eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2014-09

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耳は節穴、目はガラス玉

というのが世間ではあるが、六田知弘「水ノ貌」展についての論評があまりにすくないようなので、驚いた。
http://www.kashima-arts.co.jp/events/mizu_no_bo/index.html

おれは、変なところで勘が働くところがあって、昔ジャズトリオのフェダイン(のちに発展的に解消して、渋さ知らズになったりしている)を見ているときに、これはメールスのフリージャズフェス(山下トリオも出ていた)に行くべきだと思うといったが、本人たちは笑っていた。しかしその1年後くらいに出演して大喝采を浴び、ライブレコーディングも残した。
また、昔四谷にmoleという写真ギャラリーがあったが、再評価される前の牛腸茂雄のネガを、「日々」の関口正夫がプリントしたものを数万円で売っていたが、なんだかほしくてしょうがなかった(金がなくて買えなかったが)。

なんだかしらないが、自分の手が届かなくなりそうになってくると、妙な勘が働いてくるのかもしれない。

今回の写真展は、ひょっとすると写真史に残るかもしれないが、まだ語るべき言葉を見つけられなくて、誰も語っていないような気がする。
それならば、写真が好きで、写真について真剣に考える人であれば、自分の目で確かめるべきであると思う。
会期が迫っているので書いてみました。
東京駅前すぐ、京橋・加島美術、9月30日まで。

おれはすでに2回行っているが、まだ咀嚼できないところが多くて、また行く予定。

ちなみにプリントもあまり売れていないそうなので、金満家は買うといい。たぶん将来いい値段になります。
おれならば金が余ってたら、とりあえず屏風を買いたい。
常時見ていると疲れるが、あれならば見たいときに広げればいいし、内容的にあるていどの大きさが必要なプリントだと思うが、屏風ならばかさばらない。

それにつけても金のほしさよwww
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六田知弘「水ノ貌」展1。別次元の写真。

今、東京京橋の加島美術で、写真家・六田知弘さんの「水ノ貌」展が開催されている。
http://www.kashima-arts.co.jp/events/mizu_no_bo/index.html

先日見に行ったところ、六田さんとお話しすることが出来た。
それもふまえて、自分も考えなどもいろいろ書きたいが、まだ整理がつかないので箇条書きに。

・今回の写真展は、瀧を中心に写したものであった。那智の瀧とのこと。でもそれは重要ではあるが、本質的ではないことが後でわかってきた。
・最初の感想。実際に瀧を見ていると、動いているはずなのに、時間がたつと止まっているように見えてくる。その不思議さが写真として捉えられているような。
・例えば、瀧のそばによると轟音が聞こえてくる。しかし時間がたつと、その轟音は聞こえてこなくなってくる(意識に立ち上らない状態になってくる)。それと似ているようにも思える。
・芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を思い出した。

・瀧の周囲だろうか。雪景色の写真。モノクロのようだが、よく見るとカラーであった。
・池のハスの大判の写真。パンフォオーカスで、白、グレー、黒によって構成された抽象表現に近くなっているが、しかしその寸前で戻ってきているような印象。その間合いが面白い。
・瀧の写真の屏風仕立て。画廊の人が言うには、もともとある程度時代を経た屏風に、現代の六田さんの写真を貼ったもの。なるほど銀箔が貼ってあるが、酸化している。屏風としては日本間に合わせるのは難しそうだが、モダンアート的な作品として楽しむ人もいそうである(アメリカ人の富豪とか)。
・これと対になる屏風があったほうがいい。六曲二双という考え方。そちらは瀧の動に対して、静的な写真、カラーも良い。この件、六田さんと話したら、すでにある(頭のなかに?)と言っていた。
・1階は、瀧を中心にした作品であった。

