eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2013-11

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新宿 増田屋

家が近所だし、好きだということもあって、週に一度くらいは新宿に行っている。
本屋、レコード屋、カメラ屋、楽器屋、道具・材料屋(東急ハンズ)とそろっていて、1日があっという間につぶれる。

明治通りと甲州街道の交差点に増田屋というそば屋があって、ちょくちょく入っている。
入る時間は、混んだ昼を外して、早めの午後。しかし禁煙タイムが終わっているらしく塩梅が難しい。
空いていれば座敷に上がり、まずは呆然とする。
店の人が注文をとりにくるまで、今日は何にしようかぼんやり考えるが、いつものようにお酒(大関)と野菜天ざるを頼む。
お店の人はとくに愛想が良かったりするわけではないが、きびきびとしていてさっぱりしたかんじでなんだか好ましい。
お店の構えもわりとゆったりとしていて、通りに大きくガラス窓が面しており、新宿を行きかう人びとを眺めたりできる。

先にお酒が出てきて、つまみは干ししいたけを戻して甘辛く煮含めたものである。
ガラスの小ぶりな器に酒を注いでまずは一杯。しいたけをつまんでみる。
なんだかうまいなあ。
大関という酒は、ランク的にどのようなものであるかは知らないが、一合入りのガラス瓶が清潔なかんじで好きである。
調理場から天ぷらを揚げる音がして、自分の分かもしれないと思うと、待っているあいだも胸がわくわくする。
ほどなく天ぷらとそばが出てくる。
そばつゆに大根おろしを入れて、まずはピーマンから。ピーマンはこんなに甘かったかと思う。
またお酒を飲む。次はサツマイモの天ぷら。
これも甘みがある。イモ天というと実家の天ぷらを思い出したりする。
しいたけ天をつまんでみる。これはつまみのしいたけを揚げたようで、噛むとじわっと汁が出てくる。
うまい。またお酒。
あとは気の赴くままに、なす、かぼちゃ、にんじん等と食べては飲みを繰り返す。
じつはこのとき、そばが延びるのではないかと若干の焦りもあるが、どうせ食べるのは早いほうなので気にしない。
天ぷらを食べ終わると、お酒はだいたい無くなっているか、器に半分程度。

天ぷらでつゆがなくなっているので、改めてつゆを足し、ねぎも入れる。
わさびは溶かないで、そばにのせて食べてみる。
きざみ海苔とわさびを見ると、いつも青木正児(あおきまさる)の「陶然亭」に出てくるつまみを思い出す。
このつまみは、「浅草海苔を一枚炙り、揉んで小皿に入れ、花鰹を一撮みつまみ込んで醤油をかけ、擦山葵を比較的多量に副え」たもの。これで燗酒を飲むという場面がある。
今目の前にあるのは、山葵(粉を溶いたんだろう)ときざみ海苔しかなくて、鰹節はないのだが、つゆに鰹の味があるので、なんとなく近いように思ったりする。
とか思いながらも箸は動いて、もうそばを食べている。つゆは辛い口ではなくて、ふつうにしっかり付けて食べる。先っちょだけ付けるような通ぶったのはなんだか面倒くさい。
酔いもあって、また呆然と食べているとたちまち無くなってくる。なんだかお酒が少し欲しくなって、また注文しようかと思うが、この後また新宿を散策するつもりなので控える。
食べ終わるころにそば湯が出てきて、酔いも少しさめ、大げさにいうと新宿の陋巷に見出した小桃源郷から、俗世に帰ってきた心地がする。

そばも名店が数多くあったり、通人が語ったりしてなかなか喧しい。
上を読んで行ってみたら思うようでなかったという人がいれば、それぞれ自分のお好みのところをお探しください。
俺は自分の身の丈にあったところで楽しめるのが一番だと思っている。まあ庶民のささやかな楽しみというやつです。
なんでこんなこと書いているかというと、深夜に空腹で目が覚めて、今日食べた物を文章で反芻して、胃袋をなだめていたわけです。

