eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2017-09

続猫々

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猫々

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つれづれ

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体育会系が時代遅れになりつつある?わけ

先日、日経関連のwebサイトを見ていたら、会社員向けの人生アドバイスのような記事があった(こういう記事はよく見かける)。
そこでは、自他ともに認める体育会系ということで頑張ってきた後輩がいて、最近元気がない。
先輩にあたる筆者が、「どうしたんだ」と飲みに誘ったら、これまでの仕事のやり方(記事からすると根性主義っぽい)が通用しなくなって、行き詰まりを感じている、とかなんとかそういう記事であった。
→この記事でした。体育会OB社員を襲う早すぎる「定年」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/032500025/060200030/
本当にそんなことがあったのかはしらないが、記事として需要はあるような、つまりある程度、現実としてあり得る話なのだろう。

さて、体育会系の美点はいろいろある。だから就職などでも有利だったという(俺には全く関係なかったが)。
ただ、どうもかつてほど持てはやされていないらしい。なぜか。
体育会系は、スポーツに打ち込んでいる(当たり前)。
スポーツにはルールがある(当然)。
そのルールのなかで最大限努力する(立派です)。

ところが、そのルールにあたるものが社会に確立していない状況になってきた、ということではなかろうか。
例えば、ソニーのウオークマン。音楽を身に着けるという発想と、その枠組みを作ったのは素晴らしい。
しかし、appleはiPodでルールを変えてしまった。
つまり、持ち運ぶのだから音質は落ちてもよい(mp3等)と割り切れば、いろいろな利点が出てくる。
曲単価が安くなる。通信しやすい。小さい筐体にたくさんの曲データが入る。
いわば当初のルールを変えて、違う競技を始めてしまったようなもののように思う。
しかしソニーはオーディオメーカーでもあったので、自ら音質を落とす発想はためらいがあったか?

こういったことが重なると、ルールを大事にするよりは、ルールの逸脱を考えるような発想、態度が求められる。
枠内での努力ではなく、枠自体を再検討する能力(それも頻繁に)。
そうなると、枠内の努力を重視するタイプの発想はやはり行き詰るだろうか。
まじめな人が多いだろうと思うので、気の毒に感じる。
枠にもいろいろあって、仕事関係だけでも日々の人間関係の枠、会社の枠、業務の枠等、自らを取り巻くフレームは重層的になっている。
そのなかで体育会っぽい先輩後輩関係が暑苦しくかんじられるのかもしれない。

俺自身はほんとうはどうでもいいと思っているのだが、かつてF1で日本製マシンが好成績をあげるたびに、また、オリンピックで日本選手が好成績をあげるたびにレギュレーションが変更されたことを思い出す。
いわゆる体育会的なものごとは好きではないが、時代や環境にまじめに向き合ってきた人が割を食うのは、あまりいい気がしない。

2011年に東日本で小学3年生だった人たち

先日、若い友人と話す機会かあった。
彼は東日本大震災の被災地で学習塾の仕事をしているが、数年前に会ったとき、既に「ブラック部活」の話をしていた。
それほど部活で実績もない学校なのに強豪校並みの練習時間を費やし、そのために受験勉強が疎かになってしまう。そのしわ寄せは、スポーツ特待生になるわけでもない、ごく普通の、部活に参加している生徒の進路に現れてくる(もちろん部活に打ち込むことの様々な意義は承知しているが)。
やはり現場を見ているのでマスコミよりも早く実感していたそうだ。

今回会ったときに聞いた話では、被災地で見受けられる、ある傾向のこといっていた。
現在、受験期である中学3年生くらいの生徒は、2011年に小学3年生であった。この時期は、避難生活などで落ち着かなかったためか、根本的な学習態度が身についていない子供が目立つという(全員ではない)。
もちろんどの時代でも学業不振の子供はいるのであるが、今回はそれ以前の状態で、大袈裟にいえば「まず教科書を開き、手に鉛筆を持ちましょう」というところから始めなければならないそうだ。
小学3、4年生はギャングエイジとも呼ばれ、好奇心が発達し、自我が芽生えて反抗心が出たり、集団行動をとり始めたりするような大事な節目の時期である。
この時期に、落ち着いた生活が送れなかったり、成長に必要な通過点を体験できなかったためではないだろうか、というのが友人の見立てであった。
これがどの程度、確からしさのある話なのか、当事者ではない俺にはわかりかねるが、然もありなんと思われる。
これは、東日本の場合、2011年に節目の年齢を迎えていた様々な世代(小学3,4年生以外)にも、当てはまることではなかろうか、とも心配している。
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