eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-08

昔のblogから-3  「命の水」に命はあるか

※2001年ごろ

2年程前に酒をやめました。
といっても仕事の付き合いがあれば1杯くらいのビールを1時間くらいかけて飲むことはあります。
酒には弱いほうなのですが、やめるまではかなり好きだったと思います。
やめたきっかけは、あるとき飲みすぎて、1週間に2回続けて記憶をなくしたことがあったからです。
さすがに我ながら危機感を持ちました。それで大きなターミナル駅のそばの病院に行きました。
診察を待っている間、いろいろな人が行き交いました。
どちらかといえば、みんな平均以上の知性と感受性を持ち合わせている人のように見えました。
そして、病院のやっかいになることを心のうちで恥じているようにも見えました。
大通りを歩いている無神経そうな人よりはよほど人間らしく見えたといったら言いすぎでしょうか。
私を診察してくれた先生は、「記憶をなくしたこと自体が既にアルコール障害だから、アルコール依存症でしょう」というようなことを言いました。
私も常識的にAAのことくらいは知っていましたが、なんだか通院して直すのが嫌でした。
それは、その病院にいる人たちを見ていると、なんだか悲しくなってしょうがなかったからです。
私もその一員とかわりはないのですが、生きていくことはなかなか骨が折れることで、なかには酒におぼれたくなる人も出てきます。
そんな人のほうが、むしろ人間らしくて、その分、生きているのがつらくなってくるから、ああなってしまうように思えたからです。

 

酒を「命の水」ともいいますが、それは山下洋輔ふうに言えば、エネルギーを未来から前借しているだけではないでしょうか。
一晩寝て、取り戻せるくらいのエネルギーの前借なら、「命の水」には確かに、命を生き返らせることもできるでしょうが、それくらいの酒ならば、むしろ飲まなくても同じのように、かつては考えていました。

 

ところで、私が酒をやめられたのは、病院にいる人が悲しそうに見えたから、という理由が大きいのですが、もう一つは、別に大決心をしたり、まわりに意思表示をしたりせずに、なにげなく酒を意識の中心から外せたからでしょう。
酒をやめようと頑張ったり、今日は飲みたいと思ったりすることは、どちらにせよ酒に意識が集中しているわけで、酒にとらわれていることにかわりはないようです。
そう思ったわたしは、飲もうとも飲むまいとも思わずに、ただ別の事をしていました。
それで、なんとなく酒におぼれることがなくなり、酒との深い縁を切ることができたようです。

いまの結論としては「命の水」自体には命はない。ただし翌日の命を前借することはできる。
しかし酒を飲みたくなるような原因は、酒を飲むこと自体では解決できない。
(一時的に忘れることはできる。しかし目を覚ますと、原因自体は目の前に変わりなく存在する)。

酒との上手な付き合いができる方には関係ない話でした。
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