eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2015-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夢に似たもの

今月号のアサヒカメラで、森山大道がモノクロ写真の特性について「夢性」「異界」「非日常」という言葉を使って語っていた。
しかし、俺からみるとモノクロ写真にしなくても、東京の町は夢に似ている。
ちょっと前まであった建物が忽然となくなり、遠いところにいつの間にかビルがそびえたっている。
行きかう人も、ある時は視線が絡み合い、ある時はまた何もなく、いずれにせよ認識不能な人数に日々出くわすので、なにか現実のこととは思えない。
瞬間ごとの現実感と、それを連続体としてみたときの脈絡のなさが、夢に似ているのではないかと思う。
そういえば桑原甲子雄に東京を撮影した「夢の町」という写真集があった。

では、自分にとって夢ではない町があるとすれば、郷里の町であろうか。しかし、離れてからすでに数十年たっているので、思い描く町は記憶のなかにしかないことはわかっていた。
さらに震災以来、根本的に町のありようが変わってしまった。
単線のJRが一時間に一本通るような、東に行けば海があり海水浴や潮干狩りが楽しめる、港があって新鮮な海産物が食べられるようなそういう町であった。西に行けば山があり、5月には新緑、秋には紅葉のもとで芋煮会を楽しむような町であった。
町なかは城下町の面影が残っており、本屋が3軒あり辻々には喫茶店があって、それぞれ行きつけの店で一服するのを楽しむような田舎の町であった。
今のことは、いろいろなことがありすぎて書きようがない。
やたらと新しい大きな道路が出来たが、除染と将来の廃炉作業用の幹線となるのだろうか。

母は震災以来、東京の介護施設に身を寄せているが、認知症がひどくなって、瞬間ごとの判断力はなかなかのものだが、今話したことさえ忘れてしまって、何回も同じ会話を繰り返すような状態である。
介護施設の人が、何かの折に「生活にもだいぶ慣れたと思うので、なにか新しいことにチャレンジしたらどうか」と言ったら、母は「この場所で暮らすことがチャレンジだ」と答えたそうだ。本来いるはずでない場所で暮らしていると考えているからこそ、チャレンジだと答えたのだろう。
瞬間が連続しているだけで、コンテキスト的に統合されていない時間、日々をすごしている、しかも自分でそれをうっすらと自覚しているようである、そういう母は、ひょっとして夢のなかのような時間をすごしているのではないか、などとも考えたことがある。本当のところはやっぱり分からないわけであるが。

15103001.jpg

15103002.jpg  15103003.jpg

15103004.jpg

15103005.jpg

15103006.jpg

15103007.jpg  15103008.jpg

15103009.jpg

15103010.jpg
スポンサーサイト

飯舘村、山津見神社のオオカミ絵

以前書いたが、飯館村の山津見神社拝殿が焼失してしまい、その後オオカミが描かれていた天井画の復元作業が進められていたが、だいぶ進展してきたそうだ。
天井画だけでは神社にはならぬが、オオカミを祭っているということもあり、何かが少し動き出してきたようにも思える。
東京藝術大学の学生さんには頭が下がります。尊い仕事だと思う。

以下引用


火災で焼失の天井絵を復元 飯舘の山津見神社拝殿
福島民報 2015/10/25
http://www.minpo.jp/news/detail/2015102526260

 火災で焼失した飯舘村佐須の山津見神社拝殿にあったオオカミの天井絵237枚のうち100枚が復元された。作業を進めてきた東京の東京芸術大で24日、記念フォーラムが開かれた。
 山の神の使いとされるオオカミの天井絵237枚全てが、平成25年4月に起きた火災で焼失した。
 火災発生前に和歌山大観光学部の加藤久美副学部長・教授とサイモン・ワーン特任助教が撮影した写真を基に、東京芸術大大学院保存修復日本画研究室の荒井経准教授が学生らと復元に当たった。三井物産環境基金を活用した。残る137枚の復元は、第2期分として28年度中の完成を目指す。
 フォーラムには約70人が出席。氏子総代で伊達市の仮設住宅に避難する菅野永徳さん(76)は「村のシンボルがよみがえり、言葉にならない。感動を村民に伝えたい」と東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興へ決意を示した。荒井准教授、加藤教授、サイモン特任助教らもプロジェクトの趣旨や経緯、思いを発表した。会場後方にはさまざまな表情を見せるオオカミの絵が並び、来場者が興味深く見ていた。
 神社再建後初の例大祭は11月28日に行われ、絵の復元が報告される。平成28年5月28日から7月3日まで、福島市の県立美術館で企画展を開き、絵を一般公開する予定。

現代中国のジョナサン・スイフトこと遼寧師範大学の“木然” 教授

日経関係の記事を見ていたら、面白い話を見つけた。
話自体は、中国は後継ぎとして男子を偏重するため、結果として結婚適齢期の女性が激減し、独身男性は結婚できないままのものが大量に発生するという内容である。
ここに登場する“遼寧師範大学”教授の“木然”氏が実在しているのかどうか知らぬが、書きぶりからして「穏健なる提案」あたりのジョナサン・スイフトを思わせる。
気違いじみた事を書きながら、じつは非常に真摯であるように思う。

