eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

私的ライナーノート 突然段ボール「D」

というわけで、勝手にライナーノートを書くことにした。なんか、リーダーの人のblogを見ると派遣切りにあったらしいので、なんとか応援したいという気持ちがあってのこと。音楽一本でやってくのは大変だろうが、もっとレコードが売れてほしいし、ワンマンでのライブをやる機会も増えてほしいと思って、貧者の一灯のようなもんではあるが、及ばずながら助っ人したいわけ。とはいいながら、まぁ箇条書き程度のもんだが。
これを読んだら、レコード買え→ここでも可 ※アフィとか面倒なんでやらん。

以下、本文

今回のアルバム「D」は、ニューウェーブの香りを残しながら、切れ味のいいソリッドさを持った音楽である、とかいうと、ありきたりだな。

このバンドの音楽には「中景」と「遠景」がある。
「近景」とは、例えば「君と僕」の関係だったりするわけで、つまりは目の前のことだけ。「中景」とは、簡単に言えば「世の中」(社会といってもいい)。「遠景」とは、近景と中景を支える、自然をも含めた環境全体のことである。
「セカイ系」というのが流行ったが、これは近景の後にいきなり遠景が来るので、世の中が見えてこない。だからか、大人からは見るに耐えないものとなってしまう。
しかし、このバンドの音と言葉には、自分という近景をベースに、中景を生きながら、遠景までを視野に入れている。そこが大事だと思う。これは「開発の跡地」「丘の上から」あたりに明確に現れている。

サウンドについて言えば、ミックスに、ジム・オルークを迎えたためか、エレクトリックギターの音そのものが伝わってくる。また、ギター2本によるアンサンブルがよくとらえられている。このへん、ソニック・ユース「ムーレイ・ストリート」あたりの音の感触に通ずるものがある。2本のギターがリズムを刻む音。
ドラムはある種の軽さがあるが、このバンドの中ではタイトな音となっている。
ベースについては、ちょっと変わったベースラインだったりするのでよく分からん。でもギターがノイズになったときでも曲の骨格をしっかりと支えている。このバンドの曲は、不思議なメロディとコード進行の曲があるが、それが崩壊しないのはベースの役割のようです。
で、言いたいのは、ベースとドラムのマッチングがすごく良い。そしてライブで見たとき分かったのだが、あのへんてこギターなのに、一体感があるサウンドになっているのは、このリズム隊だからこそなんだろう。
それとコーラスの「おにんこ」がかわいい。Perfumeより、かわいいんじゃないか。
アートワークも秀逸であり、佐藤修悦氏による黒ガムテープによるレタリングは、段ボールという名称とマッチングがいいような気がする(笑。それとCD盤面のオレンジ色に、うっすらと浮き上がる「D」という文字が、なかなかしゃれている。

というわけで、曲の紹介
1.もう学校には行かない
俺が池袋のタワーレコードで視聴したときに、いっぱつでやられてしまった曲。イントロのギターがかっこいい。1弦と2弦の8フレットと3弦の7フレットを押さえたかんじの9連譜(かな?)と、ひずんだギターのリフのからみが、これから始まる音楽の良さを伝えてくる。
サビの「もう学校には行かない、会社なんか行かない」の部分は、覚えやすいのでつい口ずさんでしまうが、職場や学校では気をつけたほうがいい。
※この部分、CとEmでやってるような気がするが(いま手元にギターがないので、確かめられない)、ここの部分、はねた感じのベースを入れてディスコっぽくもなるような気がするね。それもかっこいいような気がするが、この3行は蛇足の文章なり。

この曲が20年ぶりに、突然段ボールとの再会であったわけ。名曲です。

2.不思議の国の住人
これは、歌詞も面白い。この「不思議の国の住人」とはどんな人が想定されているだろうか。
最初聴いたときには、アウトサイダー・アートの作者たちを思い浮かべたり、昔、町に必ず一人いたような、ちょっと頭があったかい、けど、みんなに愛されていたような人物とかを思い浮かべた。
とはいいながら、よく聴くと、「不思議の国の住人」としていちばんふさわしいのは、じつは突然段ボールなのではないかと思っている。

3.私は決して本気にならない
サウンド、歌詞ともになにやら脱力感のある曲。この曲では、途中で曲がさまざまに展開していくが、それが冗漫にも感ずる。他の曲の場合、冗漫になりすぎないところが、曲調の豊かさにつながっていると思うのだが。
なぜか聴くたびに蛭子能収を思い出すけど、それでいいのか?