次はいつ行こうかな。

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湯本よいとこ。春にはいちめんのなのはな

母を連れて、震災以来双葉郡から引っ越した叔母の住むいわき市に行ってきた。
ついでに母の兄弟姉妹に声をかけたら全員来るという(最年少が75歳なのに)。
泊まるところを探していたら、温泉のある湯本が良さそうなので、温泉つきのホテルを予約した。

ホテルで聞いた話では、震災後再開するホテルには補助金が出たが、そうでなければそのまま廃業したところもある。また、観光で再開したホテルばかりではなく、復興作業者のための宿舎となっているホテルも多い。しかしそのような場合、一般の客とは一緒にできないから、どうしてもそれ専用になる。というのも、原発作業員と同じところに観光客を泊めるというのもできないからだという。

泊まったホテルは観光一本でやっていて、屋上には露天風呂もある。夜行ってみたら月が出ていて最高だった。平日ということもあって、月見の風呂を一人占めにした(ちょっと寒かったけど)。
いろいろと面倒見の良いホテルでした。

叔母、叔父たちは温泉に入りつつ、積もる話に興じていた。
次回はなさそうに思うが、みな幸いなことに元気なので、また集まることになるかもしれない。


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原発が近いので、やはり気にかかる。

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いわき駅前


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けっこう山がちなところです。


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山村暮鳥「いちめんのなのはな」は湯本時代の作品。好きな詩だな。

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温泉の噴出元からこのタンク経由でホテルに配給しているらしい。ちなみに湯本の役場の敷地内。やはり湯本は温泉なしではありえないということだろう。



いとうせいこうの高校時代

先日、人から聞いた話。
高校時代のいとうせいこう、名前はふつうに正幸という名前だった。
真面目で、ずば抜けて成績が良いわけではなかったが、常に一定の成績(100点満点でいえば85点くらい)をキープするようなタイプで、難しいテストでクラスの平均点が下がっても、彼だけは一定の点数をとっているような学生だったという。
しかし、どうしたわけか、高校2年生のときにまったく似つかわしくないと思われる応援団に入ったので驚いた。
おそらく、優等生タイプである自分を変えたかったのではないかと、その時かんじたそうだ。

なんとなく、人柄が知れる話だと思って聞いていた。

いとうせいこうの、その後の活躍はよく知られるところだが、「妄想ラジオ」は読んでおきたいな。

コンタックス139の長期貸与を受ける、もしくは例によっての死闘開始

先日、知人のところへ行ったらコンタックス139 Quartzが置いてあったので、ちょっと手にしていたら、持って行っても良いといわれたので、ありがたくお借りしてきた。
しばらく使っていて良いとのこと。
レンズは天下のプラナー50/1.4が付いておりました。
手持ちのヤシカFRと比べると、かなり小ぶりなボディ。ファインダーはかなり見やすくかんじる。おなじ50/1.4のレンズをつけているのだが。そして有名なシャッター鳴き。けっこう盛大です。
とはいえ、かなり気に入った。

持ち帰って各部清掃。しかし電池がないのでシャッター切れず。これはしょうがない。
本日、昼のあいだにLR44、2個を調達して、さっそく電源投入。
しかし巻き上げてもシャッターが落ちない。
各部をよく見てみると、底面のモータードライブの連結部(レンズを下に底部を見たときに右端の部分)が戻りきっていないもよう。
何度か繰り返して確証を得る。
借り物なので少しためらったが、底面を空けてみた。
けっこう埃など入っている。防塵対策はあまり考慮されていない設計か。底ケースくらいは使ったほうが良いかもしれん。
またグリスが古くなっている部分もある。これはとれる範囲は麺棒でふきとった。
内部清掃して、可動部にごく少量注油した(つまようじのさきに少しマシン油を付け、油を落としてから可動部をなぞる程度)。
こちらの写真が参考になりました。

他はいじらずにそっと底蓋をしめて動かしたところ、巻き上げ後、正常にシャッターが切れるようになった。
もし、巻上げ後にシャッターが切れないような個体があれば、このような対処もあるということで書いてみました。

