eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-06

40歳

 先日、40歳となりました。感慨無量というほどでもなく。
で、仕事のお休みをもらって、東京名所めぐり(by遠藤賢司)をしてきました。

 まず、江戸東京博物館の水木しげる展(http://www.asahi.com/event/mizuki/)へ。
うーん。これはすごいというかなんというか。出来るだけ行ったほうがいいと思います。冒頭の「人生絵巻」でかなり満足するが、そのあとも見るべきものが多い。

 ところで、水木しげるは紙芝居~貸し本作家時代はたいそう貧乏で、少年マガジンからの依頼が来て以来、金運が好転したのは知っている人は知っていることですが、その依頼が来る前に、自分の家に向かって小判が空を飛んでいくのを幻視?したそうです。水木氏からは貧乏神が去ったが、そのときに人からお金を吸い上げる術を身につけたのではないか? というのも、魅力的なグッズがたくさんあって、ついつい7000円も買い物してしまった。俺はあんまりお金がないのに、こんなに吸い上げるなんて、ひどすぎる。水木先生もすでに妖怪の域に達しておられるなぁ。でも、どうやって年を越そうか。
 ちなみにお気に入りのグッズは「人生絵巻(縮小版)」(4000円くらい)です。

 そのあと、浅草に足を向け、神谷バーのビール付きランチ(900円)で、ささやかにお祝い。浅草寺にお参り。奮発してお賽銭は500円。鬼海先生はいなかった。早田カメラのウインドウをじっくり見たけど、買い物はしない(出来ない)。先日VITO Bを買ったばかりだし。

 その後、茅場町に向かって、中平卓馬展。横浜で見ていたので、今回はそれほどのショックはなかった。けれど、たまたまあった金村修のワークショップのチラシに中平氏についてのいい言葉があった。以下、無断で引用「(前略)モノをモノとして撮ること、それはモノから意味や機能を奪い、モノをモノとしてこれ以上越えられない最後の状態にまでひきずり込む。モノは人間の命名行為や想像力からかけ離れた世界に存在する。近年の中平卓馬のようなカタログ的にモノを列挙していく撮影行為は写真の表象不能性への直面であり写真を〈写されたモノ〉と〈実在のモノ〉との隣接点/限界点を見い出そうという姿勢である。私達は写真を表象の可能ではなく表象の限界、何一つ言葉を発せられないような状態にまで追い込んでいかなければならない。中平卓馬のように常に写真とモノの限界/境界を維持しながらその隣接面、最後の状態で撮り続けなければならないだろう。」

 私が中平氏の写真を見て受ける衝撃は、前後の脈絡なく(=関係性を無視して)、モノそのものが放り出されているように見えるからだ。中平氏の場合、倒れて以来、コンテキストや関係性自体がないも同然になってしまい、モノをとらえる感覚だけが、意識に邪魔されずに撮影に直結しているように思える。
 そして、金村氏の立場は「モノそのもの」は存在するという立場なのだろう。しかし私自身は、「モノそのものは存在せず、ただ関係性の中に漂っているのを写し撮れるだけ」という考えに傾きつつある。モノそのものを追求すると、プラトンのイデア論にたどり着く。しかし私は、「色即是空、空即是色」なのかもしれない。つまり色=現象であり実体(モノそのもの)はない(=空)。しかし虚無だけがあるのではなく、関係性のなかに現れるものがあるという立場だ。どちらが正しいというものでもないのだが。

 家に帰ると、妻の作ったチーズケーキがありまして、子どもと3人で食べましたとさ。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://eeldog.blog12.fc2.com/tb.php/47-668b3061

人気ブログランキングへ

 | HOME | 

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂

FC2Ad