eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2015-06

西江先生のこと 02

西江雅之先生の業績やいろいろなエピソードは多くの人が書くだろうから、個人的な思い出の話だけ書いていく。
先生の名は大学に入る前から知っていたが、どこから耳に入ったのかは覚えていない。でも1年のときの最初の文化人類学の授業(正式の履修前だった)に行ったのは、やはり漠然とした前知識くらいはあったからだろう。
教室に行ってみたら、ホールほどではないがかなりの大教室が満員になっており、すでに立ち見の人がいた。このときは出遅れて立ち見だったため、また履修前のお試し授業だったせいもありノートはとっていなかった。
その当時の自分からすれば先生はなんとなく知っている程度の存在であったが、他の人からすれば、相当の有名人であったらしい。田舎でのんびり暮らしていたので、誰でもが知っているわけでもないはず(マスコミで盛んに取り上げあれているわけでもない)の先生に、これだけ多くの関心を持つ人がいるということを見て、やはり東京はすごいと思った。
最初の授業の内容は、文化人類学の定義と位置づけの話だった。

翌年のノートから概要のみまとめると、
黒板の右端から、

人についての研究
   ―そのなかのひとつの人類学(anthropology)
        ―形質(自然)人類学(physical anthropology)
        ― 考古学(archeology)
               ―先史考古学(prehistric archeology)                      
               ―classic studies  
        ―民族学(ドイツ系)ethnology
        ―社会人類学(イギリス系)social anthoropology
        ―文化人類学(アメリカ系)cultural anthropology

それとは別に、以下が説明された。
       民俗学(folklore)
       比較動物生態学(ethology)


人間のすべての学問は、当然ながら理系文系含めてすべて人間に関係がある。だから学問は結局「人についての研究」であるが、そのなかでも、人そのものに注目する人類学(anthropology)は、大きく分けると形質(自然)人類学系統のもの(サル学とか生物学とつながる部分多い)と、考古学(対象が現代ではない)と、文化研究的なもの(アンダーラインをした3つの学問)に分けて考えることができるというような話であった(けっこう不正確です)。

これらの話は、当たり前であるが学問的な話であって、教室にいた人たちの期待していたような奇想天外な面白おかしい話はほとんどなかった。そのせいか、2回目の授業からは、出席者がぐっと減った(立ち見までして授業を受けようとする人はいなかった)。
ただ、この授業の最後のほうで、ドイツ圏を中心とした民族学が異国趣味というか文物収集に力を入れ、イギリスを中心とした社会人類学は親族関係研究などのように人間関係重視であり、文化人類学が多民族国家というアメリカの国情を反映して言語研究(宣教師の存在も大きい)に向かったのも、結局は学問自体が自文化の傾向を反映しているということであり、これから学ぶはずの文化人類学自体を相対化して説明されたところが、非常に面白く思えたので、2回目からの授業が楽しみになった。
それが西江先生との出会いだった。

以来、在学中は大学院生のクラスを除き、単位とは無関係に、出られるかぎりのほとんどの授業に出席したような記憶がある。
いつのころからか研究室にも遊びに行くようになったが、それはどういうきっかけかは覚えていない。誰かに誘われたのか、先生から声を掛けてくださったのか。
このときに、一緒に研究室に行った仲間とは、長く付き合うことになった。
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西江先生のこと 01

思い返すと、6月18日は目覚めたとき、右胸に気胸のと同じ鈍痛があった。右肺は薬剤をいれて、パンク修理したはずだったのだが。
気胸であれば安静にしているのが一番なのだが、仕事があるので体を起こして、会社へ行った。
仕事の区切りがついた16時ごろ、何の気なしにニュースサイトを開いたら、西江雅之先生の訃報が載っていた。
ここのところ入院やblogの休載などがあって心配はしていたのだが、これほどすぐとは思っていなかったので、つまり先生は執筆などでまだまだ現役だったので、虚を衝かれた思いだった。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」(徒然草)というが、しばらくは大丈夫と思っていたのに、気付いたら足下まで潮が満ちていたのだった。

