eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-07

再度、相馬に帰郷

5月18日
昼前に姉と東京駅で待ち合わせ。東京、仙台間の新幹線指定席に乗る。前回帰郷時には、自由席とグリーン車しかなかったが、現在はそれ以外に指定席もあった。日々、状況が変わっていく。
仙台、亘理間の常磐線、沿線風景とも震災前とそれほど変わりなし。屋根の壊れた家などあり。ブルーシートがかけてあるのでわかる。
亘理駅にて代行バスに乗り換え、料金は420円。常磐線の電車と同じ値段。
バスが進むのは、昔で言えば奥州浜街道=今の国道6号線か(もしくは旧国道)。山よりのやや小高い道を進む。しばらくは静かな田園風景が続く。しかし、海に近い山下、坂元あたりにくると、海側には津波の跡が残る。テレビで見たような残骸はおおむね撤去済みだが、かつての田圃は一面泥に覆われていた。進むと、やがて撤去済みの残骸を山積みにしたところがあった。いったいこの残材をどうするのか、見当もつかない。遠くに、新地駅の跨線橋が見えた。しばらく走ると駒ヶ嶺の駅も遠くに見えた。

相馬着。
姉は庭の草むしりなど。自分は2階の掃除を開始。夕食のため町に出る。広文堂書店にて相馬高校時代に現代国語を担当してくださった若松丈太郎先生の緊急出版の書籍「福島原発難民」を購入した。丸久は定休日にて、ベニマル前の中華店で食事。ビールを飲んで寝る。

5月19日
喫茶サントップにてモーニングセット、その後、墓参りに行く。通りすがりの不動産屋を見ると、物件はすべて成約済みと書いてあった。避難してきた人がどんどん契約しているらしい。午前中は掃除の続き。昼食は鳥久のコロッケとメンチ、サラダを買い、ベニマルのパンにはさんで食べる。
14時、細田の叔父宅着、ひとしきり話した後、叔母が誘うので海へ向かう。以前叔母は、津波の後の風景は無理に見るものではないと言っていた。しかし今回は海を見に行くかと誘われたので、見るべきだという意味だと思い、車に乗せてもらった。行ったのは松川浦、原釜、岩子、磯部、ただし磯部方面は通行止めのため手前まで。

細田から原釜街道を進むと、道路わきに漁船が乗り上げていた。叔母いわく、逆転した世界、海にあるはずの船が陸にあるという。下り松は変わらぬ様子。梨畑あたりは以前と変わらず。多少高台のせいだろうか。ガソリンスタンドを過ぎ右手に松川浦を見る。浦はだいぶ片付けられていたようだが、船が陸にあり、車や家が海の中にある。叔母の言うとおり逆転した世界になっていた。写真をとる気にもならず。
水産物販売センター跡で車を降りる。岸壁に漁船(20t)が乗り上げていた。海にはいまだ船や鉄骨の残骸などあり。叔父いわく大洲公園の松はすべてなくなったとのこと。また、松川浦大橋は残ったが、その先の大洲海岸の一部が決壊し、外海と松川浦がつながってしまった。たしかに港から外洋の白波が遠望できた。これまではありえない光景。
原釜にまわると、海岸から奥までの海抜が低いところは、すべて家が流されていた。壊滅状態。どのへんまでやられたのかちょっとよく分からない。町の目印がなくなったため、どの辺を走っているかもわからず。
和田を経由して岩の子へ。山がちのところは被害もないが、低地は津波が襲ったあとがある。岩の子の被害は壊滅的ではなかったとのこと。たしかに文字島も残っている。丹下左膳の石碑も立っていた。しかし、港のそばの家の一階は柱だけ残して壁などはすべて流され、二階はそのまま残っていた。叔母の話では、家が無事だった人でも、朝起きてカーテンを開けるのが嫌だという人がいるという。これまでの風景のかわりに、一面の泥と瓦礫を見たくはないということだという。
磯部方面へ。左折して海側へ進む道は通行禁止。道路の海側は津波のため、一面泥色。また水が引いていない。松が根こそぎ流されて、あちこちに横たわっていた。海岸の松林はこのよう流されたということか。いったい、どのように復旧するのか、見当もつかず。
しかし、道路の反対側(山側)は、見たところかわりもなく田植えの準備をしている。道を境に、海側は地獄、陸側はこれまでと変わらずいわば天国。これをどうやって納得すべきか皆目わからず。これでも瓦礫はだいぶ片付けた状態になっているのだろう。当初はどうだったか、見るべきであったか否か、今となってはわからない。そのまま家まで車で送ってもらった。

