eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-08

Finalventなる人の

白川静先生の事績について、ネットを見ていたら、Finalventなる人の「白川静は「と」だと思う」という記事があったので読んでみた。http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_23.html

この人、http://ja.wikipedia.org/wiki/Finalventによれば、2004年のアルファブロガーに選出されているそうだ。
※アルファブロガー【alpha blogger】とは、多くの読者に読まれている、影響力のあるブロガーとのこと。
それにしては、ちょっとお粗末かなとも思い、また先人に対する最低限の敬意さえないのはいただけないが、これだけの量の記事を書き続けるのはたいしたものではある。
とはいえ、こんなことも書いている。ちょっとは大人になったのかな。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061101/1162390429

この件については、以下で上手にまとめているように思いました。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1098353963/134
(以下、引用)
白川静vs藤堂明保vs加藤常賢
134 :17:2005/08/04(木) 00:11:38 ID:edF8fQQD
>133

リンク先読ませていただきました。
私はソシュールの言語学については全くの素人ですので記事の内容について突っ込んだ議論はできませんが、オリエント起源のアルファベット等々の文字体系の中で生活し、思考し、組み立てた定義をそのまま極東で生まれた漢字に当てはめているのにはやはり疑問が残ります。
ソシュールの説が漢字や古代中国の思惟構造にも当てはまるということを証明するのが先ではないかと思うのです。
そうしないと、かつて中国史学者がヨーロッパ史から考察されたマルクスの唯物論をそのまま中国史にも当てはめ論理の破綻をまねいた失敗の二の舞になってしまいます。

白川先生のソシュールに対する意見は中公新書の『漢字百話』の最初に書かれてます。

まあ、何にせよリンク先の論は紀元前1100年以上前の漢字に対して紀元前3世紀末の始皇帝を持ち出して論を組み立てていることからして、中国史に対する認識不足・配慮不足が見受けられますな・・・
(引用終わり)

浅学菲才の私としては、あまり口をはさむことはできないのだが、折口信夫が、古代人が憑依したような境地になって、感じ、考え、書いたことは、「学問的に」検証しようとしても難しいが、しかし、ある種の説得力がある。このレベルまでくれば、真偽は問われなくても良いようにさえ思う。
同様に、白川先生は、文字をなぞっているうちに、やはり古代人が乗り移ったようになり、その立場から、考え、書いたように思う。ここまでくると、やはり真偽の問題ではないと思う。
古代人の心象が検証不可能なことは、古代の発音がどうであったかを検証不可能(推定は可能だろうが)なことと同じように思えるが、文字の世界を感得し、このようであったのではないかと書くによって再構築することは意味があるのではないか。
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