eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2017-07

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今年の相馬野馬追-1 2011

郷里を離れ、仕事をするようになってから、野馬追を見る機会はほとんどなかった。しかし、今年はどうしても見たいという気持ちが強くなり、仕事もあったのだが帰省することにした。

7月22日。昼過ぎの新幹線に乗車、福島駅にて下車。発車時刻30分ほど前に相馬行きのバス停に行くと長蛇の列であった(といってもその時点では40人ほど)。いつもはこれほど並ぶことはない。列の人の話を聞いていると、やはり野馬追のために帰省する人が多いらしい。バス到着、乗車してみるとバスは補助椅子まで満席だった。阿武隈山地を山越えし、線量の高い伊達市、相馬市玉野を通ってバスは進む。車中、おばさんのグループが、霊山は線量が高いそうだから息を停めていこうか、等と冗談ともつかぬ様子で話あっていた。
90分ほどで相馬市に到着、しかし乗客の半分は下車せず、やはり原町まで行く人が多いようだ。
さて、この日も野馬追関連行事がいくつかあった。中村神社境内で催された「総大将出陣祝いの宴」では、鉄砲隊(相馬中村藩古式砲術)、相馬流山踊り、相馬太鼓が披露されたそうで、姉が見たところでは、良いものだったという。バスの時間が合わず、見逃して残念なことをした。
この日はお祭りにあやかって刺身をとって夕食とした。港も壊滅状態で、原発事故による海洋汚染もあるが、魚屋(魚健)からは、思った以上のお刺身が届いた。

23日。以前母からは、出陣式の「相馬流山」は一度見たほうが良いといっていたので、
野馬追当日は朝から出動。
まず三の丸屋敷に向かった。ここは総大将である旧相馬中村藩主の相馬氏の方が控えている。お堀端の屋敷の前には、すでに甲冑を付けた武者たちが騎乗して控えていた。しばらくすると、邸内での行事が終わり、総大将が騎乗して出発した。それをみて、中村神社に移動した。中村神社の境内には幔幕が張られ、武者のための席がしつらえられていた。
やがて、武者たちがあらわれ、総大将が席について出陣式が始まった。震災死者への黙とうがあり、法螺貝が吹きならされた。しかし節がいつもと違う。あとでNHKのニュースを見ると、死者を弔うための「伏せ貝」というものだったという。そしてお歴々の挨拶、総大将である相馬行胤公の挨拶のとき、時々声が詰まっていた。後で聞くと涙がこぼれたからだったらしい。そして相馬流山斉唱。自然に目頭が熱くなった。


やがて行列が出発。今年は参加騎馬が少ないので、行列は短いものであった。しかし、沿道からは、拍手が送られていた。行く先々で拍手を送られる侍大将の相馬公が、控えめに頭を下げられるのを見て、偉ぶらぬ領主(シンボルとしてだが)をいただくことのありがたみを思った。
ちなみに、このようなことは時代錯誤と思われるかもしれないが、前に「二宮尊徳とグラミン銀行」に書いたように、モンテスキューの「政治的自由は(政治体制によるのではなく)穏和政体にしか見いだせない」という言葉に納得するところがあるので、自分ではおかしいとは思わない。
以下、その部分のみ抜粋。
(前略)モンテスキューの「法の精神」を読みました。そのなかで「政治的自由は穏和政体にしか見いだせない」とありました。モンテスキューによれば、一般的に民主制>共和制>君主制の順に、自由があるように思われている。つまり、さまざまな種類の政体があって、その種類のなかには自由な政体もあるというふうに思われがちであるが、間違っている。実際はその政体ごとにそれぞれの(それなりの)自由がある。しかし政治的自由は、権力が濫用されない穏和政体の中にしか存在しない、ということを言っております。そして「権力を持つものはすべて、それを濫用する傾向があることは、永遠の体験である」ということから、有名な三権分立論が出てくるわけです(後略)

さて、行列を追いかけながら見物していたら、白袴に羽織を着た徒歩きの人(鉄砲隊らしい)に、急に声を掛けられて驚いた。よく見ると父の件でお世話になった税理士さんであった。終了したのに請求されていない仕事があったので、はやく請求書を出してもらうよう何度か連絡を取っていたのだが、野馬追に参加していたとは知らなかった。それでは、いつもの仕事はなかなか手につかなかったからだろうと思った。
行列は宇田川を越え、原町方面に向かったので(実際には途中まで)、行列を追いかけるのはここまでにして、一度家に帰った。

朝食兼昼食をとり、喫茶店に行って一服。16時からの「お上がり」の行事を見に行った。まずは、宇田川町に行き、スーパーキクチ(震災直後も店を開け続け、食品を供給し続けた)の前で、行列を待った。小雨が降り始めた。午前中とは違い、沿道の見物客も少ないが、武者をねぎらう拍手は途切れることなく続いた。
行列の最後を追いかけて、中村神社に向かう。出陣式と同じ幔幕のなかで、帰ってきた武者たちが席に着き始めたが、ここで椿事が起きた。神主さん(いつも正月にお祓いをしてもらっている)が、既に総大将が席についているのに、まだやってこない武者がいるのに業を煮やして「総大将を待たせるな」と大きな声を出したのだ。にわかに人を呼ばう人、駆け出す人も現れて一瞬騒然としたが、神主さんはかなり聞こし召している風情もあり、一種のサービスというかパフォーマンスのようにも思えた(笑。
一同打ち揃い、法螺貝がひびき、口上が述べられ、最後に再び「相馬流山」斉唱がなされた。
それを聞きながら、今年は多少無理を野馬追を見に来てよかったと思った。


帰りに、広文堂書店で、鎌田正「大漢和辞典と我が九十年」(大修館書店)と、森鎮雄「戦国相馬三代記」(あぶくま企画出版)を購入。鎌田先生の本は、今年の2月ごろ双葉郡に住む叔母に貸したのだが、原発事故で避難したので、もう手元に戻らないと思い、買い直すことにした。

夜は「戦国相馬三代記」を読みながら寝た。


【追記】
先日、姉が野馬追の和歌を詠んだメールを送ってきたので、返歌を作ってみた。

七月の最終週の近づけば 遠き相馬の野馬追思う

大手町将門塚に参りたり 野馬追祭り今に続けり

千年に一度の震災起これども 千年続く野馬追止まず
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