eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

けっきょくなにも言っていない。週刊新潮8月11日号 養老孟司×中川恵一対談

否定的な評価をする文章を書く場合、たいていは、それなりの対価を支払って書くのが自分なりの礼儀だと考えていた。今回、この対談について書くには週刊新潮を買うべきだと思い、手に取ってみたがあまりの無内容さに、お金を払うことが出来なかった。

そのかわりにはならないのだが、古川日出夫の新しい単行本「馬たちよ、それでも光は無垢で」を買ったので勘弁してほしいと思う。ちなみに古川氏の本はハードカバーなのに1,200円という、たぶんサービス価格だと思う。「新潮」本誌に掲載されたものだが、この作品のために、新潮編集部の4人も古川氏と一緒に被災地に車を走らせている。
同じ新潮社なのに、一方は編集者として素晴らしい仕事をしているのに、もう一方では買う気のある人でさえ思わず財布を引っ込めるような本づくりをしている。
それほど世帯の大きい出版社だとは思えないが、そんなにいろいろな人がいるのだろうか。ちょっと不思議ではある。

話がずれた。
この対談について書くには、まず概要を書くべきうだろう。以下、順を追って。
・タイトル:特別対談 養老孟司(東大名誉教授)×中川恵一(東大病院放射線科準教授)
『一番体に悪いのは「放射能ストレスである」』
・リード文:原発事故から始まった放射能パニック。だが、本当に怖いのは数字ばかりが氾濫する放射能よりも放射能がもたらす「恐怖心」ではないか…以下略
・本文
中川「地震後ツイッターで放射線に対する過剰な反応は損になる場合もあると書いたら「御用学者」のレッテルを貼られた・
養老「理屈でいえば、例えば放射線による死亡率が0.1%上がったとして、日本人全体だと約13万人が死ぬ計算になる。これを「危険」という見方もあるが、日常生活にもリスクはたくさんある。ラオスの例(省略)」
中川「確率でいえば、一定量の被曝でガンになる確率は上がる。その根拠は、広島、長崎、チェルノブイリ。とくに重要なのは広島、長崎。爆心地からの距離が重要で、100ミリシーベルトで0.5%、200ミリシーベルトだと1%ガン死亡確率が増える。福島の飯館村に調査に行ったが天候や気候によって被曝量が変わり、個人の被曝量が分りにくい。でも年間100ミリシーベルトは超えないだろう。原発作業員のガンについては、タバコや酒の影響もあるのでよく分らない。酒やたばこのリスクも大きいし」
中川「日本の場合は、原発事故以前からある自然放射線量を考えると、国会議事堂、東京都庁は花崗岩により年間4ミリシーベルトを浴びることになる。
養老「でも、放射線を恐れて暮らしても事故に会う時だってある」
中川「今の日本はゼロリスク社会といわれ、リスクに対して過剰反応している。今、福島では大気中に事実上放射性物質はないにもかかわらず被曝を恐れている。東京も同様。子供が外で遊ばないほうがよっぽどリスクがある」
養老「貝原益軒の養生訓のように生きても、確率論であって架空の世界である」
中川「正直に言うと、2011年を境に将来福島や日本のガン患者は増えてくると思う。しかし、それは被曝によるものではなく、これまでの食生活を放棄したり放射性物質を恐れて家から出なくなったりするから。むしろそちらの方が不幸が大きい」
養老「放射能は感覚に訴えない。セシウム137の半減期が30年であることは変えられない。それに対する人間の無力感はすごいものがある」
中川「さらにいえば、プルトニウム239の半減期は2万4千年、一方ヨウ素131は半減期8日。人間の感覚とは全く違う。それを人間が扱えなくなっている。原子力はやはり難しい」
養老「原発そのものが、東大、とくに物理工学系に責任がある。優秀な人が集まる物理系の傲慢があった。原発は典型的左脳の世界。見えないものはないことになっている」
中川「見えないリスクは存在しないと同じ」
養老「左脳重視の典型として官僚も同じ。左脳、つまり理屈ばかりで考えると大きな欠陥があっても気付かない。だから、ミリシーベルトの数字で中川氏を責めるのも、じつは左脳中心主義。原発事故を起こした人とクレームを言う人は同じタイプの人」
中川「原発事故対策も、左脳中心で進めている」
養老「20、30年先に現在の医療が、強く非難されるかもしれない」
中川「原発も医療も同根で、all or nothing、白か黒かの二元論が人を不幸にする」