夕方、姉は帰京。しかし、相馬、福島間の福島交通バスの時刻が変わっていたとのことで、福島駅乗車の予定を仙台駅乗車に変更したというメールあり。
その後、友人が来る。奥様あての漫画とお土産のお菓子を渡した。会社帰りなので、ネーム入りのワイシャツ、ネクタイ姿だった。会社が警戒区域である南相馬市にあるが、働かないと生きていけないので通っているという。夕食は丸久でそば定食。帰りにベニマルでホタルイカを買い、晩酌をして寝る。1:30におきてNHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2ヶ月〜」の再放送を見る。
※この番組を文字起こししてくださった方がいます。木村真三氏、岡野雅氏ら研究者のみなさん、これを取り上げたNHK取材班、そして文字起こししてくれた@zamamiyagareiさん、ありがとうございます。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65734984.html
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65735227.html
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65735429.html
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65735494.html
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65735818.html


5月20日
朝起きて門を開こうとすると、新聞の切抜きが門にテープ留めしてあった。福島民報の書評の切抜きで、若松先生の本が取り上げられていた。誰が貼ったか不思議な気持ち。
朝食後、税理士と父の相続の関係で銀行へ。銀行の人と3人で雑談。銀行は原町(南相馬市)の金融機関が再開したので、一時期より来客は減った。他銀行の代行支払いについて。被災者が年配者だと、もともとキャッシュカードを使わない。そして免許証や保険証など本人確認の資料が流されため、本人確認の際には、その顧客を知る他店に避難中の行員に電話し、電話越しに確認してから支払ったとのこと。
原発事故について。今後について、とにかくどっちかはっきりしてほしい、どうせ原発付近はもう住めないだろうからそのように発表してほしい。そして、その近辺は国がすべて買い上げし、どうせなら原発を建てて原発特区にするくらいしかないのではないか、という。そこまで割り切った考え方はできないので、少し驚いた。
郵便局で書類を受け取り、税理士さんと別れる。時刻表等を確認のため駅に行き、近所のSさんにあう。以下、そのときの話。
Sさんは3月13日から名古屋に一ヶ月間避難した。以前から予定があったのだが前倒しにした。相馬でも原発事故について温度差があり、気にしている人は、避難したことをよい判断だったと言ってくれる。メルトダウンについて今頃発表する政府、マスコミは信用できない。やはりわが身は自分で守らねば。南風の季節なので、これからが怖い。知人が第一原発で作業中、家に帰ってこられない(もとは東北電力で東電に移った)。その人から時々連絡が来る。携帯で話すのは禁じられているせいか、メールで来る。現場の話では、夏になると温度が上がる。そうなると7,8,9月に原発で何かが起こるといわれている。暑さで作業員が倒れるという話ではなく、もっと別の話だというが詳細は分からないという。
Sさんの実家は福島市寄りで線量が高い。地震自体は岩盤の上なので被害なし、こけしが倒れたくらいであった。実家の姉には逃げてほしいが、言えばけんかになるので電話しない。こちらから見ればなんでもない事情でも、本人にとってはそうでもない。また、年寄りはいいかもしれないが、小学校があるので心配。どうしていいのかわからない。これまで仕事でそこの牛乳を売ってきたが今後どうするか迷っている。牛乳自体は、よその土地から持ってくるようになったので、販売自体はできる。しかしそれを売っていいのか、止めるべきか悩む。名古屋から相馬に戻ってきたとき、山形空港から車で来たが海沿いが真っ暗だった。家が流されたからだと気付いたが感覚が麻痺していたので、あまり何もかんじなかった。感覚が麻痺したといえば、知人が浜の人で津波で旦那さんを亡くした。遺体が発見されたとき、まるで単なる物が見つかったときのような口調で話していたので驚いた。おそらく、現実として受け入れられないからそうなったのだろう。

蒸し暑い日なのでサントップに行き、カルーアコーヒーのアイスを頼んだが、地震でグラスが割れたので出せないという。残念。先日はアイリッシュコーヒーを飲んだ記憶があるが、あれはホットだから良かったのか、それとも記憶違いか。
ベニマルで榊を買い、神棚にあげる。物置から梅酒を出して小瓶に移し、その他東京に持ち帰る荷物をまとめた。ちょっとした小荷物となった。
鳥久で、コロッケとメンチを買い、パンにはさんでサンドイッチを作って夕食とした。
17:30の福島交通バスに乗るため、バスの営業所に行く。金曜日のせいか、乗車待ちの人数が多い。ほとんどが会社員らしい。少々遅れてバス到着。先日から路線が延長され原町発となっていた。窓辺の風景を見ながら、なんでここが放射能で汚染されているのか、理解できないままでいた。90分ほどで福島駅到着。新幹線で22時前に東京に到着した。東京は夜でも暑かった。
あとで、友人にメールをしたら、門に若松先生の書評を貼ってくれたのは、友人のお嬢さんだったことが分った。
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コメント

夢遊病のような、そんな気分に包まれました。
現実の話なのに、私は違う世界に紛れ込んだようです。

いやしかし、現実なんですね。
帰郷されて目の前に広がる世界の中で、生活されている人たちの心象風景が伝わってきました。
うまい言葉が見つかりません。また、読みに来ます。

コメントありがとうございます。
こういう文章ならば、写真貼ったりしたほうがいいのかもしれませんが、震災以来の写真、じつは現像していません(未だにフィルムw)。なんか現像するのが怖いような気がして。

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