eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-08

「坊ちゃん」再読

今日、なぜかいまさらながら「坊ちゃん」を再読した。
じつは「草枕」を未読なので、遅ればせながら読もうと思ったのに、併載されている坊ちゃんを読んでしまったというわけ。

大人になってから読むと、前半、なんだか泣けてしょうがない。
宿直の夜に生徒が悪ふざけをする部分で、
「正直だから、どうしていいかわからないんだ。世の中で正直が勝たないで、ほかに勝つものがあるか、考えてみろ」と悔しがるわけところがある。
これは大人になると、さらによくわかる科白だよ。なかなかそうはならないし、できないから、なおさらそうありたいと思うのだ。
それと「清」とのかかわり。清から届いた手紙を読む場面だが、
「部屋のなかは少し暗くなって、まえの時より見にくくなったから、とうとう縁鼻へ出て、腰をかけながらていねいに拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹き付けた帰りに、読みかけた手紙を庭のほうへなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生垣まで飛んでゆきそうだ」。
美しい情景だ。風になびく巻紙の手紙(適切な名称がわからん)が目に見えるようだ。清の手紙は四尺だから120センチもあったわけだろう。字を書くのが苦手という老婆が、これだけなかなか書けるものではないよ。

後半は筆が走りすぎたようなきらいもあるが、結末はあれで良かったのだろう。もっと別の解決法もあったかもしれないが、念のいったやり方は策略好きの赤シャツと同じレベルに堕することになるからな。

また、山嵐は会津出身、坊ちゃんは旗本のなれの果てで、両方とも佐幕派であるところがなんともやるせない。

ところで、漱石は子供のころ里子に出された。私の周りに何人か、仕事等の都合で、親ではなく祖父母に育てられた人がいるが、どの人も独特のかげりを持つように感じた。
作品中の坊ちゃんの母は、彼と分かり合えぬまま亡くなったような気配である。
漱石の母は「硝子戸の内」を読むと、当時としては高齢であったであったようだ。
これをあわせて考えると、幼いころに漱石を里親に出した親に対するある種の拒絶感、もしくは寂しさが、坊ちゃんの実の母親に象徴され、一方やはり実の母親を慕う気持ちが、高齢である清と重なり合わさっているように思えた。
つまり母に対する感情の二面性が二つの人物になったように思えた。

しかし、坊ちゃんは誰に向かって語っているのだろうか。
それはわからないが、照れもあり、言って仕方がないこともありで、おそらく馬鹿のふりをして語っているんだろうな。

参考文献も多々あるようだが、多すぎて分からんな。しばらくは自分なりの読み方で行こう。


【2008年11月5日追記】
島内景二「教科書の文学を読みなおす」(ちくまプリマー新書)を読んでみたら、「坊ちゃん」を貴種流離譚と読み解いていた。なるほど、坊ちゃんは、やせて小柄なスサノオであったか。清とのくだりなど納得する部分もあり。

【2017年3月5日追記】
岩波文庫版「坊ちゃん」の平岡敏夫による解説が、いろいろな疑問を解いてくれた。
まずは、主人公は誰に相手にしゃべっているのか。
また、なぜタイトルが「坊ちゃん」なのか。
これは清がそう呼ぶからであるが、つまり作品自体が清に向けて書かれている、などなど秀逸な解説であった。
よく「痛快」とか「ユーモア小説」とかいわれ、かなり的外れだと思っていたが、やはりそれだけの小説ではなかった。
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