後日、稼働を確認したら問題ないようです。

と、思ったらレンズの絞りを開放にしても、絞りが開ききっていないことが分かった。
正直いってプラナー50/1.4はいじりたくない。当座はヤシカML50/1.4を使うか。
一難去ってまた一難。これではカメラ部門の撤退も仕方がなかったか。

さらにその後テスト撮影に行ったら、肝心のときにときどきシャッターが下りなくなる。これも持病の一つらしい。本体ミラー下の部分がすんなり動いている状態ではないようだ。さてどうしようwww

朝日新聞「プロメテウスの罠」山下俊一・長崎大教授に迫る。

先週からの「プロメテウスの罠」に、山下俊一という名前が出てきて、この連載の行方がどのようになるのか、気になっていた。
これまで自分なりにいろいろなものを読み、考えたところでは、この人物はどうも信用できない。
11月9日(土)の記事では、ヨウ素剤を服用させなかったことについて、取材のたびに発言がぶれていることを指摘している。国民の健康、とくに年少者の将来に関わる重大な案件に対して、このように発言がぶれるのは、本来ありうべきではない。やはり、本人も問題があったことを分かっているのだろう。※このへんは、記事を直接読んでください。

思うに、この連載の面白さは、実名主義を採っていることだ。相手が官僚・役人であれ、政治家であれ、学者であれ、発言や行動の意図や意味を取材している。官僚などは、自分の意思ではなく役職として仕事をしているので、個人名など出さないでほしいというのが本音だろうが、そうはいかんだろう。それをやると、先の大戦のように責任がうやむやになる。
例えば、役人が「それは前任者を踏襲しただけだ」と言うのならば、まず、なぜ踏襲したのかを問い、次に責任は誰にあるのか前任者を遡及して、たどれるところまで調べるべきである。もし、前任者をかばって遡及を拒む人がいたとすれば、責任はその人がせおうことになるだろう。
太平洋戦争敗戦時に、一部を除き官僚、学者はほとんど無傷であった。軍人以外にも戦争を強力に推し進めた責任があったはずなのに、官僚制は無傷であった。
その無責任体制が、今回の原発事故の遠因であろう。

だから、担当する記者に言いたい。「この調子でもっと書いてくれ」。

とか言っていたが、一時休戦(Contax TVSとの死闘2)

しばらく前にContax TVSについて書いたが、結局ジャンク一歩手前の値段で、もう1台買った。手元には、故障品2台もあるので計3台あるwww
近々母を連れて、遠くに暮らす叔母のところに行くのだが、一眼レフではかさばるし、かといってデジカメだけだと心もとない(というかフィルムでおさえておきたい)。
そう考えると、広角から標準まで撮れるズーム付のContax TVSは、やはり使い勝手がいい。
というわけで、1台調達してきた。
今年1年くらい使えれば満足ですが(それも賭けだが)、京セラはもっとしっかりした構造で作ってほしかった。
お店の人の話では、レンズ鏡胴内の蛇腹に基盤が入っていて、それが経年劣化というか可動により断線するらしい。
なんだかな。

このへんもあわせてお読みください
レンズは良いんだが、結局カメラ事業からは退場せざるをえない理由もあったということだろうか。

竹橋、国立近代美術館「ジョセフ・クーデルカ展」 Josef Koudelka RETROSPECTIVE

竹橋でクーデルカの回顧展を開催している。
今日は休みがとれたので、午後から行ってみた。

内容は、チェコ時代の演劇写真、プラハ動乱、ジプシー、亡命後、パノラマシリーズと代表作が一通りおさえてあって、じつに内容が豊か。じっくり見ているといくら時間があっても足りなので、会期中にもう一度は行かねばなるまい。

気がついたことをいくつか。

1 初期作品 Beginnings 1958-1961
この時代に、すでにパノラマ的写真を撮影していた。この時期の機材はエキザクタあたりだったようだから、パノラマカメラを持っていたとも思えないので、トリミングによってそうしただろう。これが後のパノラマシリーズにつながっていったことがよく分かる。

