eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-08

選挙結果

「普通に生きられない人たち」(磯部潮)、「人はあなたの顔をどう見ているか 」(石井政之)とかをたまたま続けて読んで、「普通ってなんだろう」などと考えていたのが、昨日の選挙結果で吹き飛んでしまった。

自民党が約300議席を占め、単独政権が可能である。しかもその自民党は、以前と違い多様性にひどく欠ける状態である。以前からめぼしい自民党議員が地方知事に転じたりして、だいぶ人材不足のようであったが、今回郵政法案反対者を排除することにより、その傾向がますます強まった。つまり自民党の力でもあった、党内の多様な混沌状態が整理されてしまったわけだ。そのことの危険性は、たとえば、ブッシュ政権が凋落したときに如実に現れるであろう。これまでであれば、ブッシュ政権に近いものも居りながら、同時に別のチャンネルをもつこともありえたろうが、現状ではブッシュ支持以外は、郵政法案同様に排除されかねないように見える。いまはブッシュ米政権と親密であるが、ブッシュ以降のことは織り込み済みなのだろうか。

それはさておき、私は民主党支持者でもないので、理想的な選挙結果は、自民+公明と民主+αがほぼ均衡することを望んでいた。
その意味は、郵政法案自体はある意味必要な部分ではあるようだが、しかし、本質は国の借金であろう。その借金の問題について、自民党(というよりは小泉氏)の意図通りのやり方ではなく、いろいろな立場の意見を聞きながら、進めるべきことを進めるというやり方を望んでいたということである。しかし小泉氏は本質的に対話が下手のようである。立場の違うもの同士が、しかし現状の問題を解決するために、また双方が納得してものごとを進めるためにはやはり対話が必要であろう。しかし対話とは言葉のやり取りである。その言葉を軽率に使う者に、対話が可能であろうか。難しいだろう。
たとえばイラクでの非戦闘地帯の定義について、「自衛隊が活動するところが非戦闘地帯である」と定義したそうだが、この返答は、一瞬にして意味の真空状態を作り出す。
A:自衛隊は非戦闘地域で活動できる。
B:非戦闘地域とは××のような状態のところである(定義)
結論:よって自衛隊は、Bで定義づけられた地域(非戦闘地帯)で活動する、というのが通常の論法であろう。
しかし、氏の場合、
A:自衛隊は非戦闘地域で活動できる。
B: 非戦闘地域とは自衛隊が活動する場所である
となり、AとBが尾を互いに飲み込んだ蛇のような状態となって、結局何も言っていないのと同じ状態を作り出している。普通、立場あるものが論議の場で発言したことに、意味が生じ得ないということはありえないので、周りのものがあっけにとられている間に話が済んでしまう。しかし論議とは理性的に順序を重ねていって進めるべきものだ。言葉によって無意味を生みだすのはダダの詩人くらいにしてほしいものだ。

そして、なにより恐ろしいのは、氏には一種のマキャベリズム的発想があるのではないかということだ。確かに彼がやろうとしていることは意味があるかもしれない。自分も国の借金をこれ以上作らないためのものとして郵政法案は必要ではないかと考えるが、やり方がおかしい。どんなにいいことでも、またいいことであることこそ、正当な手段で進められるべきである。「いいこと」であれば、手段は問われないのか?その実例はパリコミューン、共産ロシア、文化大革命、その他でさんざん見てきたはずだ。やはり迂遠でも正当な道を進まなくては、後の時代に禍根を残す。なにより同時代の人を無意味に苦しめる。勝海舟は大政奉還を仕組んだとき、たしかにマキャベリズム的ではあったかもしれないが、幕藩体制より大きな(もしくは古い)枠組みである天皇制を援用することによって、進め方の正当性を得ているように思える。

しかしそれ以上に怖いのは現在の日本国民である。半藤一利、中井久夫がいうように、国民が常軌を逸してしまったときに、この国に災厄が起きるらしい(招く、ともいえる)。たとえば日露戦争講和条約の騒乱事件、満州~太平洋戦争、近いところではバブル経済。いずれも調子に乗っては最後に地面にたたきつけられている。
もし、選挙の際、「雰囲気」で候補を選択したのであれば、ファシズムが起きてもおかしくはない。ファシズムは、理性的であれば到底そうはならないことを、時代の空気、雰囲気を変えること(=様々なレベルでのプロパガンダ)によって狂気を実行してしまう。ナチによるユダヤ人迫害など、理性的に考えれば到底ありえるものではない。ユダヤ人にも悪辣なものがいるのと同様、生粋のアーリア人にも悪辣なものがいるだろう。また、ユダヤ資本をドイツから排除した際、一番得したのは誰か?そう考えれば、ああはならなかったはずではあるが、現実はそうだった。また、エンデが言っているように、あの時代、ナチはものすごく輝いて見えたらしい。ここから、自分の信念である「勢いがいいことを言う人、やたらと景気がいいことを言う人は信用するな」ということが導き出されている。現実とは面白くもなんともないが、しかし、地味に着実にものごとを進めるしか、本質的には社会がよくならないと思う。
ここから、林真理子が「今度の選挙は面白いから行ったほうがいい」という発言を憎む。これは選挙をバラエティーショーに低下させる発言だ。選挙は理性的に判断した上での投票でなくてはならない。面白そうだから選挙に行って、でも考えるのが苦手だから、なんとなくわかりやすいことを言っているので、雰囲気で自民党に投票したのであれば目も当てられない。

また、理性的に判断した結果だとすれば、愚民化教育の成果であろう。ひとつには前述したように、言葉を軽視するものが政治をとることへの恐怖を感じないということによる。論語では、孔子が、政治をとるとき一番最初にすべきことと問われ「必也正名乎」 といっている(http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/7_1.html 13-03参照)。

同時に、わかりやすさで判断することの「怠け心」である。日ごろの自分の身の回りを見ても、単純化できないのが現実である。だから心を病む人が後を立たないではないか。だから酒を飲んで憂さを晴らしたくなるのではないか。まして、多くの人の利害がかかわる政治において、ものごとを単純化することがそれほど簡単であるわけはない。しかしそこで単純なフレーズを真に受けるということは、結局は理性的ではないということだ。

自民党に投票した人は、これから重税・増税・憲法見直し等で世の中が息苦しくなってきたとしたら、責任を取ってくれるのだろうか。そこまで考えていたのだろうか。
もし、自分の予想が幸いにも外れるならば、とてもうれしい。自分ひとりが愚かであっても、家族と周りの人に迷惑をかけるくらいですむだろう。また馬鹿といわれても愚かさは自覚しているので、しょうがないとあきらめる。

昨日の選挙結果が、将来「日本の911」といわれないようになるのではないかと戦々恐々である。しかし言うべきことは言うべきだろうと思って、書いた。
この文を非難する人もいるだろうが、私の考えが誤っていることを分からせてくれ、取り越し苦労だから、心配することはないと安心させてくれれば、かえってありがたい。


9/13追記

気のせいか、小泉氏はそれほどうれしそうに見えなかった。たんに選挙疲れの成果もしれんが、結果の重大ささを改めて認識したのかも知れぬ。
2/3の議席を占めたということは、小泉氏に反対するものはほとんどいなくなったということだ。ということは、これから先の失敗は「抵抗勢力」のせいではなく、氏自身の失敗となる。つまり、もう仮想敵を想定することにより力を得ることは出来ないということだ。
これからはひとえに彼自身の力量が試される。そして課題は重く大きい。これからどうなるだろうか。
それを見越しての来年9月までの任期を明言しているのかもしれない。
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