では、問題点をあげてみる。

1.養老「放射線による死亡率が0.1%上がったとして、日本人全体だと約13万人が死ぬ計算になる。これを「危険」という見方もあるが、日常生活にもリスクはたくさんある」
日常生活にリスクがあるのは確かだが、仮の計算だが、原発事故がなければ13万人死ぬ人が増えることはなかったということになる。よって、今回の原発事故と日常のリスクを同一視することは適当ではない。同じ土俵に上げるとしたら、地下鉄サリン事件や911テロ、インド・ボパールのユニオンカーバイド事故などをあげるべきだろう。
2. 中川「確率でいえば、一定量の被曝でガンになる確率は上がる。その根拠は、広島、長崎、チェルノブイリ。とくに重要なのは広島、長崎。福島の飯館村に調査に行ったが天候や気候によって被曝量が変わり、個人の被曝量が分りにくい」
原発事故の影響については、やはりホットスポット等の問題を考えると、広島・長崎の原爆よりも、むしろチェルノブイリのほうが重要なのではないか。飯舘村の場合、広島・長崎のモデルを当てはめようとするから「分りにくい」となるのではないか。というか、このくらい素人でも考えるだろ。
3.中川「原発作業員のガンについては、タバコや酒の影響もあるのでよく分らない。酒やたばこのリスクも大きいし」
中川氏は、原発稼働のための「原発ジプシー」と呼ばれるような作業者ははなから問題にならないらしい。「よく分らない」ではなくて、最初から調べる気がないのだろう。東電から言わせれば、孫請けのさらに孫請けのことなど、責任とる気はないだろうし、東大出の医者からすれば、世間のことなど分らぬから、左脳重視の人のように、原発労働者(というか労務者)を「存在しない」人たちとみなすのだろう。
4. 中川「日本の場合は、原発事故以前からある自然放射線量を考えると、国会議事堂、東京都庁は花崗岩により年間4ミリシーベルトを浴びることになる」
だから、それにどんな意味があるのだ。もともと自然界にあったものについては問題にされていない。これまでなかったものをかってにまき散らしたのが問題なのだ。
5.養老「でも、放射線を恐れて暮らしても事故に会う時だってある」
これは、なについても同じことが言える。言ってもいいけど、わざわざ言うほどのことでもない。
6. 中川「今の日本はゼロリスク社会といわれ、リスクに対して過剰反応している」
たしかに東京あたりでは、過剰とも思われる反応がある。しかし、福島県浜通り、中通りではむしろ反応が過小である。つまりパニックにもならないで、どこにも逃げようがないので半ばあきらめたようでもある。先ほどふれた古川氏の「馬たちよ…」では。相馬市内の様子を「平穏」と言いかけて、「むしろ平然としているのではないか、そうするよりしかたがないから」(大意)と書いている。
リスクへの過剰反応こそが左脳中心主義、そして都市的な発想であると養老氏は書いていた記憶があるが、それを福島県の田舎に当てはめるのは問題だろう。やはり二人とも東京にいるし、原発事故被災地のことは他人事なのだろう。それを責めるではないが、それが当たり前のように発言しないでほしい。
7.中川「今、福島では大気中に事実上放射性物質はないにもかかわらず被曝を恐れている」。
たしかに「大気中」にはない。地面に降り注いだから。それだからこそのホットスポットであり除染である。ちょっとここは認識不足ではないか、もしくはわざと間違えたのか。
8.中川「正直に言うと、2011年を境に将来福島や日本のガン患者は増えてくると思う。しかし、それは被曝によるものではなく、これまでの食生活を放棄したり放射性物質を恐れて家から出なくなったりするから。むしろそちらの方が不幸が大きい」
恐怖心からくるストレスからガン患者が増えるという理屈だろうか。しかし、原発事故がなければ恐怖心が生じることはなかったことを最初に言うべきだろう。それとも、原発事故は運命だから、ことさらにふれる必要はないということだろうか。しかし、一地方の命運をたかが一企業が握っていいものか。
勘ぐれば、中川氏の所属する放射線医学研究所あたりが、子供に対するヨード剤代用品のイソジン液を飲ませないように仕向けたことへのいいわけを準備しているのではないかと思う。このことは以前書いたので、そちらに目を通してもらえればありがたい。
9. 養老「原発そのものが、東大、とくに物理工学系に責任がある。優秀な人が集まる物理系の傲慢があった」
これは東大内部の話であって、医学部は罪はないといいたいらしいが、そんのことは東大以外の部外者にとっては、意味がない話である。なんのつもりだろうか。
10.養老「(左脳中心の対策なので)20、30年先に現在の医療が、強く非難されるかもしれない」
じつは、ここに二人の本音が出ているのかもしれない。チェルノブイリの事例から見ると、やはり福島県周辺では今後4,5年以降に放射線障害によるさまざまな病気が出てくると思われる。そのとき、初動の対策を実施しなかった医学関係者は、怨嗟の対象になるのかもしれない。

結論的なことを言えば、2点ある。ひとつは、この二人は医学者であっても医師ではなさそうだ。確率論で語るのは学問だが、病を得るのはそれぞれの人間。その人間にどう向き合うのか、養老氏ははなから無理だから聞かぬが、中川氏の立場からはどうなのだろうか。全体からすれば、0.1%は多くはない人数なのかもしれないが、原発事故による一人のガン患者にとっては、0.1%ではなくて100%である。
そして、これに関連するが、理屈中心の左脳批判をしているわりには、左脳的発想から抜け出ていない。放射性物質の半減期の長大さに打ちのめされた人、また得体のしれないものによる不安にかられる人にとって、理屈で安心を説いても伝わりにくいのではないか。しかし、彼らがやろうとしていることは、やはり理屈での説明である。
なんだか、二人で自己批判をしているようにしか見えないのは、読む側の目に歪んだプリズムが入っているからだろうか。
けっきょく、内容としては散漫で4ページ持たせるのがやっとという程度のものであった。「特別対談」と銘打つほどのものでもないし、言っていることも、この二人がよく言うようなこと。つまり、過去の発言の再トレースであって、わざわざ誌面を作るほどのものではない。

それにしても、この時期に、この二人から、いつもと同じような言葉を語らせて、週刊新潮は一体何をしたいのだろうか。実はそこが一番の疑問である。今の時期の編集長の名前は、今後10年くらい覚えていたほうがよいのかもしれない。何事も問題が起こらなければ先覚者として、問題が起これば言論による加害者として。酒井逸史氏?はどちらの側になるのだろうか。それは俺にも分らない。
正直言って、何も起こらなければ、「あの時俺はバカだった」と認めるつもりだし、失礼なことを書いたと詫びるだろう。むしろそうなることを望む。また、何かあったとしたら、言論人の責任を問い詰めても、後の祭りだろう。ただし、発言の責任は取ってもらうことになるのだろうと思う。太平洋戦争のときの無責任体制の再現は避けなければならない。
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