2 実験 Experiments 1962-1964
演劇雑誌のための作品群では、かなりアウトフォーカスで、ハイコントラストの作品になっているが、この時期に、ものの形の本質をつかむ訓練をしたのだろうか。ヘンリー・ムーアの彫像のような抽象表現に近いが、やはりあくまでも具象・具体的人物、ものの姿であることが分かる。クーデルカの写真は、内容・社会性と同時に、画面の構成もしっかりしているように思うのだが、そこにつながっているのかもしれない。

4 ジプシーズ Gypsies 1962-1970
ジプシーシリーズは、ただただ見ていくだけ、言葉はいらない。この時点ですでに代表作を持ってしまっている。このへん、デビュー後数作目の「旅芸人の記録」でいきなり代表作を作ってしまったアンゲロプロスを思い出させる。
なお、アンゲロプロスとのかかわりは後にでてくる。

5 侵攻 Invasion 1968
「侵攻」はソ連軍のプラハ侵攻の写真群。これは2011年、恵比寿の東京写真美術館で大々的に開催されていたものから代表的な作品を抜粋している。
戦車上の銃を持ったソ連兵に対して、ジャケットの胸を開けて「ここを打て」と示している人を見て、天安門事件の戦車の前の男を思い出した。

6 エグザイルズ Exiles 1970-1994
このへんから写真集も買っているので、よく見てきた作品が多い。それでも生のプリントが見られて幸せです。

7 カオス Chaos 1986-2012
今回はパノラマの大きなプリントが見ものの一つだと思う。この時期はソ連崩壊後、ヨーロッパ各地で紛争があった時期で、アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」もこの時期に撮られた。そしてクーデルカは、スチル写真を担当している。
思えば1997年に東京写真美術館でクーデルカのレクチャーがあるということで写真展に行き、そのときに「ユリシーズの瞳」を見たのが、初めてのアンゲロプロス作品だった。それが燠火となり、アンゲロプロスが事故死した2011年に連続上映されたとき、集中して何本も映画を見ることにつながっていった。

実際、クーデルカの作品を見ていくと、アンゲロプロスの映画を1本見たような気分になります。

今日は金曜日にもかかわらず、あまり人がいなかった。とてももったいない。入館料も850円と安いので、ぜひ見にいってください。ちなみに図録も安めだが、モノクロの質感がわりと出ています。
それとお金がないのに「Wall」という写真集を買ってしまった。まだきちんと見ていないが、イスラエルがパレスチナを排除するために作った「壁」の写真集のようです。
http://www.aperture.org/shop/books/coming-soon-photography-books/wall-josef-koudelka-books
中が楽しみだが、今月どうやって暮らしていこう。

先月から、恵比寿では須田一政展をやっているし(2回目のチケットは購入済み)、東京駅では植田正治展をやってるし、忙しいしお金が出て行くが、うれしくてたまらない。

中井久夫さんは車椅子に乗っていた。

今年の文化功労者に、中井久夫先生と岡野弘彦先生、それと吉増剛造さんらが選ばれた。ニュースで表彰のようすを見たが、ちらりと映った中井氏は、車椅子に乗っておられるようであった。いろいろと大病したことは著書で読んではいたが、やはり映像で見ると、それなりのショックはあった。一度ご講演を聞いてみたいと思っていたが、現状では難しかろうか。
たしか、阪神大震災について書かれた文章で、最前線で人知れず尽力された人々の多くが、しばらくたったのちに病をえて倒れていったとあったが、中井先生もまさしくその当事者であろう(ご本人はバックアップしかやっていないとは書いているが、謙遜にもほどがある)。あるいは、昭和という時代および昭和崩御についての本(「昭和を送る」)を出されて、肩の荷が下りてしまったか。
幼少時から丈夫なほうではなかったと書いてあったが、この方には長生きしてもらいたいと切に思う。

一方、岡野弘彦先生はあいかわらず矍鑠とされていて、代表としてこのように挨拶していた。
「これまでの努力が高く評価されたことはこれにすぐることはない。今回の栄誉を励みとして、一層努力を重ね、わが国が科学技術・芸術文化の創造の国として、世界の国から尊敬されるよう引き続き努力する決心です」。
やる気満々のようで、うれしく思いました。


