eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2016-06

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池袋 春先

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古武士の風格 写真家・広河隆一

先日、広河隆一氏の映画「人間の戦場」の上映に行き、直接に氏の言葉を聞く機会があった。
映画で語られていることは、概ね氏の写真や文章で語られているものであったが、実際の撮影の様子をみて、思うところがあった。
冒頭にイスラエル警察がパレスチナ人のデモ隊に催涙ガスを発射する場面があるのだが、広河氏はいったん下がってから持参のガスマスクをつけて、ごくごく普通の様子で警察に近づき写真の撮影を続けていた。なるほどこういう人らしい。

広河氏は、「自分のことをフォト・ジャーナリストと呼ぶ人もいるが、その前にジャーナリストであり、さらにその前に人間である。だから人間として見逃せないことがあったら、写真を撮ることは後回しにして、人としてなすべき行動をとる」と言っていた。
そうなると、根本にある人間性が問われることになるが、そこで思い出す話がある。
以前、放送大学で広河氏の番組を見たのだが、チェルノブイリを取材している広河氏は福島原発事故の後、当然ながらすぐに現場に行った。しかし原発事故をしらずに右往左往している人々の避難を誘導するのに手いっぱいで写真を撮る暇はなかったという。
言葉と行動が一致した人である。

映画の後の話では、撮影中に拉致連行されて、生命の危険にさらされたこともあったそうだ。その時は、いつも付き合いのある難民キャンプのお母さんたちが押しかけて訴えたため、釈放されたという。ずいぶん危ない目にもあっているのだろうが、それでも撮影をやめる気はないようだ。
そのように話すときも、映画のなかで撮影しているときも、広河氏は気負わずたんたんと自らがなすべきと定めたことをなしているようにみえた。
主張すればいくらでも声高になれるだろうが、そういうことはせずに、いくぶん低めの声で言葉少なに語っておられた広河氏の様子に、なぜか「古武士」という言葉が浮かんできた。節操堅固で、信義に篤く、剛毅実直な昔風の侍。ある意味で人間の理想とする姿のひとつではなかろうか。

写真家は、何を撮るかではなく、どこにいるかということのほうが重要だ、という言葉を聞いたことがある。広河氏の仕事はその通りのことを実行しているように思った。

ちなみに、ご署名をいただきました。
なんだかんだ言っても、おれはミーハーなのだ。
だから古武士のような人に惹かれるんだろう。

とめどなき老人化と幼児化

しばらく前から文藝春秋(本誌)を開くたびに、「なんでこんなに字が大きいのだろう」と思って、読む気がしなくなっている。
行間が広くなった分も含めると、かつてと比べてページあたりの文章量はそうとうに落ちているだろう。巻頭の随筆など、ずいぶん薄味になった。
最低限のボリュームが確保されないと、書きにくい事柄もあるだろう。主たる読者層が年老いているのだろうが、同時に文章量も落ちて、おつむの具合も落ちているのかもしれぬ。
また、最近できたような新しいヨーカドーに行くと、エスカレーターがちょっと驚くほど遅い。
これも買い物に来る年寄りに合わせているのだろうが、遅すぎて乗り降りのときに毎回戸惑う。
なんだか世の中が怒りっぽいような雰囲気をかんじるが、これも社会が高齢化しているからのようにも思う。
年とってきて分かったが、若い時のようにいつも快調というわけではなくなってくる。だからなんとなく不機嫌になって、いろんなことに対して面白くなくなるんだろう。

一方、先日近所のスーパーで握りずし寿司を買ってみた。
スーパーで出来合いの総菜を買うことなど、最近なかったせいか、なんだか急に買いたくなってしまった。
さて食べようとすると、生姜の小袋のほかに、ワサビの袋もついている。ワサビの追加だろうかと思ったが、ひょっとしてとおもってネタをはがしてもみたら、すべてサビ抜きだった。
スーパーのお寿司にいっても仕方がないのかもしれないが、ワサビまで含めてのお寿司が普通で、さび抜きというのはわざわざ頼むようなもののはずだったのだが、スーパーではむしろそれが基本か。

だからといってこのくらいで世を嘆くこともないのだが、居心地が悪いこともたしかだ。

【再掲】核災という言葉  6/12NHKEテレ「こころの時代」に若松丈太郎先生出演

6月12日(日)朝5時~6時、NHK教育「こころの時代」に若松丈太郎先生がとりあげられます。ぜひご覧ください。
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2016-06-12/31/21639/2008251/



※以下3月20日初出。

しばらく前に、相馬高校時代の恩師(と勝手に思っている)若松丈太郎先生のご自宅にお邪魔した。
その時に先生は、福島第一原発事故について「核災」という言葉を使われた。正直その時はあまりピンとこない表現だとは思ったが、詩人の仕事というのはこれまでにない言葉と概念を作ることだとも思っているので、そういうものかと思いながら帰途についた。
そうはいうものの、なんとなく引っかかる言葉ではあった。
核災というのは、「核災害」の省略形であろうか、それとも「核災」で省略されない一語だろうか。自分なりに時折考えたり口にして言葉の響きを確かめたりした。

しばらく前に、天災、人災、震災、火災、戦災と言葉を並べているうちに、なんとなく核災という言葉のニュアンスが腑に落ちてくるような気がした。天災がきっかけであるが、実際は人災であり、かなり戦災に近いニュアンスを感じとったときに、核災という言葉の落ち着きどころを得たように思った。

ちなみに台湾あたりでは普通に「核災」という言葉が使われているようです。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E9%9A%9B%E6%A0%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%88%86%E7%B4%9A%E8%A1%A8

この言葉について再度考えたのは、3月19日付朝日新聞に河北新報の寺島英弥さんの記事が出ており、同日「プロメテウスの罠」に詩人の若松丈太郎先生が登場している。相馬高校で若松先生が国語教師だったころ、寺島さんは相馬高校生だったはずなのに気付いたのがきっかけだった。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12261429.html
http://www.asahi.com/articles/DA3S12261478.html

西江先生が亡くなって1年。

西江雅之先生が昨年亡くなって、ほぼ1年が経とうとしている。
日頃は日付の入った写真は撮らないのだが、この時期はなぜかそうしたくなって、日々の写真を撮っていた。

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