eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-06

携帯電話と携帯音楽

駅の前を通りかかると、改札から出た人たちが、いっせいに形態電話を見つめながら歩いてくる。見慣れたといえば、そうもいえる光景。
あれは、いまここにいる人ではなく、別のどこかにいる人に気持ちが行っているわけで、昔風に言えば「心ここにあらず」。あまり褒められたものではない。
同様に、iPodのような、walkman的なものも同様だな。

まずは、携帯電話について。
本当かどうか知らないが、「他人を見下す若者たち」(速水敏彦)中に、携帯電話非所持者は利他的傾向が認められる、とあった(記憶がある)。なんとなくそうかなと思う。一方で、歩きながら携帯電話をかけたりする人は、なんとなくみっともないというか、見苦しい(気がする)。
禅の世界(もしくは古代の仏教でも?)、目の前にあることを一生懸命行う、ということを重視するようである。平たく言えば、現実をありのままに捉え、そこで生きるというのが大事なようである。そうなると、他者と共有している目の前の現実よりも、電話で話している遠くの人のほうが大事という状態は、褒められたものではない。というか、携帯を使っている人にとっては、目の前の現実は、あってなきごときものであり、そう見られている周囲の人にとっては不快である。逆に言えば、目の前の人と無関係に携帯で話している人は、ここにいないのと同じだから、周囲のものは、彼をそのように扱ってもいいのだろうな。

同様に携帯音楽は、目に見えているものを、音楽のバックグランドビデオのようにしてしまう傾向がある。つまり、これも、目の前の現実を受け止めないという点で同じだな。とはいうものの、満員電車のように、見たくない現実から逃避するため音楽に逃げ込むのは仕方がないので責められないが、人に道を訊くときに、ヘッドフォンをしたままでこちらの話を聞いたりする馬鹿がいると、やっぱりがっくりと疲れてしまうな。

以上、とりとめもないことを書いたが、「心ここにあらず」の人々は、別の世界で生きている(=ここでは生きていない)わけなので、一種のゾンビのようなものかもしれぬ。
ここから、シクロフスキーの異化論に話を進めたいのだが、まだ力が足りないので、進めない。
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