何もする気がなくなり、呆然と家に帰った。酒を飲む気にもならない。起きていると、思い出したり後悔したりすることばかり頭に浮かぶので、風呂にも入らず、歯も磨かずに寝た。
先生は風呂に入らないので有名だったが、それと同じだなと思いながら寝てしまった。
先生は風呂に入らないことについて、「でもにおうわけではないでしょ」と言っておられて、たしかにくさくはなかった。ときには「今回の旅行では(風呂には入っていないが)だいぶ海で泳いでしまって、皮膚が弱くなってしまった」などと冗談を言っておられた。
歯磨きはどうしていたのだろうか。たしか歯磨きしないといっておられた記憶がある。
砂漠で暮らしていると、コップ一杯の水で、洗顔、歯磨き、体を洗うことまで済ますなどという話もされていた。

今は、耳の穴がひりひりする。どうも寝ているときに掻きむしったようだ。最近、ストレスがかかると、耳の穴をほじる癖がついた。調べると耳には神経が集中していて、触ると気持ちがいいらしいが、それに耽溺する人がいて、耳掃除をしすぎて耳を傷つけてしまうという。どうも同じことをしているようだ。



文化人類学者の西江雅之さん死去 アフリカ研究の先駆者
朝日新聞 2015年6月18日12時38分
 アフリカ研究の先駆者の一人で、エッセイストとしても知られる言語学者で文化人類学者の西江雅之(にしえ・まさゆき)さんが14日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。77歳だった。葬儀は近親者のみで営まれた。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は長男アレンさん。
 東京生まれ。早稲田大学大学院を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院で学んだ。東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島などを中心にフィールドワークを重ね、20代で日本初のスワヒリ語の文法書、辞典を編集した。早稲田大、東京外国語大、東京芸術大など多くの大学の教壇にも立った。また、世界各地の暮らしや自然を詩的な文章による紀行、エッセーとして発表。中学・高校の国語の教科書にも採用された。
 著書に「アフリカのことば」「ヒトかサルかと問われても」「異郷日記」「食べる」など多数。

西江雅之写真展『影を拾う』

昨日、西江先生の訃報を聞き、土曜日に行くつもりだったギャラリー・ハシモトの写真展『影を拾う』に行ってきた。
天気は雨だった。
駅からほど近いビルだが、看板が小さくて少し迷った。
12時のオープン直後に入ったが、しばらくは誰も来ず、ゆっくりと先生の世界を見ることができた。
写真展の内容はしばらく前の世田谷でのものの再構成だった。
エントランスのパネルに先生の言葉があったので、書き起こした。



子供の頃、蝶を見つけると、手にした採集用の網を振り上げて、ただひたすらに追いかけたものだった。やがて、そのような行為には無駄が多いことに気がついた。蝶にはさまざまな種類があるが、その多くは勝手気ままに空中を飛んでいるのではない。各種、自分たちに適した食草と相手を求めて、定まった道を移動しているのである。
いつしかわたしは昆虫採集を止めて、写真を撮るようになった。被写体となる事物も、蝶のようにそれぞれの道を持っている。景色には、季節や天候や背景が整って良い顔を見せるまでの道がある。人は人生という道を歩みながら、時と場にそぐう良い表情を見せてくれる。私は路上に立ち、求める対象がそこに姿を現すのを待つ。これらの写真は、ある時、ある場所で、そこに現れた事物から、わたしの目が掬い採った影なのだ。

1ヶ月ほどもかかったソマリア単独縦断を終え、当時のフランス領ジブチを経て、海を越え、アデンに着いた。不毛の地から、不毛の地への移動だった。「まるで、石炭の竈(かまど)の中にいるみたいな穴の中で、焼けただれています。」A.ランボーの言葉を思い出した。焦げた鍋底を思わせるアデンの町で、なぜかわたしは故郷に戻ってきたような落ち着いた気持ちになった。1961年、秋も終りの季節だった。
毎朝、宿から歩いて海を見に行った。ある時、何年か前に聞いた話を海辺で思い出した。
《海の近くで、ある老人が漁に出かける途中の青年に出会った。互いに挨拶を交わしてから、老人が言った。「ところで、あんたの爺さんは海で命を失った。そして、あんたの親父さんも海で命を失った。それなのに、あんたは海に行くのがこわくないのかね。」青年は怪訝そうな顔で言った。「爺さんあなたの祖父は家の中で亡くなった。そしてご両親もその家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ平気でその家に住んでいられますね。」》