4.解けない知恵の輪
イントロのギターのフレーズ、耳に残る。変なリズムの曲だが、不思議とドライブ感がある。これ、子供たちについての曲のようだけど、じつは最後に大人についても歌ってる。先日のレコード発売記念ライブでは、この曲をやった後で、「悔いのない人生を送ってください」っていってたな。

5.Bsus4の子守唄
これ、イントロに入ってる左チャンネルの生ギターと、最後のマウスハープが実はけっこういい。このへん、快調に曲が続いております。このバンド、けっこう子供に対する目配りがあるようなんだよね。これは4曲目の「解けない知恵の輪」にも言えることである。どうしてなのかはよくわからないけど。

ちょっととばして、8曲め。あいだの曲は、また今度書くか。

8.開発の跡地
このアルバムの肝の1曲。8から11まで怒涛の名曲ぞろいである。
日本全国に広がる、疲弊した地方都市を取り上げている曲。これこそが現実である。歌詞は言うことなし。郊外に巨大スーパーができると、これまでの町は死ぬ。そして町の中は「なにもない」状態になる。一方、新しいスーパーは、巨大な駐車場を必ず併設していて、なぜか独特の安普請。鉄骨にパネルを組み合わせた構造体に、多少化粧をした程度。いかにも、いつでも壊せるような建築である。そしてそのスーパーには、欲しいものは「なにもない」。
山を切り開き、川を崩し、旧市街を通らないバイパスによって、町の血液は吸い取られる一方。
歌詞の内容と、曲調が、一体になった名曲。

ところで、ECDのラップ。家人がこれを聴いて「般若心経か」と訊いてきた。当たらずとも遠からず。ある種の祈りと諦観がないまぜになっているということか。

まとめて言えば、この曲は、疲弊する日本という国の縮図であり、それに対する鎮魂の歌でもあるように思っている。
ただ、そこで「だから、もうおしまいだ」ではないところが、突然段ボールのよさではないか。音も力強いしね。

9.シベリアパン
そこで、続くのがこの曲。歌詞にはよく分からないところがあるけど、「暖炉に火をともし続ける意志」、「心のやさしい人のところに行きたい」というフレーズだけで十分。8では「なにもない」と歌うけれども、やっぱり「やさしい人」もいるわけで、世の中捨てたもんじゃないな。というか、そこのところから始めれば良いわけで。
このレコードのなかでは、割とメロディアスな曲でもある。

ところで、トルストイは分かるけどトルストルイ「ク」というのは、聞きなれぬ名前です。なんだろな。「アンドレイ トルストイク」「イワン・ミシュコフ」で検索すると、「犬に育てられた少年」という結果が出る。http://x51.org/x/04/08/0445.php。これを踏まえた歌詞なのかな。

10.丘の上から
これは、「開発の跡地」と一組になったような曲。イントロの2本のギターのからみがハードでかっこいい。
突然段ボールは、はっきりいって見た目も清らかでもなく、音楽もガチャガチャしているのだが、どうしたわけだか、なにか聖性を感ずるところがある。
「国見」という古語があって、意味は以下のとおり。
年頭、または一年の農事の開始に先立ち、その秋の豊穣(ほうじよう)にかかわる呪的景物を見て、豊穣を祝すること。また、その儀礼。花見はその一種。のちには天皇の即位儀礼の一環として、領有する国土の繁栄を予祝する儀礼にも分化した。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

この曲は、落魄した(多神教の)神が、それでも「国見」をしているようにも聴こえてくる、といったら言いすぎか。
間奏部、ベースとドラムがリズムを刻んで、ギターがノイズを出してる部分、それがまたイントロのリフにもどるところ、緊迫感がある。で、最後に2回転調して終わる。とてもいい。

11.オー・イェー
 ここまでくると、ギターはかっこいいし、もう特にいうことない。堂々の横綱相撲といったら言い過ぎか。
♪忘れたい思い出したり、思い出したり忘れたり~♪とか、♪あかりがふるえてー、コントラストが神秘♪とか、♪あとにもさきにも~♪とか、つい口ずさんでしまう。
 最後のファズギター、大団円という趣あり。ライブでは、湯浅学もニコニコしながら、一緒にギター弾いてたのがよかったです(w。

とりあえず今日はここまで。
また気が向いたら書きます。

以下、追記
さらに「開発の跡地」に関連して。
以前どこかに書いた記憶があるのだが、それがどこだか思い出せないので、改めて書く。
町の郊外に巨大スーパーが、盛んに作られた時期があった。このころ「シャッター通り」などという、さびれた商店街を言い表す言葉も出来た。
いわば、町の中心が、郊外のスーパーに移ったともいえる。
しかし、それならば、町の中心となったスーパーとは、一体何だろうか。
例えば巨大スーパーの店長を考えてみる。
旧市街の商店街の、かつての取りまとめ役は、ある場合は、地元の商工会の顔役でもあったし、場合によっては、市長選に出たりもしたかもしれない。
しかし、巨大スーパーの店長は、単なる社員であって、その土地に対して何の責任も負わない。
町の中心が巨大スーパーになったからといって、そこの店長が市長になるわけではない。つまり、地域社会に対して大きな影響を及ぼしながら、しかし地域社会への責任は負わないという立場。
これでは、町は死ぬだろう。

とはいいながら、巨大スーパーの時代も終わりつつあるようだが。
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