったのです。そして私なりの別の作品が、もう一つ出来てしまったと。




それにしてもリスボンというのは首都というには少しさびしい町ですね。なぜ、あなたはイタリアから移ったのでしょうか。あなたが教師をしていたシエナもよい町でしたのに。じつは、リスボンに行く前にシエナに寄ってきたのです。カンポ広場のそばにうまい魚料理の店がありました。ということは、私はそれほどわるい読者ではないようですね。

リスボンに移った理由は、もちろんペソアに魅かれたからだ。でも、それだけではない。
最後のファシストであるサラザール政権は、1945年以降も続いた。サラザールの最後の数年間は小説よりも奇妙なものであった。ちょっと小説にしたいほどでもある。その間の植民地戦争で、ポルトガルは1970年代になってやっと戦後を迎えたようなものだった。私は1943年の生まれだ。戦後の風景が幼いころの記憶と重なったという部分もある。また、サピア・ウォーフの学説を知っているだろう。

ええ。使う言語によって、ものの考え方は変わりえるという説ですね。

簡単すぎる要約だが、まあそういうことだ。私の書きたいものはイタリア語ではなく、ポルトガル語が一番ふさわしいことが分かったからね。では、私が書きたいものとはなんだろうか。社会性が強い作風だといわれることもあり、それはたしかなのだが、それにもまして、いま、ここにないものを愛惜するという感情が強いらしい。それを書くための言葉としてふさわしいのがポルトガル語だった。

「いま、ここにないものを愛惜する」という言葉がありましたね。そのことと、あなたの作品のなかにある鎮魂の気配は関係があるのでしょうか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは読者が決めることだよ。




ところで君は日本のどこの出身かね。無理だとは思うが、消息を知りたい人がいるんだ。

私もその話をしようと思ってここに来たのです。私の故郷は日本の東北部です。去年の地震では大きな被害があったところです。幸い身内に被害はありませんでしたが。

そうかい。大変な経験だったろう、どういう言葉を言うべきか私には分からない。で、私に知らせたいことってなんだろう。

あなたの「レクイエム」の翻訳者がどこに住んでいるかご存知ですか。

スズキさんのことかね。彼は日本の北部センダイに暮らしていると聞いたことがあったので、地震に関係があったのか心配だったのだ。

そうです。スズキ氏は東北地方の仙台という町に住んでいます。この町も、とくに海沿いの地域は津波で壊滅的な被害を受けました。彼は内陸部に住んでいたので無事でした。
しかし、この町は、電気、ガス、水道がしばらく途絶え、復旧するまで時間がかかったそうです。私の知人がたまたま彼を知っていので、間接的に彼が無事であることが分かりました。そのことを伝えたいというのが、今回ここに来た理由の一つでした。

そうか彼は無事か。ほんとうに良かった。
君はリスボンの大地震について知っているだろう。1755年11月、リスボンは直下型の地震に襲われた。母なるテージョ川は逆流し町を襲った。火災は都市を焼き尽くすまで6日間燃え続け、7日目安息日を迎えたかのようにやっと火が収まった。そして私はイタリア人だ。地震の怖さは知っているつもりだよ。
当時、この地震によって知識人は深刻な影響を受けた。ひとつには創造主である神は必ずしも人間の側に立つものではないこと。もうひとつは、やはり人間は自然には太刀打ちできないということ。たぶん、今回の地震も、それまでの世界を支えていた思想がもう通用しないことを意味するだろう。ただ、それについて言い表す言葉はまだ生まれていない。
そして原発の爆発事故。私は黙示録の世界が出現したと思っている。これは世界史に残る事件だ。想像力は、知っている人がそこに居ることによって、はじめて実際に活動しはじめる。スズキ氏との関係が紐帯となり、今回の地震と原発事故について考えをまとめたいと思った。ただ私にはこのことについて十分に考え、書く時間はもうなかった。




ところで「フェルナンド・ペソア最後の三日間」という作品がありますね。あれは美しい作品だと思います。私もあなたの最後の三日間について考えてみましたが、なんだかコメディになってしまいましたよ。いいや、コメディだと三日間は長すぎる、「最後の三十分」でしょうか。

