eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-04

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いがらしみきお「I」

いがらしみきおは、自慢ではないが(ほんとに自慢にならん)「ネ暗トピア」前から知っており、つい、いやらしめけお等と読み替える程度にはファンだった。
「ぼのぼの」以降はあまり漫画も見なくなり、「忍ペンまん丸」も3巻までしか見てない。
それでも、気になる作家ではあり、先日の朝日新聞の書評で「I」を取り上げていたので、買ってみた。

震災以来、神やら仏やらの存在について考えることも多いのであるが、いがらしみきおが神についてどう語るか、興味があった。
そういえば、震災後の同じく朝日新聞にいがらし氏が文章を書いていて、不思議な違和感を感じたことがあった。たしか、神とか許しとかそういう話であったが、なんでこのような話が出てくるのか、よく分からなかった。しかし、この作品を書いていたので、自然とそうなったのだろう。

ちなみに、いがらし氏の文章は、この震災を起こした神?さえも許すような内容であったが、私自身としては、こう考えている。神という存在を考えるとき、一神教的な絶対者としての神(大文字のGOD)と、ギリシャ神話や古事記のような多神教的な神がいると考えられているようだが、後者の多神教の神々は、結局は人間の延長に位置するもので、例えば今回のような大震災が起これば、一緒に流されてしまいそうではある。言い方を換えれば、神を信ずる人までも津波で押し流してしまったら、この神々は存在しなくなるであろう。
一方、絶対者的神というものは人間の知覚でとらえられる存在ではないようなので、いてもいなくても同じである。震災が起ころうと原発が爆発しようと知ったことではないのだろう。そういえば、このような神を信ずる民であるユダヤ人は、60年余り前、神と契約していたにもかかわらず救われなかった。
いろいろ考え合わせると、自分にとっては、むしろ神なき宗教である仏教(と書いてしまっていいのか)のほうが、人生の不条理に向き合ううえで意味があるというようなことを考えていた。このへん大雑把で飛躍がある考えなので、気持ちを害された方がいれば謝りたい。

しかるに、いがらしみきおの「神様」は、そのどちらでもなかった。「神」というよりは「神様」であり、むしろ漢語のにおいがうすい(=より土着的な)「かみさま」なのかもしれない。例えば、「拝み屋」やらイタコやらのような、人の上にたつでもなく、しかし異世界に繋がっているような存在として描かれている。また、イサオ(神様)には、補佐役である雅彦がペアになっているが、面白いことに卑弥呼も補佐役として弟が使えていたという。学生時代に習ったところでは、東アジア一帯の神様は、このように神様+補佐役で一組という場合が多いと聞いた。

さて、この物語、いったいどこに続いていくのか、想像がつかない。
宮城県で大震災を体験したいがらしみきおは、これから先なにを描くのか、期待のような心配のような気持ちがある。
ところで、この漫画を掲載している月間IKKI(小学館)の今号の表紙が、いがらしみきおの手になるもので、すばらしい。震災後の瓦礫のなかで、雅彦らしき人が海を見ている後姿。じかに見てもらいたいと思う。
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