【2014年4月15日追記】
ところで、中井久夫さんが神戸新聞の連載清陰星雨」をおやめになっいたことを今頃になってやっと知った。
このなかでも原発事故についてふれていた。
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/article/4477
記事の中で震災について戦争を引き合いに出していたが、原発事故はなぞらえて言えば、ミッドウェー海戦に当たるだろうか。
大敗北であるが、ここで講和にのぞめばまだ傷は浅いはずだった。しかし、希望的観測に基づき、いつか挽回できるだろうとずるずると戦争を長引かせ、犠牲を大きくした。
歴史的に見て、今が転換点だろう。ここを辛くも乗り越えられれば、おぼろげながら将来が見えてくるが、下手をすれば大災厄が待ち受けているのではなかろうか。それだけは困るのだが。

Lou Reed, Václav Havel, Charta 77, Jan Patočka, Imamichi Tomonobu(今道友信)

もしくはこれをパラフレーズすると、「ビロード(ベルベット)革命」=「ベルベット・アンダーグランド革命」となる。
※From Velvet Underground to Velvet Revolution
http://www.economist.com/blogs/easternapproaches/2013/10/lou-reed-and-v-clav-havel

ビロードとは、ベルベットと同じ生地。ちなみに「別珍」というものあるが、あれはvelveteenといって製法が違うそうだ。

「ビロード革命」とは、ベルリンの壁崩壊(1989年11月10日)後、1989年12月にチェコスロバキアにおいて、共産党体制崩壊をもたらした民主化革命のこと。衝突や流血を伴うことなく、ビロードのようになめらかに民主化が進んだことからいう。

これを「ベルベット」革命と読み替えるといろいろと見えてくることがある。
概略を書くと、Václav Havel(作家のハベル、後の大統領)がLou Reed在籍のVelvet Undergroundが活動中のころにアメリカにわたり、その音源をチェコに持ち帰る。それに影響されたバンドPlastic People of the Universeの活動が政府に迫害される。このような政府からの弾圧に対し、言論の自由、信教の自由、集会・結社の自由、法のまでの平等を求めてハベルらが抗議、Charta 77(憲章77)を発表。そのメンバーにJan Patočka(プラトン主義哲学者 パトチカ)もいたが投獄中に死去。
しかし弾圧にもかかわらずハベルらの活動は続き、ついに1989年のビロード革命となった。

※このあたりの事情については、以下の説明が分かりやすいと思います。
http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/04yogo16_4.htm#027_1
そのなかの一文が簡略にして要を得ている。

音楽と宗教を解放した「憲章77」
 「憲章77」の運動そのものは、警察力によって封じ込められたが、社会の中のエネルギーを二つの分野で解放した。音楽と宗教である。ジャズ、フォーク、ロックなどの音楽は社会的閉塞感のなかで、爆発的な人気が高まっていたが、当局はそこに危険な破壊的エネルギーを嗅ぎとり、人気バンドのコンサートを禁止した。公認の音楽家協会の一部門であった「ジャズ部会」も演奏が禁止されたが、活動を続けたため86年にバンドリーダーのカレル=スルプ以下が有罪となった。これらの動きは民衆の反発を強めるだけだった。宗教面でも牧師たちの中に「憲章77」に共鳴して、人権運動に加わるものが現れ「地下教会」で伝道が続いた。<木戸蓊『激動の東欧史』1990 中公新書 p.186>

以上のように、ハベルらの思想的背景になったのが、実はルー・リードらの音楽であった。
ここに上手いこと書いてある。
“That lit a fuse of rebellion which sputtered through the 1970s and flared in the 1980s, culminating in the glorious fireworks of the Velvet Revolution.”
http://www.economist.com/blogs/easternapproaches/2013/10/lou-reed-and-v-clav-havel
そして大統領になったハベルは、チェコを訪れたルー・リードのインタビューを受け、その夜、ルーはプライベートライブを行う。その様子については、「ニューヨーク・ストーリー ルー・リード詩集」(河出書房新社)に収められている。訳はちょっとごたごたしているが感動的な対話です。
音楽的な背景をもった静かな革命/ヴァーツラフ・ハベル/ルー・リード