わたしの旅は、幼少のころに過ごした兵庫県の田舎に始まる。家のそばの揖保川の岸辺に行くと、半径わずか百メートルほどの空間の中だけで日々を過ごした。そこがわたしの世界のすべてであった。川上、川下、そして目の前にそびえる山、背後に連なる田んぼと畑、そうしたものの向こう側には、わたしが知らない世界がある。いつか、その地を訪ねようと、幼いわたしは思っていた。
今回の展示作品は、すべて単なる“絵”なのである。画面のなかの人びとは何処の国の誰なのか、彼等の装いは何と呼ぶのか、その素材は何なのか。その人びとはそこで何をしているのか、そのようなことの答えは絵を見る人にまかせたい。ただ、一枚一枚の絵から軽い驚きを感じて下さりさえすれば、わたしはそれだけで嬉しいと思う。

  西江雅之

2015061901.jpg





そのあと、地下鉄で浅草に出て、神谷バーで昼酒を飲みながら食事をした。
たしか玉村豊男だったと思うが、葬儀の際においしいご馳走を食べて、その後で、そのご馳走を故人と一緒に食べられなかったことを悲しむという話があった。
それをなぞった訳でもないが、先生はお酒も好きだったので、手向けの杯としておいしく頂いた。
学生時代に先生に吉祥寺に飲みに連れていってもらったことを思い出した。

山手線ゲームは排他的?

先日、機会があって若い人たちが「山手線ゲーム」をしているのをぼんやりと見ていた。
http://asobow.com/main/detail/16
お題はたわいもないもので、AKB48のメンバーやら(メンバーの入れ替えがあったりするせいか、けっこう間違えていた)、こちらの知らない芸人やらテレビ番組の話題が多かったような気がする。
ふと思ったのだが、もし同年代であったとしても、このゲームに参加できないだろうと気付いた。
もともと、話題にでていたような芸能界的話題には疎いし、こちらがよく知っているような音楽やら小説の話題だと、他の参加者から、同じカテゴリーに属する固有名詞はなかなか出てこないだろう。
ということから考えると、山手線ゲームというのは同じ関心を共有するもののあいだでしか楽しめないもののようだ。
それがおのずと排除の構造につながるかな、と、まあ大げさですが。
若いころに、こういうゲームがはやっていなくて、本当にラッキーだった。

それならば、特定の分野の人同士の山手線ゲームはどうだろうか。
素粒子理論をやっている人同士のものなど、聞いていてわけがわからなさそうだ。
俺の場合、写真関係、アンゲロプロスの映画、日本のフリーミュージック等であれば、それなりに参加できそうだが、お相手をしてくれる人があまりいなさそうなのが辛いです。

西江雅之先生のこと

公式サイトが終了になり、それ以前から公式サイトでは入院の話題などがあり、もうお若くはないので、いろいろと気掛かりであった。

いろいろ調べていたら、今年2月より集英社「すばる」にて、「追っかけの精神」という連載が始まっていたのに気づいた。
さっそく図書館でバックナンバーを取り寄せてみる。2月号から5月号までは読んでみた。
いつもながらの湿り気はあまりないが抒情をたたえた、ゆえによけいに情感が伝わるような文章であった。
ランボー、ロルカ、小泉八雲となんとなく死に関連した文章が多いのが気になる。

さて最新号(7月号)をみたら休載とのこと。
もともとは文字どおり猫になりたかったり、大学時代は校舎の屋上の手すりで逆立ちしたり、アビシニアの高原をさまよってもちゃんと帰ってくるほど高性能の身体(頭脳を含めるが視力は除外)をお持ちなのであるが、やはり年齢ということもあるのだろうか。

はやく復調して、またお元気に旅されることを祈っております。
とりあえず、この写真展に行こう。
西江雅之写真展『影を拾う』 ギャラリー・ハシモト
http://galleryhashimoto.jp/jp/exhibitions/

6月18日追記
先ほどニュースを見たら、西江先生が亡くなったという。
今日はなにもしたくない。


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