ちなみに「木然」を辞書で引くと、以下のとおり。
・木然mùrán
形容詞 (一時的に)ぼうぜんとしている,あっけにとられている.
用例:我木然地望着他们远去的背影。〔連用修〕=私はぼうぜんと彼らの遠ざかって行く後ろ姿を見ていた。(白水社 中国語辞典)

この意味からすると、当然筆名だろう。

以下引用となります。

2020年、中国未婚男性3000万人の危機 1人っ子政策35年の歪み、打つ手なしか
2015年10月16日(金)  北村 豊
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/101500021/?P=1

10月7日付の香港紙「東方日報」は、“遼寧師範大学”教授の“木然”が書いた『計画出産の暴政は絶対に終結させねばならない』と題する文章を掲載した。彼は3000万人以上の独身男性が反社会的な方向に走らないようにするための解決策を、中国共産党による暴政論理の観点に立って、多数の解決策を提案するとともに、その可能性を検討した。その解決策の例を挙げると以下の通り。

(1)戦争を通じて結婚にあぶれた独身男性を始末する。但し、人口を減らすために戦争を起こしたら、世界の人々は中国共産党を唾棄し、世界の歴史上に汚名を残すことになる。
(2)移民の形で結婚にあぶれた独身男性たちを国外へ移動させる。そうなったら、移民の目的地となった国はマヒ状態に陥るだろう。
(3)現行の一夫一妻を改めて一妻多夫にする。但し、それは現行の一夫一妻を規定している婚姻法に違反するのみならず、人類の文明を破壊する行為につながる。
(4)売春を公認し、“妓院(売春宿)”の発展に力を入れて、3000万人の性的飢餓を解消させる。そうなると“紅灯区(歓楽街)”が建設されるだけでなく、独身男性の性的欲望を解消させるだけでなく、すでにある家庭までも破壊に導き、離婚によってさらに多くの独身男性を出現させることになる。
(5)結婚にあぶれた独身男性をガス室へ送り込む。これはナチスがユダヤ人に行った残酷な方法で、採用できるはずがない。
(6)結婚にあぶれた独身男性を去勢して、彼らを“太監(宦官)”にする。これは人情にもとることで、たとえ多くの人々の賛同を得ても、本人は絶対に認めないだろう。
(7)結婚にあぶれた独身男性を「動労改造強制収容所」に送り込み、彼らに飢餓を耐え忍ばせることにより、男性ホルモンを分泌し難くする。これは思想犯や政治犯にやることと同じだ。

 木然は極端で無謀な解決策を提案することにより、その愚かしさをより一層際立たせ、3000万人以上の独身男性が結婚にあぶれる原因となった1人っ子政策の撤廃を中国政府に強く要請しているのである。文章の最後に、木然は次のように述べている。

「計画出産の本質は、人を人として見ず、人を道具として見ていることにある。生命の神聖性を尊重せず、生命を児戯として見ている。生命を尊重し、生命を第一に考え、計画出産の暴政を放棄し、計画出産政策を廃止し、計画出産担当者を廃業させねばならない。人口の増減を自然に任せることによって、中国の数千万人の男性が結婚にあぶれて独身になる問題は最終的に緩和と解決を得ることができる。そうすることで中国は男女比率が“和諧的社会(調和の取れた社会)”になることができる。」

写真と社会

写真家の福島菊次郎が亡くなった。
俺からすれば、不屈のドキュメンタリー写真家という印象で、失礼ながらきちんと写真集を見たことはない(が、いくつかの有名な写真は知っている)。
右翼に家を放火されたあたりは、チッソに雇われた暴漢に襲われて、やがてそれがもとで亡くなったユージン・スミスを思い出したりもする。

ところで、今、世田谷美術館で濱谷浩生誕100年展を開催している(11月15日[日]まで)。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
昔から濱谷浩の写真が好きで、「歌っていく鳥追い」「ホンヤラ洞で歌う子どもたち」等は、夢の中の一場面のようにも見える。
さて、濱谷浩の有名な作品に富山県の水田で胸まで泥に使って作業をしている様子を写した「田植女」という写真がある。
この写真が発表された後、あまりに劣悪な状態が問題となって、役所が排水施設を整備して、状況は改善された。
また北海道の貧困をとりあげた写真を発表したら、全国から義捐金が集まったという話もあった。

写真によって、社会が良くなるという実感があった時代がたしかにあったのだろう。
写真にその力がなくなったとは思わないが、かつてのような直接性ではなく、もっと違うかたちで働きかけるものになったのではないかと思う。
直接性のなかには、すぐに言語化(もしくは絵解き)できるようなところもあるように思うが、写真は言語化しにくい現実を扱うことが本来ではないか、と思うところがある。
もしくは、単純な言語化を超えたものも写っているというか。
そんなことを考えた。
人気ブログランキングへ

 | HOME | 

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。