・2階にあがると、まずはハスのつぼみの写真。水滴のついたクモの巣。緑の水面のうえのすこし枯れたようなハスの葉。好きな写真である。森の雪景色の写真は抽象表現の一歩手前で戻ってきているような。
・このへんで、六田さんと話をはじめた。
・まずは全体を見た感想。瀧を中心に、そのまわりの事象、時間の動きをとらえたひとつの小宇宙のように見えた。しかし後で話しこんでいくと、それだけのものではなかった。
・2階には水滴のビデオもある。1分前後のもの2本。はじめて撮ったビデオだったそう。見ていると頭がぼうっとするような、ある種のドラッグ的トリップ感。
・1階に下りて話の続き。

・この写真群は何か。抽象表現に肉薄しているが、しかしやはり具象である。さらにいえば、概念芸術に走らず、しかし具象的にただ写しとったという段階ではない。おそらく抽象と具象に分かれる以前、主観と客観に分かれる以前、そこに近づいているような印象。
・それは名付け不能なものであるが、しかし、確実に存在するものでもある。言葉にすることは難しいのであるが、それを機械の目としてのカメラで捉えている。
・六田さんは「それ」のしっぽを掴んだ感触があるという。しかし一緒にひっぱってくれる人が必要。今回の画廊の若いスタッフが一緒に引っ張ってくれた。六田さんのいろいろな引き出しから、本人も気付かないようなものを見つけてきて、これまでにない見せ方をしてくれた。
・六田さんの昔からのファンには、変わったように思われるかもしれないが、本人としては一貫している。
・私から言えば、「時のイコン」で写された瓦礫とは何か。もとは生活のなかに位置づけられ、ものとしての意味があったが、震災の津波で押し流され、意味を剥奪されたもの。たしかにそこにあるが名称不可能になったもの。それを捉えていた。その点で、やはり「それ」のしっぽのようなものは見えていたのかもしれない。
※見ようによっては単なる瓦礫でもあるが、それだけでは片付けられないものがあるゆえに、写真として撮られ、作品として成立している。
・同じように、今回の作品もたしかに存在するが、名付けられないような、安易な意味付けを拒否する(=名付けると大切なものが逃げてしまう)ようなものを捉えている。

・それにしても昔からの六田さんの写真のファンは戸惑うらしい。たしかに、「写されたものがはなんであるか」とは言葉にしにくい写真、わかりやすくはない写真である。同時に感情移入、情緒を排するような作品でもある。
・件の屏風、年配の方からは、写真が強すぎて置けないという声があったそうだ。感情移入しにくいからか。
・しかしそういうファンの方たちでも2階に行くと落ち着く。おそらく両方が必要なのだろう。

・六田さんには「宇宙を構成する五大原素 - 地水火風空」という全体計画がある。いずれはもっと大きいところでやりたいが、今回は五元素のうちのひとつである「水」を扱った。いずれすべてをそろえて、大きいところでやりたい。
・情緒、感情移入の問題、スティーグリッツ「等価物 Equivalent」は、雲を撮影したものであるが、撮影者の感情、意識と等価物という意味でそう名付けられている。しかし六田さんはそうではなく撮りたい。
・五大元素それぞれの対象は大きい。撮影する自分は部分であり、全体は部分より必ず大きいので、等価ではない。スティーグリッツ的雲、また荒木的雲ではないかたちで追及したい。

・それにしても、いずれは石に帰る。
・ただしストーンヘンジ(的なもの)ではない。あれは石そのものではなく、むしろ建築である。
・むしろ石をそのように用いたくなった古代人の気持ち、そう行動させた、その石自体の力に意味がある。それを撮りたい。

・撮影のためのこれからの時間を考えると、現在57歳である。潤沢に時間があるわけではない。そのため頼まれた仕事(美術品撮影)にはためらいがある。なぜなら撮影に集中しすぎて体力が消耗するから。
・しかし、瀧の撮影などはむしろ楽だった。つまり自分自身が一種の感光体になって、対象に向き合って、撮れるものが撮れれば良いと考えているから。いわばカメラを媒介にした依り代のようなものでもある。
・ある意味、現代写真の最先端にいるとの自負があるとのことだった。たしかに理念にも、既成の概念にも、宗教にもたよらず、カメラという機械の目だけを頼りに、ものの本質にせまっている。そしてあるレベルの達成があるように思う。
・たぶんもう海外に打ってでたほうがよい。世界レベルの写真にになっているのではないかと思う。

