eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

責任の問題

先日「ホロコーストを知らなかったという嘘」(現代書館)を読んだ。当然といえば当然なのだが、戦時中のドイツ国民は、ユダヤ人絶滅計画によって多くのユダヤ人が殺されていることを知っており、そしてナチスだけではなく自分たちもそれに加担していたことを十分に意識していた。しかし、戦後はこのことに口をつぐんで、悪いのはナチスであり、一般の国民に罪はないという態度で押し通してきた。
さらに興味深い指摘があるのだが、戦争後半になるとドイツ本国への爆撃が激化し、多くのドイツ市民が亡くなっているが、それは自分たちがホロコーストに加担したという許されざる罪に対する一種の罰として受け止められた。
※以下、110ページより抜粋。
(ドイツ国民が爆撃などによる)自身の苦しみに直面して、犠牲者であるという自己イメージの中に引きこもり、自身の良心のやましさ、または恥や罪の感情をも相殺の思惑によって紛らわすことは至極当然であった。
「ドイツは自らが犯したかもしれないすべての罪のために十分苦しんだ」ということが、1945年11月の西側連合諸国の報告中でドイツの知識人の間で広まった意見として強調されており、なかでも次のような発言が引用されていた。「強制収容所で死んだユダヤ人一人ひとりと引きかえに、多くのドイツ人が空爆で命を落とした」。

簡単に言えば、ホロコーストについては消極的もしくは積極的に加担したが、こっちも苦しんだからチャラにしてくれ、というわけだ。でもホロコーストの罪に対する罰として、空爆があったわけではない。自らの罪の重さに耐えられないので、すでに空爆で罰は受けたものとして、ホロコーストの件は終わらせてしまいたいということだろう。でも、終わらせていいと判断ができるのは、少なくともドイツ国民ではないだろう。

この図式、なんだか日本の市民レベルの戦争責任にも通ずるように思える。以前から疑問であったのだが、国防婦人会や在郷軍人会で偉そうにしていた人々は、戦後どのように責任をとったのだろうかと思っていた。しかし、「戦争中は私たちも苦労した」とか「軍部に騙された」とか「一億総懺悔」といってお茶を濁して、戦後は恥知らずにも知らん振りで普通に暮らしていたのだろうと思う。
まあ、でも一般市民はそのような程度のものだろう。自分だって、もしその状況にいたらすれば似たようなことをすぅるかもしれない。偉そうなことはいえない。

しかし注目すべきは、前述のドイツの場合「ドイツの知識人の間で広まった意見」として取り上げられていることである。社会を導くべき存在であろう知識人層が、このようなことでは困る。しかし「知識人」といわれる人士もこの程度のレベルであるのは、国、時代を問わず同じなのかもしれない。

今回の原発事故について、ある種の知識人たちは原発の無謬性(笑)を強調し、国民に虚偽を教え込み、事故後も一向に責任をとらない。そして、電気を大量消費してきたのは一般市民、国民であるというような論調で、いわば再びの「一億総懺悔」を強要して、自らの責任から逃れようとしている。
しかし、そうさせてはならない。国政レベルでは中曽根康弘を筆頭とする議員たち、それを操った歴代の通産省の官僚たち、県に誘致した県政レベルの政治家、そして当事者である電力会社の運営幹部とその関連団体(現場でがんばっている一般社員は、当然この中には入らない)、そして国民に虚偽を吹き込んだ学者、そのサポーターとしてのマスコミについては、具体的個人名を挙げて、その罪を問わねばならぬだろう。
それにしても膨大なリストになりそうで、「共同責任は無責任」というようなことを危惧している。
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