eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

吉田元さんの経歴について

自分にとっては、とにかく謎めいたことの多い方であった。
ご著書を手にすれば、経歴もかなり明らかになるのだとは思うが、すぐには無理なので、自分の思い出もとりまぜながら書いていこうと思う。

まず、http://white.ap.teacup.com/applet/masuhiro/278/trackback?ap_protect=htflhnuslxh
に以下のようにある。
(以下引用)
 吉田さんは非常に謎の多い人で、実は詳しい経歴を僕はほとんど知らない。かつて北海道で牧童をしながら写真を撮っていたり、日本テレビで牛山純一氏のもとドキュメンタリー番組を撮っていたり、新潮社の『SINRA』という雑誌の立ち上げに関わっていたり、という断片的な情報しか知り得ない。もう何十年も前に新潮社から何冊か本を出したこともあるという。
(引用終わり)

また、http://www.aurens.or.jp/~onsen/7.htmlをみると以下のように記されている。
(以下引用)
昭和5年愛媛県今治市生まれ (1930)
昭和28年中央大学法学部卒業 (1953)
同4月北海道、根室原野(西別)に、約3年間生活する。
その後もしばしば同地と東京を往復、根室原野の自然や生物を対象にした写真集、随想集を出版する。
(引用終わり)

思い起こせば、私が吉田さんと接していたのは、約1年半の間のみだった。行政系雑誌の編集部で、新入りの自分は編集長の隣、その隣の一番端の席が吉田さんのデスクであった。
吉田さんは大体、お昼前後に出社されていた。お昼を一緒に食べた記憶がないので、午後イチくらいだったかもしれない。
立場的には、編集部の写真ディレクション、アドバイザーというところで、特に定まった業務の割り当てがあったというよりも、誌面全体を見て、グラフィカルなアドバイスをするというような立場だったと思う。
社内に「はじめ」さんがもう一人いたので、「ゲンさん」と呼ばれていたような記憶がある。
社会人1年生の自分には謎めいて見えた人物で、なんだか、横丁のご隠居もしくはご意見番のような存在であった。
また、ときどき、ご自分が写真を撮られていることを話された。
「君のはいている靴は、底が滑るか。(家の近所の?)多摩川で、(鳥の?)写真を撮っているのだが、革靴では滑ってよくない」と話しかけられたのが記憶にある。

夜は、新宿2丁目でよく飲んでおられた。お酒はお好きだったようだ。ネーチャーフォトのカメラマンとよく一緒に飲んでいたような記憶がある。

酒の席でいろいろ話していただいたが、自分も飲んでいたので記憶が曖昧である。思いつくままに列挙すると、
・若いころ、北海道にいたことがある。
・その後、南米(アルゼンチン?)に渡って、牛の種付けの仕事をしたこともある。これは北海道時代の経験があったから、とか言っていたような気がする。
・その後(いつかは不明)、テレビの仕事(TBS?)をするようになった。奥様とはそこで知り合った。吉田さんが風邪で伏せっているときに見舞いに来てくれたのがきっかけだとか。
・曰く、自分の文章は何ものも語っていない。それはテレビ時代にナレーション原稿を書くようになって、そうなった。
・最近は「多摩川暮色」というタイトルで、多摩川べりで鳥の写真を撮っている。

・法政大学に縁があったらしい(学生としてか、関係者としてかは不明。「昭和28年中央大学法学部卒業」とあるからには、学生としてではないようだが)。
・何かの折に(その時、大学側からなにか文句じみたことを言われていたような口ぶりであった)、法政大学学長の谷川徹三(と言っていた記憶がある)のところに、そのとき撮りためていた写真を見せたら、学長が「なるほど」と言って、それですべてが済んだ(具体的には、何が済んだのかは不明だが、「文句は言わなくなった」ということ)。
・今から思えば、法政大学出版から何冊か本を出されているから、その関係だろうか。
1956 カラスの四季 147p 法政大学出版局
1957 滅びゆく野鳥 148p 法政大学出版局
1960 鳥と森と草原 84p 法政大学出版局
・ある特集記事で編集部、カメラマンがてんやわんやの時に、「モノクロなら僕が現像してプリントしようか」と言っていたことがある。
・「周はじめ」という名前は、その会社にいたときにご本人から聞いたのか、それとも他の人から聞いたのか、今となっては思い出せない。
・普段はセーターを着ていたような印象があるが、実はかなりダンディな人であったようにも思う。寒くなりかけたとき、ある人が、黒のコーデュロイのジャケットを着てきたら、「先を越されてしまったから、今年はもう黒のコーデュロイのジャケットは着られない」と言っていた。また、夏のころだが、「○○さんのように、暑いときに暑いものを食べて汗をかくというのは、考えものだ。それをやって白い麻のスーツに汗のしみを作ってしまって、着られなくなった」などと言っていた記憶がある。


その後、自分はこの会社を離れたのだが、ある別の仕事で一緒になったカメラマンが「周はじめ」のことを知っていたので、非常に驚いた。
・そのカメラマンによれば、昔、「周はじめ」の写真にあこがれて、後に実際に北海道に行ってみたら、それが一種の美しく作られたフィクションの面があったのを知り、ドキュメンタリーの道はあきらめ、商業写真の道に進むことにしたそうである。

記憶違いも多々あると思うが、いま思い出せるのはこのくらい。
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