写真について真剣に考える人ならば必見です。
私としては、「五元素」という大きなテーマを最後までやり遂げてほしいと思う。
時間はかかりそうですが。


ちょっと俗っぽい話をすれば、今作品を買っておけば、将来コレクターに売れんじゃないかな。
お金のある人は写真を買って応援し、ない人は写真展にまめに行って見るといいと思う。
私は後者です。残念だな。

若い友人の話

若い方だが話が合うので、友達のように付き合ってもらっていた人がいたのだが、先日、ちょっと離れたところに引っ越していった。
とはいえ都内なので、また会うことも多かろうと思う。

ところで、彼が東京に出てきたのは震災のあった2011年であった。彼は自分で書いた小説を教授らに認められ、薦められて文芸科のある学校に進学したのだが、けっきょく東京に出てきていらい、そのコースでの活動は出来なかったといっていた。
というもの、彼は神戸にいたときに阪神大震災にあったのだが(被害は少なかったそうだが)、今度は東京で東日本大震災にあい、何も書けなくなってしまったそうだ。
震災直後から書いている人も確かにいたのだが、そうでない人も多かろうと思う。むしろ、自分のなかであるかたちをとるまでは、時間がかかるのは当然であって、無理して書かないことは、自己に正直であり誠実でもあったろうから、それで良かったのではないかと思う。

その彼も最近は戯曲や脚本を手伝ったりするようになってきたと話してくれた。文章もさることながら、写真が好きで、音楽も好きな人なので、戯曲などはうってつけではなかろうか。
これから活躍しそうだな、と思っています。

早稲田松竹、タルコフスキー「僕の村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」は5日まで。

名作の誉れも高きタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」と「アンドレイ・ルブリョフ」をやっと見ることが出来た。
やはりどちらも傑作。
「僕の村は」の主人公の少年は、「アンドレイ」の鐘造りの若き親方の役をやっていた。
ところで、「アンドレイ」はモノクロ映画なのだが、最後の部分はカラーになって、アンドレイ・ルブリョフが描いたイコンをなめるように写している。しかし、フィルムの劣化によって、赤かぶりの画面になっているのが残念だ。

どちらの映画にも、白樺の森が写されているが、美しさに驚いた。
モノクロの良さにあらためて気付いて、カメラにモノクロフィルムをつめた。

代々木ゼミナールが大規模リストラとかいうけれど。

代々木ゼミナールが大規模リストラするというニュースがあった。
しかし、あそこの経営者は、いずれこうなることを予想していたと思う。
というのは、昔、仙台に代々木ゼミナール(代ゼミ)が出来たころ、ちょうど一浪して毎日通っていた。
代ゼミの校舎は、まだあまり開発されていなかった仙台駅東口駅前に建てられた。
なぜ便利のいい西口でなかったのかという話題が出たとき、誰から聞いたか忘れたが、将来事業がうまく行かなくなったとき、駅前のビルであれば、どのようにも使える。また賑わっている西口にビルを建てるのはお金がかかるが、今はまだ寂れている東口なら、あまり費用をかけないでも駅前にビルが建てられるから、などと聞いた。

今回のリストラのニュースもいろいろ解説されているが、経営者一族はかねてタイミングを見ていただけではなかろうか。
小田実をやとっていたり、受験生向けの講演会に何故か野坂昭如を連れてきたりと、独特のセンスを持っていたようなので、そんなこともあるだろうと思う。

