eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-11

「クリトン」と選挙

「悪法といえども、法は法」という言葉があって、ソクラテスが裁判で死刑を宣告されたあと、いくらでも逃げるチャンスがあったのに、こう言って毒杯をあおいだという。

ここだけ聞くと、ホッブズが「国家というのはリバイアサンという怪物であるが、それでも無政府状態、無法状態よりはいい」と言っていたような、うっすらとした記憶とない交ぜになったりして、あまり意味を考えることもなく、「やっぱり法というのは大事なんだろう」くらいに考えていた。
同時に、司法側が「悪法も法なのだから、文句を言うな」などと言いそうな気もしていたが、それについてもあまり考えたことがなかった。

先日、プラトンの「クリトン」を読む読書会に参加する機会があり、他の人の意見を聞いて、やっとこの意味がわかってきた。
翻訳にもよるのだろうが、クリトンの中で大意としては「悪法といえども、法は法」ということを言っているが、そのものずばりの科白はないようである(田中美知太郎先生の訳→パイドンにあるらしい。未読です、お恥ずかしい)。むしろ、ソクラテスは、「もし悪法があるならば、それを正す機会はいくらでもあったのにもかかわらず自分はそれをしなかった」。また、「国外に出る気になれば、いくらでも実行可能であったのに彼自身はそうしなかった」。この点を踏まえて、自分の都合のいい時だけ、法を守ったり、そうしなかったりすることは俺はできない、ということを言っているようである。
こういう文章がある。「戦場においても、法廷においても、どんな場所においても、国家と祖国が命ずることは何でもしなければならないのだ。さもなくば、この場合の正しさが、当然をそれを許すような仕方で、祖国を説得しなけれければならないのだ」。
祖国を説得する=一例としては法の改正というようなことだろう。同時に、国民と国家、法の距離が近かったということがほのみえるように思えた。

ちょっと飛躍するが、近々選挙がありますれば、投票というのは「祖国を説得する」方法の一手段として考えることができる。国家というものは、国民を守ると同時に、厳しく求めることもある(=戦場においても、法廷においても、どんな場所においても、国家と祖国が命ずることは何でもしなければならない)。それに対して不服があれば、国を説得せねばなるまい。そうでなければ、死を受容しなければならないこともありうる。
だから、投票に行きましょう。そして意見を表明しましょう。
俺は選挙を棄権したことはないが、選挙に行かないで国制批判する奴がいたら、どんな立派な意見を言っていたとしても、心の底では「この馬鹿が」と思っている。
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