eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2018-06

Glenn Brancaが亡くなっていた。

5月13日に亡くなっていたそうだ。一度ライブで体験したかった。
Glenn Branca - Lesson No.1 for Electric Guitar
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こういう映画もあるんでしょうな ホドロフスキー賛江-3

早稲田松竹ホドロフスキー祭の最後というわけで、「サンタ・サングレ」と「ホドロフスキーの虹泥棒」の2本立てを見た。
いろいろ見方はあると思うが、「虹泥棒」は、破綻寸前のストーリーを無理やり体裁を整えたかんじで、悪くないが、特別面白いわけでもなかった。
というか、特異な設定なので、いつか面白くなるだろうと思ったらそうなる前に終わったというか。
べつにホドロフスキー風味を期待していたわけではないが、そうでなくても、もうちょっとストーリーを整理したらよかったのではないかと思う。
最後の場面は救いはあるけどね。
見どころとしては、貧民集えるパブのおやじがイアン・デューリーで、これがはまり役だった。もともとパブロックから出てきた人なので、役柄にぴったりだった。
しいていえば、パブのハウスバンドをブロックヘッズにしたら、個人的には傑作になったんだが。

「サンタ・サングレ」は、予想以上によくできた映画。
ストーリーも卓抜で、設定もホドロフスキーらしさがあふれているわりに、破綻なく(というか普通の映画よりは設定自体相当破綻しているが)、結末にむけてお話が進んでいく。
起承転結がはっきりしています。
とはいえ、最後の場面、普通に逮捕される=現実(世俗)世界に引き戻されるように思えるが、もうちょっと飛躍があってもよかったような。

というわけで、6本見たが、今のところ「エンドレス・ポエトリー」がいちばん好みだった。勢いあまって、ホドロフスキーのタロットの本を借りてきたが、考えてみると、タロットカードも持っていないので、これは図書館にすぐに返そうと思う。

2 be a 69, not to 66 6月9日はロックの日

6月9日は、ロックの日。2 be a 69, not to 66(中版カメラではない)なので、いちおう「天国への階段」を聴いておいた。
どちらかといえば、GOGO7188の「こいのうた」のほうがロックなかんじがする。

それにしても、半年前から、新宿のイシバシ楽器で売れ残っていた70年代のムスタング。白ボディ、メイプルネック、黒ピックガード、マイクがEMGに換装、というのが8万円代で売っていた。どうも人気がないらしく7万代に落ちてきて、もう少し落ちたら、買おうかと思っていたら、売れていた。
ロックの日は、特別割引があったそうだが、空しい。

詩の話 ホドロフスキー賛江-2

引き続き、ホドロフスキー映画の話を。
今回初めてみた「エンドレス・ポエトリー」はかなり気に入った。併映は「リアリティのダンス」で、これも良かったが、前者のほうが好きである(というか、結局エンドレス・ポエトリーは2回見た)。
ちょっと驚いたが、主人公をはじめ、いろいろな役柄でホドロフスキーの息子(複数)が出演していて、家内制手工業のような映画作りだと思った。

それは良いとしてどうもホドロフスキー自身は、一義的には自分は詩人だと思っているようだ。
では詩および詩人とは何だろうか。日本ではそれほどではないが、たいていの国では文芸の最高峰が詩であり、詩人の社会的存在は意味が大きい。
日本の場合は、定型詩(俳句、短歌)は案外にしぶとくて、人気も実作者も少なからずある/いる。ただし、社会的影響力は必ずしも大きくないような印象がある(とはいえ、人の心に入り込んで、思わぬ時に影響する)。
現代詩(定型的リズムがないものと言えばよいか)はどうだろうか。
人気のある詩人もいて、ときどき話題になるが、文芸の最高峰という位置づけではなかろう。
しかし世界レベルでは、(俗っぽい例ではあるが)ノーベル文学賞はけっこう詩人に授与されている。

まあ、そのへんは別にいいのであるが、なぜ詩が重視されるのだろうか。
ホドロフスキーを例に考えると、詩として口から出た、日常の言葉とは違う、一連の言葉は、単なる言葉の意味の連なりと音の響きの連続ではなく、かなり実体感のあるもののようだった。
詩を黙読するのは、ナンセンな話で、そもそも音の響きが現実世界に放たれ、それが相手に届いて特別な意味を生ずる。
映画を見ていると、詩は詩人の口から語られ、聞き手に届き、確実に相手(という現実)を変えるもののようであった。さらに言えば、そのまま現実世界に働きかける=世界を変える力があるという確信があるようであった。
むしろ、そのような確信を持つ者だけが、詩人となる資格を持つのだろうか。
ホドロフスキーの場合、まず詩の世界があり、それを現実化すると、ある場合には映画になったというように見た。
つまり、詩という特別な言葉による一種の世界創造である。こうなると、旧約聖書の創世記を思い出す。
神が「光あれ」と言えば、光があるようになった。そのあとも、「神は言われた」という言葉とともに、空ができたり、植物ができたり、月ができたり、動物ができたりする。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html
詩人の言葉=詩は、それを再現とまではいかなくても、それをなぞる力、もしくは再度世界を生まれ変わらせる力を持つ、という含意が共有されているのではなかろうか。

ちなみに、歌、音楽、踊りのシーンもふんだんにあり、ホドロフスキーはかなり関心があるのだろう。
これは当然のことで、詩があれば自然と歌が生まれ、歌があれば音楽とダンスがはじまり、それだけでも日常とは別の世界がその場で生まれる。
そういえば、若きホドロフスキーが友人たちと別れてパリに旅立つときに歌う歌(僕は船で旅立つ、云々)は、チリあたりでは有名な曲のようで、別の映画(「サンタ・サングレ」だったかな)でも、歌われていた。
いろいろ書いたが、「エンドレス・ポエトリー」は何度でも見たい。
こんなことを思いついたのは、やはり早稲田松竹で先日見た、ジャームッシュの「パターソン」がやはり詩と詩人についての映画だったので、いろいろ考えてしまった。しみじみとした、いい映画でした。
http://www.wasedashochiku.co.jp/lineup/2018/jarmusch2018.html
ちなみに、このときの併映は、Iggy Popの「Gimme Danger」で、彼の詩がシンプルなのは、子供時代に見ていたテレビの司会者が「ファンレターは20語以内にしようね」というのを今でも守っているからとか言ってたな。

で、「リアリティのダンス」は、ユダヤ移民のお父さんは苦労しすぎて性格が歪んだが、幼少期のホドロフスキーもとばっちりで苦しんだ(でも、それによって現在のようになった)という話でした。
早稲田松竹で見たときは、たまたま「エンドレス・ポエトリー」、「リアリティのダンス」の順番で見たが、密接につながっている映画なので、先行作である「リアリティのダンス」から見たほうが、より楽しめると思います。
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