内堀副知事だけは勘弁してもらいたい。

国賊という言葉はあるが、郷土に対する賊についての言葉はあるのだろうか。
福島県・佐藤雄平現知事が、次回の知事選には出馬しないと発表した。この人は原発推進派の偽黄門こと渡部恒三の甥で、処分に困ったプルトニウムを核燃料に混ぜて燃やすこと(プルサーマル)を許可した人物である。
不勉強なので、このような人物を表現する言葉が見つからない。

その後任候補として、内堀雅雄副知事の名前が挙がっている。
ところでこの内堀副知事とはどういう人物か。
以下、このblogからリンクを掲載する。
旧内務省的?福島県副知事
福島県の自治に(悪?)影響を及ぼしているかもしれない総務省出向者
続報  福島県の自治に(たぶん)悪影響を及ぼしている総務省出向者
※最後の記事は、内堀氏には関係ないが、その上の記事との関連でリンクした。

以前とは人格、思考が変わったらまだ検討の余地もあるが、おれの知っている限りでは、およそ福島県知事にふさわしい人物ではない。むしろ、総務省(=旧内務省)的、典型的官僚気質で、地方自治体は政府のいう事を聞いていればいいという人物であり、このような人物を知事にしたら、政府のいう事を聞いているうちに田舎者なので原子力発電所を押し付けられたのと同じような轍を踏むことになるだろう。
ちなみにこういう話があるらしい。

以下、日本ペンクラブ電子文藝館中の林雄介「半熟官僚大辞典」より引用。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/hayashiyusuke.html
・知事: 新手の天下り手段である。実は、日本の知事の過半数が官僚出身である。旧自治省では、副知事に出向してから、無党派で知事選に出馬するというやり方をとる。官僚が部長や副知事に出向して、中央とのパイプを武器に知事になる。しかし、この天下り型の知事作成方法は、やりすぎると戦前の内務省の復活につながるおそれがある。
(引用終わり)

冗談半分だろうが、内堀副知事などその典型ではなかろうか。笑えない話である。

今は郷里を離れているので選挙権がないのが残念だが、この人だけは選ばれてはならない人物だと思う。

(以下、河北新報より引用)
福島県知事選 現職佐藤氏、来週進退表明
2014年08月30日土曜日
 任期満了に伴う福島県知事選(10月9日告示、26日投開票)で、佐藤雄平知事(66)は29日、来週中に進退を明らかにする考えを示した。過去2回の選挙で佐藤氏を支援した民主党、社民党、連合福島、県議有志による4者協議会が3選立候補を要請した際、答えた。
 民主党県連の吉田泉代表代行ら4者協の幹部7人が知事室を訪れ、「福島県は緊急事態にあり、県政の継続が重要だ」と立候補を求めた。佐藤氏は目を潤ませ「皆さんの気持ちはよく分かる。来週にでも私の気持ちを伝えたい」と応じた。
 会談は冒頭以外は非公開。吉田氏は会談後、記者団に「県政継続が重要という認識は知事と共有できた。(進退について)最後の吟味をしているようだった」と述べた。
 佐藤氏は進退表明の時期を「中間貯蔵施設の道筋が付いた段階」と説明してきた。県は9月1日、政府に受け入れ方針を正式に伝える予定。表明は同日以降とみられる。
 自身の進退について佐藤氏は、立候補しない意向を地元会津地方の有力支持者らに伝えている。
 4者協をはじめ複数の有力支援者は現在、佐藤氏に翻意するよう働き掛けを強めており、佐藤氏の最終判断に影響を与える可能性も出ている。
 佐藤氏の不出馬を見越し、民主党と自民党の一部には内堀雅雄副知事(50)を推す動きがあるほか、民主党県連代表の増子輝彦参院議員(66)が強い意欲を示している。
 知事選には自民党県連が擁立する元日銀福島支店長の鉢村健氏(55)、前宮古市長の医師熊坂義裕氏(62)ら新人4人が立候補を表明している。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140830_61010.html
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