eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-04

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現代の儒者を見た。

とか言ったら大袈裟すぎるか。そうでもない気がするが。

※ちなみに「儒者(儒学者)」については、wikipedeiaの記述が適切である。
「儒学者(じゅがくしゃ)は、儒教を自らの行為規範にしようと、儒教を学んだり、研究したりする人のことである。儒者(じゅしゃ)、儒生(じゅせい)とも呼ばれる。
日本で、儒教を研究している学者は多いが、そのほとんどが、儒教を信奉したり、儒教の説くやり方に則って生活をしたりしようとしていないため、儒学者とはいえない。こういった儒教非信奉者でありながら、儒教を研究する学者は、「儒学者」といわずに、単に「儒教研究者」と呼ぶべきであろう。」


論語「子罕第九 六」にこういう一節がある。
「吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也」
・吾少(わかく)して賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子、多ならんや。多ならざるなり。
・私は若い時には卑賤な身分だったので、色々な小さなつまらないことが得意になったのだ。君子は多芸であるべきなのだろうか、いや、多芸であるべきではないだろう。
http://kanbun.info/keibu/rongo0906.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo009.html

8月28日夜、NHK教育「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3」を見ていた。このシリーズは欠かさず見ているが、今回は木村真三氏が二本松市で、ある住宅の除染作業をするという話であった。屋根の除染作業をする際、NHKの記者に「このような作業はやったことがないのでは」と訊かれた木村氏は、安全帯を締めながら「研究の仕事が出来ないときは、いろんな仕事をやっていたので、この手の作業の体験がないわけではない」というようなことを照れたように言っていた。それを聞いて上記の一節を思い出した。
孔子は、若い時にはいろいろと苦労してきたが、やはり道を説くことをやめなかった。木村氏も、大学や研究機関に所属できなかった時期は塗装工などやっていたこともあるというが研究の道をあきらめなかった。しかし311以降、その地位をなげうって福島県で調査を始めた。
http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/351.html

また、木村氏は、当初、除染作業を自分がするのは大変なのであまり気が進まなかったが、里帰り出産でその家にいる生まれたばかりの赤ん坊を見て、除染しなければやらなければならないと思い、作業することにしたといっていた。
ここを聞いて、今度は孟子の一節を思い出した。
孟子「公孫丑章句」の有名な部分である。
「今人乍見孺子將入於井、皆有怵惻隱之心」
・今、人乍(にわか)に孺子(じゅし)の将に井(せい)に入らんとするを見れば、皆怵(じゅってき)惻隠(そくいん)の心あり。
・今、子どもが井戸に落ちようとしているのを見たら、人は誰でも驚き慌てて、居ても立ってもいられない気持ち(子どもを思いやり痛ましく感じる気持ち)になる。この惻隠の心が仁の始まりである。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/moushi003.html
http://suzumoto.s217.xrea.com/website/mencius/mencius03-06.html

木村氏は、放射線の影響を受けやすい赤ん坊が線量の高いところで暮らし続けるのを見ていられなくなって、二本松市役所と一緒に、自ら除染作業のモデルケースに取り組んだのだろう。これこそ惻隠の情ではないだろうか。
木村氏自身がどのような方なのかはよく知らないのであるが、研究者として、またそれ以前に一個の人格として、立派な方なのではないかと思う。論語でも孟子でもいいのだが、言うは易く、行うは難い。このような方が存分に腕をふるうことが出来れば、福島県はまだ救われる見込みがあるかもしれない。

人によっては、除染するよりも、汚染された土地をすぐに離れたほうがよいという意見もある。そういう考えからすれば木村氏のしていることは生ぬるいのかもしれない。
しかし、福島県に限らず、東北地方、またどこの田舎でも、先祖が営々と耕してきた土地から、よそに行くのは非常につらいことであろう。土地=自分というような結びつきであれば、土地から身を離すことは文字通り自分の体を切り離すのと同じ痛みがあるのではないか。だから、住み慣れた土地に、元通りではないにしてもある程度安全が見込める状態に除染するということは、現実的にはこれ以外の方策はなく、効果的な除染は大きな意味がある。

ちなみに町全体の除染は伊達市が率先して着手し、県、国のレベルでは、それの後追いをしている。これは郡山市が校庭の除染をはじめ、あとから県と国がやり始めたという図式と同じである。
県知事と県職員、大臣と官僚は、田舎の小さな町の市長・職員らに行政の面で劣るということなのだろうか。
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