eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-11

朝日新聞 8月22日付 書評欄

1.浜田奈美記者 コラム「扉」
このなかで、ブックファースト店長によるブログ記事(http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html)およびその余波を紹介していた。ブログのなかで、池上彰氏の著作乱発?をバブルと見て、他の例として内田樹と茂木健一郎あたりの名前が出ていた。このような話があったのは知らなかったので、紹介記事はありがたい。
さっそく、内田氏のブログを見たら、「ウチダバブルの崩壊」(http://blog.tatsuru.com/2010/08/13_0928.php)、「バブル後記」(http://blog.tatsuru.com/2010/08/14_1032.php)という文章で、真摯に受け止めていた(と思う)。武道を学ぶ方なので、セルフコントロールが上手なのではないかとも思う。「残心」という言葉も思い浮かんだ。

そういえば茂木氏は、以前4億脱税したのにあまりお咎めもなかったようで、そのことが強く印象に残っている。「忙しくて申告するの忘れた」という理由で通るなんて、税務署も寝ぼけてるのかね? 普通なら1億の申告漏れがあれば朝日新聞をはじめとするマスコミでは犯罪者扱いされて大騒ぎのはずなんだがな。
で、その茂木氏であるが、現状のまま行くそうです(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/08/post-be9f.html)。それぞれの判断だからだが、それでいいと思うが、この中の一文、「ある本がバブルだとか、浮ついているとか、そんな評価をするのは、一緒に仕事をした編集者(生活がかかっており、時には社運をかけて、一生懸命やってくださっている)に失礼」とあるが、柳の下の二匹目の泥鰌を狙うような編集者と仕事をしているのであれば、べつに失礼ということもないんじゃないか。そういう編集者は次のターゲットを探していると思うよ。自分の存在が消費されないように気をつけたほうがよかろうとは思うのだが。

2.佐々木俊尚氏 コラム「売れている本」 
今回は、塩野七生著「日本人へ リーダー篇」を取り上げている。佐々木氏は、なんとなく本の読み方が大雑把な印象があり、書くものも「言いっぱなし」(書きっぱなし)という印象がある(が、それは単に俺の思い込みだけかも)。
さて、このなかで塩野氏の「戦争には大義など、もともとない」(大意)という文章から、佐々木氏は「大儀なんて言うものは後から勝者が唱えるだけのも」と書いている。
塩野氏の独特の書き方は、ある一定層にはよくウケルだろうと思われるが、それはそれでいい。

ところで、イラク戦争開戦直前、国連安保理事会の会議では、エル・バラダイ氏は「イラクの大量破壊兵器の査察は継続すべきである」(=まだ戦争に踏み込むべきではない)と述べたが、それは受け入れられず、アメリカとイギリスは開戦に踏み切った。しかし、戦争の原因である大量破壊兵器は結局なかった(もともと存在していないことを承知の上で開戦に踏み切ったという説さえある)。
当時、テレビでその会議を見ていたが、大量破壊兵器の査察継続をすべきであるというのは俺には真っ当な意見に思えた。開戦なら、十分な査察の後でもできたはずであるし、米英の圧倒的な戦力があれば、どちらにせよ負けるわけはない。
このことを思い出すと、開戦側が「大量破壊兵器の存在」という「大義」を口にし、しかもその時点で、その大義に疑わしさがあるとすれば、やはり米英に対して疑義を示してもおかしくはない、というかそれが正常であると思う。
佐々木氏が書くように「日本では、どこにも存在しない空虚な理想に依拠し、情緒的に政治や社会を語る風潮が蔓延している」とも言える。たしかにそうだが、それは佐々木氏も属しているマスコミがその風潮を作っていることだよ。自らの足元を見よ。
また、開戦理由が薄弱であれば反対するのは、別に「空虚な理想に依拠している」わけではない。正当なことほど、正当な手続きが必要である。つまり「目的は手段を正当化しない」。これは人類が血を流しながら、やっとたどり着いた認識である。フランス革命、ロシア革命、卑近なところでは小泉改革、と例を挙げるまでもない。戦争はさけるべきだが、どうしてもやるというのなら、人が死なねばならぬのだから、せめてきちん開戦と終戦後の後始末をやってくれ、という考えもあるのだ。開戦に反対したもの全員が、「空虚な理想に依拠し、情緒的に政治や社会を語」っているわけではないのだ。
ちょっと興奮して筆が滑ったような気がするが、佐々木氏はもう一歩踏み込んで考えてほしいと思った。

さて、蛇足を少し。
塩野氏はローマ史の専門家であるはず。しかし、ローマ文明は実際的ではあるが、ギリシャは超えられないと多くの人が考えていると思う。その理由は、ギリシャは戦争においても、「理想」というか「あるべき姿」を考察しているからといえば言いすぎか。プラトンとかアリストテレスとか断片的に読みかじった印象にすぎないが。
やはり空虚であっても「理想」は大事だよ、空虚なままにしていてはいけないが。国家の規模で比べれば、ギリシャとローマは比べ物にならないはずだが、いまだにローマの師匠はギリシャといわれるのには、相応の理由があると思う。
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