それはちょっと聞いてみたいな。私は、教会に響き渡る荘厳な音楽よりも、俗っぽい小唄端唄を好むほうだから。

そういってもらえるとうれしいな。あなたはマルクス兄弟というコメディアンを知っていますか。

知っているとも。私の幼いころは、イタリアでも知らぬ人がいないくらいの人気があった。

では「オペラは踊る A Night at the Opera」という映画をご存知ですか。

いや、どうだったろうか。詳しくは覚えていない。

この映画のなかで有名なシーンがあるのですが、兄弟がもぐりこんだ客船の船室に、いろいろな人がやってきてだんだんぎゅう詰めになってくる。最後に女性が船室のドアを開けると、なかから全員が雪崩をうって溢れ出すというものです。
同じように、あなたが最後を過ごす病室をペソアとその分身である詩人たちが訪れる。でも、お互いに話し込んで誰も帰ろうとしない。その会話は文学的でもあり、俗っぽくもある。そのうちにあなたの作品中の人物も集まりだす。「夢のなかの夢」にでてくるラブレーやランボーまで現れて議論する。マヤコフスキーとチェホフが人妻との報われぬ恋について話し合ったり、フロイトはペソアの精神分析をしようとして、しかし寝椅子がないので、ペソアをあなたのベッドに割り込ませようとする。タブッキさん、死の床についているときに恐縮ですが、少しベッドを詰めてもらえませんか、と申し訳なさそうに聞いてくるフロイト。なにしろペソア/Pessoa(ポルトガル語のperson)のpersonaを診ようとするのでややこしい話になる。でも、みんなペソアの分身であり、あなたの創造した人物でもある。あなたは拒むことはできない。だんだん病室は人でいっぱいになってくる。そして最後に「煙草屋」が現れる。すると水兵姿のあなたの父が煙草を買おうとする。あなたは若き日の父にこう言います。父さん、あなたは咽頭癌で死ぬことになるんだから、煙草なんてやめてください。そういって無理に父から煙草をひったくろうとするのをきっかけに、人混みが崩れて全員病室からこぼれてしまう。そして、あなたはご臨終。ペソアとその分身、登場人物に囲まれながら、ともに地上から去っていく。

いやはや、とんでもない話だな。怒るべきか笑うべきか。ひとつ質問があるがいいかい。

ふざけすぎましたかね、なんでもどうぞ。

このあと、この連中はどこに行くのだろうか。天国かそれとも地獄か、さあどっちだろう。

この人たちは、やはり虚構という毒に犯されているので、まっすぐ天国に行くことはできないでしょう。ではどこに行くか。この場面はcomedyでもありますが、文学的にはdivine(聖なるもの)であるとも感じられます。the Divine Comedyといえばダンテの「神曲」のことですね。だからまずは地獄門から入って、でもそれほどの罪は犯していないからすぐに煉獄に行くのでしょう。そしてさまざまな遍歴を繰り返すのです。それにあなたは旅が好きだから、苦ではないでしょう?
そして、たぶん500年くらい後の文学史には、こう書かれています。
・アントニオ・タブッキ。20世紀のポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの「異名」のひとつ。散文小説を書く際に用いられた。社会性と抒情性を兼ね備えた作風で知られる。代表作「レクイエム」等。

ほう、ちょっとおもしろいね。いったいどうしてこんな奇妙なことを考えたのかね。

それはあなたの「こわれた小説」もしくは「できそこないの物語、決着のつかない物語」を読んできたから、私の頭もこわれたのです。つまり私なりにあなたの小説を生きるということはこういうことなのです。あなたがペソアの作品を生きたように。

そうかい。ありがとう。君の設定では、我らはいつになったら天上界に行けるのか分からないように思うのだが、文学史の話は少しおもしろかった。なにか救いがあるようで、私の趣味にもあう。作中の登場人物にも愛情をかけるのが私の主義だからね。
ところで、そろそろ夜が明けそうだ。君も帰る時間じゃないのかい。





カーテンを開けるとまだ桜は散っていなかった。ときは春、今年は満開になってから寒さがもどったので、花が長持ちしているようだ。別れ際に、さようならと言うべきだったか、それとも、おやすみなさいがふさわしかったか。でも、私は今はこういいたい。みなさん、おはよう。そして、古いカメラEOS-RTに、今年で生産中止になるフィルム「リアラ」を詰めて出かけよう。
行く春をリアラで撮りて惜しみおり。タブッキ先生、さようなら。


・アントニオ・タブッキ Antonio Tabucchi、1943年9月23日 - 2012年3月25日


※以下、タブッキに関する書き込み
・アントニオ・タブッキが亡くなった。
・聖アントニウスの火、もしくはタブッキはミスったかw
・アントニオ・タブッキ「レクイエム」
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