eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

双葉郡の将来像

先日twitterに書いたことをまとめてみた。漱石は新聞連載というフォーマットを利用し、連載1回ごとのブロックを構築することにより、一種の建築的(構築的)文学作品を作った。それにあやかれるはずもないのだが、140字という制約を、文章と思考の1ブロックとして連続的に書いてみた。
ちなみに、今回の文章は、「戻らない」52% 福島大が双葉8町村の全世帯対象に調査等のニュースをみて、以前から考えていたことを整理してみた。
以下本文です。

まとまったことをblogに書こうかと思ったが、腰が痛くて考えがまとまらない。こういうときは思いつくままにつづるに限るということで、書いてみる。あとで良いとこだけまとめるか。さて、腰が痛いので精をつけたいので鰻が食いたい。近所で梅1400円也。
しかし古書店で今道友信先生「わが哲学を語る」を同じ値段で見つけた。どちらを選ぶべきか。ところで今道先生は「エコエチカ」にてアリストテレス的行為の三段論法について重大な指摘をしている。
アリストテレス的に考えれば、行為については、大前提(目的)→小前提(手段と選択)→結論(実行)と進むが、近代以降逆転が起こった。まず手段が先行し、それに合わせて目的が選定され、実行(行為)される。典型的例として原子力が挙げられる。
まず第2次大戦時、戦争に勝ちたい(大前提)→強力な武器として核爆弾(小前提)→広島長崎投下し日本敗戦(実行)。ここまでは古典的な発想である。さて、ここからが問題である。核分裂の強力なパワーを戦後どのように使うべきか。その答えが原子力発電所である。
整理すると、核分裂の強力なパワー(手段)が既にある(大前提)→それを何に使うか(目的・小前提)→発電所の建設(実行)となり、これまでの大前提と小前提が逆転したhttp://p.tl/XD9L。つまり、たまたま手に入れた力の使い道を考えたら発電くらいしかなかった。
たしかに原発では核燃料でお湯を沸かしているだけで、高価で危険な巨大薬缶のようなものだ。蒸気タービンを回すのなら石炭でもOK。そして単なる薬缶だから空焚きしたら底が割れる。福一原発事故は言ってみればそれだけの話。しかし、薬缶が壊れりゃ大やけど。やけどの治し方が分らない。
今年3月、薬缶から毒水と瘴気が漏れ出した(今もなお)。誰も掃除の仕方が分らないので、水を撒いて擦ってみた。これが除染。しかし、水と一緒に核物質は流れる。流れる先は太平洋。もしくは循環してまた福島の美しい山河に降り注ぐだろう。一体ここに住み続けられるだろうか。

さて、話を土地柄に変えてみる。福島県浜通り、原発が林立する双葉郡とはどういうところか。今手元にないが天明期、古川古松軒「東遊雑記」(東洋文庫)では、相馬あたりいろいろある。磐城に下がればもっとある。しかし中間の双葉あたりはとくに目立ったものはないと書いていたはず。
私が叔母の家(木戸)に行った時も、人影少ない農業中心の地域であった。そういえば海のそばだが、川で泳いだ。つまりあのあたり砂浜があまりなかったはず。ただし浪江町は港もあり特急も停まり賑わっていたが、それ以外は原発以外あまり話を聞かなかった。Wikipediaの記述も同じ傾向

さて原発事故以来、今に至って警戒区域解除、除染とともに帰郷という話が出ているが、それで良いはずがない。第一、事故はまだ収束していない。先日の2号機核分裂のニュース、あれは未だに人間が管理できていない証拠。事故も収まらないのに人を事故現場に戻す人非人がいるものか。
では、いつ戻れるのか。事故の収束を核燃料の取り出しと考えれば、最低30年。冷温停止としても本当に安定するのは数年かかるだろう。もし帰郷しても、時々核分裂やら再臨界するのなら、人が住む場所ではない。そうは言っても、先祖伝来の土地を守りたいという気持ちがあるはず。どうするか。
幸か不幸か、老人は細胞分裂が不活発なので、核物質の影響を受けにくい。一方、乳幼児~若い世代は影響を強く受ける。ということは年寄りは居住可、若い人は居住不可となるはずである。では、具体的にどういう生活になるのだろうか、その一案を書いてみる。
まず、若い人が集まって暮らすための場所が必要。いってみれば新双葉町(郡ではなく)の樹立、亡命政府みたいなもの。場所はどこか。できれば双葉郡のような海のそばで農業可能で、雪の降らない乾燥気味の土地だろうか。しかし、贅沢は言えまい、過疎の地域に集団入植するのだろうと思う。
これは江戸時代、天保の飢饉で人口激減後に北陸から禁を犯して入植者を集めたのと逆である。「虹のたつ峰をこえて」新開ゆり子http://p.tl/DXD1を思い出す。土地は全国にお願いするのが良いんだろうと思うが、できれば線量の低いところで、それほど遠くないところが良い。
土地の選定は今の私の手に余る。そこでは若い世代を中心に、双葉郡町村の伝統を語り継いで暮らすのだろう。そして若い世代が年老いたとき、つまり放射線の影響があまり出なくなったら郷里に戻ればいいのではないか。ちなみに、私は今東京だが、子育てが終わったら相馬に戻ることを考え始めた

そして、現在の双葉郡はどうなるか。まず最低限のインフラの復旧が必要。これは原発事故収束事業のためにも必要である。そして、双葉郡で死にたいという人たち(おそらく年輩の方)が暮らせるような体制を作る。これは東電と国の責任であり義務だろう。
具体的には生活物資の供給、電気・ガス・水道・通信網・交通・医療体制あたりだろうか。これらについては、原発収束作業のため人員・設備とある程度兼用できるのではないかと思う。例えば、収束作業者用の病院が今後できるだろうと思う(専門は放射線障害と外科精神科、循環器科かな?)。
土地に残った人はそこで医療を受ける。生活物資の供給も、収束の資材と一緒に運べばよい。ゴミは山に埋める(3月までそうやってたかな)。そして、徐々に帰ってくるだろうと思われる壮年後期・若い老人がその地域の運営をして、双葉郡を現地で存続させる。
ようは、無理に今の双葉郡に若い人を留めるべきではないということ。それは、若い人の将来を考えたら絶対に強いてはならないはずである。土地の伝統と歴史というものがある。しかし、それは将来があってこそ意味があるもの。人がいなくなった土地の歴史を語っても空しい。
過去の歴史は、未来につながるからこそ意味がある。未来がなければ歴史はそこで断ち切られ、無意味なものになる。いま、浜通りは、そのような危機にあるとも言える。天明天保の大飢饉以上の最大の危機であろう。あのときは二宮尊徳の教えを頼りにした。しかし、今は何があるか?
原発事故を収束し、そこで暮らせるようにする方法は、これから作るしかない。その方法は世界中の人に助けを求めるしかないが、時間がかかるだろう。その間どうするか、智恵を絞り、被害を出来るだけ少なくしながら、しかし暮らせる範囲(空間・時間)を広げるしかない。
しかし、いずれにせよ時間がかかる。その間に故郷は消滅するかもしれない。ではどうすればよいか、そこを中心に考えてみた。以上、思い付き中心で勝手なことを書いたが、不快に思われる方がおられるかと思う。その方には申し訳ないと先に謝っておきます。

ちなみに今道先生のご著書はまだ買っていない。頭を使う前に体調を整えるため、やっぱり鰻を食べようと決心して出かけたが、途中でなぜかラーメン屋に入ってしまって、それきり忘れてしまった。
でも、まだ本は売れてない。それも少しかなしい。
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