となると、その証拠としてThe Plastic People of the Universe - Sweet Janeを貼らねばならん。



ここで、今道友信先生の名前が出てくるのは少々違和感があるかもしれない。
今道先生は岩波書店「思想」2007年12月号のヤン・パトチカ特集でこう書いている。「(今道先生と親交があった)プラトン主義のパトチカは、節を守ってチェコから出国せず、投獄されて死んだ。しかし投獄のきっかけがポピュラー・ミュージックに関するものだったということは解せない」(大意)。この「ポピュラー・ミュージック」というのが上で述べたプラスチック・ピープルのこと。今道先生は世代が違うのでお分かりにならなかったのかもしれない。しかし単なるバンドではなかったということはお伝えしたかったが、亡くなった今ではもう遅い。
しかし、今道先生のご令息いまみちともたか氏は、ロック・ギタリストとして活躍しているので、分からないわけでもなかったか。


ところで、ハベルはFrank Zappaとも交流があった。
http://www.os.rim.or.jp/~harajiri/news98.html
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/frank-zappa-2.htm
で、上記URLを見ていたら、プラスチック・ピープルのバンド名はザッパ・アンド・マザーズの曲名であることに今更ながら気付いた。
http://www.amazon.co.jp/Absolutely-Free-Frank-Zappa/dp/B0000009RV

ルー・リードが亡くなったことをきっかけに考えていたら、いろいろなことがつながっていたことに気付いたので、書き留めてみた。

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山本太郎のあほんだら

議員になったばかりの山本太郎が、園遊会で天皇に手紙を渡した(侍従がすぐに引き取った)というニュースがあったが、かえってこれで反原発、脱原発の流れが逆行する可能性が出てきてしまった。まったく余計なとんでもないことをしでかしたものだ。
というのは、平安時代の藤原氏に遡るまでもなく、天皇の政治的利用という問題は解決されないまま、日本の歴史のなかで延々と続けられてきた。
このへん書くと非常に長くなるし、専門家がさまざまに書いていることなので割愛するが、敗戦によってようやく象徴天皇制が確立したのに、それを主権者の代表たる国会議員が自らそれを否定するようなことをしてはいけない。
議員である以上、その立場を使って国政に関与すべきである。動機、目的は(本人としては)善なるものかもしれないが、手段を軽んじてはいけない。これが極地まで行くと、善なる目的のためには手段は選ばない→フランス革命、ロシア革命とそれらの粛清まで行き着く。

もしどうしても直訴したいならば、議員を辞職し、一市民としてすべきである。田中正造が直訴したときは議員ではないし、累が及ぶのを恐れて妻とは離縁している。だいたい直訴というものは、四尺四寸、四節の竹の竿に直訴状を括りつけて、死を免れぬ覚悟でやるものだ。

まあそれでも言いたいことがあったというなら、むしろ美智子皇后に何らかの回路を使ってコンタクトをとったほうがまだ可能性がある。
天皇という立場は表立った行動・意思表示は出来ぬものであるが、その代わりに皇后がさまざまな行動をされてきた。例えば、1.17の阪神大震災後、神戸の中井久夫氏と東京の土居健郎氏のあいだに直通電話回線を確保し、被災者の心のケアのバックアップをしていることなどは知られていると思う(中井久夫「昭和を送る」みすず書房)。

議会制民主主義が万全だとは思わないし、それを補完する回路もあるべきだと思うが、とにかく議員としてはやっていけないことであった。やはり辞職して出直すべきであろう。

原発からの離脱は、情理を尽くしながら冷静に科学的に進めなければならないし、そうしなければ成功しないだろう。このような突発的な行動は、「反原発・脱原発を言うものはちょっとおかしなやつらだ」というレッテル貼りの口実になりえ、結果として原発推進者・賛同者を利することになる。
ありがたいようでかえって迷惑とはこのことだ。立場ある者は、もうちょっと考えて行動しなければならない。
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