eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-11

週刊新潮の原発事故関連記事「御用学者と呼ばれて」について

週刊新潮の原発事故関連記事「御用学者と呼ばれて」(なんか、昔の「不良少女と呼ばれて」みたいな風情ですが)を読んで、いろいろ言いたいがあるので書いてみます。
なお記事の内容は、概ね3つくらいの柱に分れるようです。
1.御用学者と呼ばれて信用されない。(その結果、これからいろいろな問題が起こるだろう)
2.政府に助言したのに、言うことを聞かなかった
3.御用学者は、普通に予算がつくだけで、見返りはない。一方、反原発派の学者には、別の意味で見返りがあるのではないか。

例として、1について。
澤田哲生(東工大助教)
・ニュース番組のコメンテーターから、「先生は大丈夫と言っていたのに最後には裏切られた」と言われた。しかしある条件下ではこうなる可能性があると、科学的知見に基づいて真摯に答えてきた。
三橋紀夫(東京女子医大教授)
・科学者として手に入る情報できちんと答えると、御用学者と呼ばれるのは心外です。
奈良林直(北大教授)
・専門家の発言を封じる社会はいけません。
松本義久(東工大準教授)
・科学者として正しいことを言うのが学者の最大の原理。

→「科学的知見に基づいて真摯に答え」ても、予想が外れたので、嘘吐きと言われても仕方がない。「科学者として手に入る情報できちんと答え」ても、手に入る情報が東電からのものであれば、情報自体の信用性は低い。実際、専門家であるはずの東電は後だしでいろいろ情報を修正しているものな。「科学者として正しいことを言」っているつもりだったのだろうが、予測が外れれば、残念ながら信用されない。それをさして、「専門家の意見を封じ」ているとはいえない。信用されていないだけです。そしてこの場合の専門家=科学者が信用されない理由を考えてないといけないのではないかな。で、私もこの件ちょっと考えましたので、後で書きます。

ところで、大学では分りませんが、普通の仕事の場合、失敗したけど一生懸命やりました、では通りません。彼らは、原発の危機的状況(今もそうだけど)の際に、ある種の予想と対応の仕方を求められたのだが、その予想は外れて福一原発は4機も爆発した。その事実を前にして、科学的根拠をもとにしているのだから信頼せよ(というか御用学者と呼ぶな)というのは世間的には(普通は)通らない。

2について
奈良林
・アメリカでは専門家が政府に助言する、それが本来の御用学者。
三橋
・個人の被曝量のモニタリングが必要だと学会として政府に進言したが、後手に回った。

→政府に助言する学者が、全て御用学者と呼ばれるわけではないだろうと思いますが、それは揚げ足取りとして。このへん、学者として仕事(進言)はしたのだが、政府が聞いてくれなかったのが悪いという、一種のアリバイ発言のようでもある。しかし、一般人が学者、専門家に期待するのは、こういう場合にこそ、あるべき方向に政府が動くよう強く働きかけることであって、「アドバイスしたけどダメでした」ではお話にならんのです。この件、ヨウ素剤服用の件を政府に進言したがダメでした、といった鈴木元・国際医療福祉大教授に通ずる無能さで、よく似ている。諌死せよとは言わないが、うまく進言が通らなかったときは自ずから恥を知って、人前に出ないようにするのが昔ながらのあり方です。

3について
今回の記事では、どうやらこのへんのことが言いたいようです。つまり、御用学者が役人から金を配られているのだろう、と思われているように、非御用学者(反原発派)もどこからか資金が出てるんだろうと言いたいわけで、御用学者だけを悪く言うなと言いたいのでしょうね。
この件については、東電から流れ出る金額、および同じく政府経由で流れる金額の多さを知ると、やはりどうも信用できかねる(どちらも私たちの税金ですけどね)。

この件について言うなら、御用学者も反原発派も「ひも付き」の発言をしてるのであれば、1.どちらも信用しない、2.学者は良心をもつので金で意見は動かないとして両方信用する。3金の出所次第で判断する、の3つの態度があろうが、この件についてはどう考えるべきか。
今回については、実績から考えたい。というか、実績があれば、普通の人は「さすがお国と一緒に仕事している人達は違う」と称賛の声をあげたはず。そうはならなかったので、こういう記事が出て、御用学者と呼ばれた人たちがぼやくわけです。
精査するとキリがないので、要点だけ。
・原子炉は爆発しない→爆発した。
・津波のせいで電源喪失したので壊れた→津波の来る前に、地震で配管が壊れて冷却不能になって壊れた。
・政府は除染が遅い→除染が遅いといって現地に向かったのは、この人たちではない。例えば木村真三氏は、放射線医学総合研究所に勤務していたわけだが、誰もこの人を(元)御用学者とか言わないでしょう。
いろいろ言えばきりがない。

以上長々書いたが、実はこれからが本論(でも短い)。
原発事故以前、国民が御用学者の言うことを信用していたのは、科学的に論拠があり、それに対して理性的に納得していたからではなく、偉そうな人が大丈夫だと言っていたのでそれを信用してみただけである。
原発事故以降は、信用していた学者の言うとおりにならなかったので信用しなくなったが、事故以前と以後のどちらも、国民の判断基準は、科学的根拠とは無関係であることは変わりがない。

しかし、今後していかなければならない除染作業、収束作業等は科学的根拠に基づいて行わなければならない。また個人の日常生活においても、何を食べ、飲み、どこで、どのように生活するかという具体的な場面で科学的根拠に基づいて判断し行動しなければならない。
私としては、原発推進派学者の信用がなくなるのは仕方がないと思うが、羹に懲りてなますを吹くの言葉通り、科学的発想自体が否定されるようなことになりはしないかと危惧する。
長期的にみれば、反科学主義的発想、論理的思考に基づかぬ感情的、もしくは前例踏襲的図式に則った考え方をする人が増えてくれば、結局は原発事故の収束および放射性物質汚染下での東日本の生活がうまく立ち行かなくなるだろう。それを最も恐れる。

とか書いていたら、今年中に原発事故を収束させるなどと日本の首相が国外で大語壮言した。収束作業を急がせること、即ち無理な作業により作業員の危険を増やすことである。急がば回れともいう。無駄にゆっくりやるのは論外であるが、作業の迅速化は可能な範囲内にとどめてほしいと思う。とくにこの方のtwitterを見るとそう思うhttp://twitter.com/#!/Happy20790。この方々には頭が下がります、一方、東電本社に対しては、頭に血が上ります(対句表現)。

また、福一原発で9月23日には「格納容器配管から水素検出=1%超、爆発の可能性低い」と言っておきながら、http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109230040.html、9月24日には「水素を含む可燃性ガスが100%以上」で実は100%を越えていました、昨日の1%というのは100%を超えて101%という意味です、とか言ってるhttp://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109240045.html
http://www.fnf.jp/bb10/mbbs.cgi?mode=view&no=30201&page=1

この期に及んでこのような嘘(わざと間違えるようなものの言い方)をすれば、普通はぶち殺されます。先ほどの話にもどれば、原発のデータを最も持っているのは東電だろう。しかしこのように信用できないデータをもとに推論するであろういわゆる御用学者を、科学的意味で信用せよと言われても、やっぱりちょっと無理です。
このへんのことは、頭が良い学者先生方、官僚や政治家の皆さんには、かえって分らないかもしれないが。
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