eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2013-03

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六田知弘写真展「3・11 時のイコン」-2

0.会期も残りわずかなので、いろいろ書いてみたい。行く気がありながらも未見の方が、へんな先入観を持ってはいけないと思い、これまで少し抑え気味に書いていたが、3月31日(日)までなので、もういいかとも思う。
http://www.muda-photo.com/publicity/index.html#T121228-2


1.さて、開催前に六田さんに震災被災地で撮影した「もの」たちの写真を見せてもらう機会があった。100枚以上はあったろうか。以下は、そのときに考えたこと。

まず「もの」とはなんだろうか。改めて考えると、なにも分かっていないようである。日常生活はものにあふれているのだから、不思議ともいえる。
折口信夫によれば(岡野弘彦の言葉から引用)、古代人は霊的な存在を「たま」または「もの」と呼び、「もの」のほうが少し霊格が低いらしい。海のかなたからやってくる巨大な力を持った霊的なものを「たま」といい、もう少し手近な、峠や洞穴、沼、木、石など人間の生活圏のなかの地形や地物に宿っていて、ときに人間以上の霊的な力を発揮して、幸福を与えたり、またときに災いを与えたりすることもあるものを「もの」といったらしい。この「たま」と「もの」をのちに「かみ」と呼ぶようになったという。
また一般的に考えても、「もののけ」について「物の怪」と書くが「物の気(気=息/生命)」とも書く。同様に、ものが百年経つと付喪神(つくもがみ)というものになるともいう。
どうも、ものには命があるらしい。

 これらの被災地のものの撮影手法としては、ものそのものを見るために、またもののすがたに表れた時間経過を見るために、それらが置かれていた背景からきりはなす必要があって、白バックにのせ、満遍なく光が回るようなライティングで撮影されていた。しかし、それでも背景から切り離しきれないものもある。例えば、濡れた女物の草履。持ち上げると、しずくがこぼれて背景の白バックに泥の流れた筋が残った。「もの」によっては背景から切り離されることを拒絶しているのだろうか。それが、そのものの持つ「気=意識=意志」であるのだろうか。

 ところで、これらの沢山の写真を、仮にグループ分けして考えてみたらどうだろうか。いろいろな分け方があり得るが、例えばこのように分けてみた。
・自然に同化しつつあるもの。そのなかには朽木がひこばえを揺籃するように、新たな自然を懐に抱いたようにみえるものもある。一方で、錆び、朽ち、風雨にさらされ、いずれは跡かたもなく、何も残さずに消えうせることを予感させるものもある。
・震災の破壊力をしめすようなもの。ゆがんだ鍋、壊れ切った機械類。
・持ち主を強く意識させるもの(どれも持ち主を意識させるのではあるが、その中でも強烈にそうさせるもの)。写真(軍隊、結婚記念等)、帳簿、書籍、衣類、ぬいぐるみ等。
・図らずも破壊と風化で美しい造形を得たもの。
・なんとも名づけられないもの。原発被災地のスリーブ入りカラーネガフィルム。ハンドバッグ(みょうに小ぎれい)等
 とりあえず思いつくのはこのようなところか。

このようにグループ分けしてみたが、さらに分析してそれぞれを座標軸上に位置付けることも出来ない。そもそも論理では整理不能で、心象によって振り分けただけでもある。
 とはいえ、それぞれに、良くも悪くも、ものとしての落ち着き先がありそうなものが多いように思える。あるものは時間の経過とともに風化、腐食してかたちをなくすか、単なる瓦礫の一部として破棄され、遠からず消滅していくだろう。またあるものは震災を思い出すよすがとして時間を越えて保存されるものあるだろう。いずれにせよ写真に撮られた段階も、ある変化の一過程に過ぎず、またかたちを変えていくことを予感させる。しかし、名付けられないもののグループは、どこにも行く先がないように見える。
行き先がないということは、まさに「魂魄此処に留まりて、成仏すること能わず」。しかしそれではこの「もの」たちは苦しかろう。そうであれば能のように、旅の僧侶に当たるものが成仏させてやらずばなるまい。それは誰の役目か。
 今回の写真は、悲惨ではあるが、どれもある種の美しさ(といっていのかどうか、まだ勇気がない)が感じられるところがある。どれも潮をかぶり、ぐずぐずになった、普通であればよく港に転がっているごみのように汚らしく見えるはずのものである。
 しかし、悲惨な背景を持つ「もの」どもを、あらためてそのものだけとして撮影し、結果として美しさというところからとらえ直すことが可能かもしれないこと。それが、見る側からすると、ある種の鎮魂のあり方なのかもしれないと思った。
「時のイコン」というタイトルを読み解けば、日常生活での時間、被災したときの時間、その後の時間という三つの時間の層を1枚の写真として図像(=イコン)化するという意味と、受難者としての聖像(icon=聖像)化の両面が併せられているように思う。そしてものの背後には、その持ち主であった人びとの気配がほの見える。人ではなくものの姿であらわした聖像図というとらえ方もあるかもしれない。

しかし、改めて考えてみる。
名付けられないもののグループ、とくに原発被災地である楢葉町で取られた写真は、ひょっとするとそのような人間(撮影者と写真を見る人)の思惑など届かないところにあるのかもしれない。鎮魂、忘却、懐かしさ、嫌悪(災厄を思い出したくない)のような人間の思いのどこにも回収されることのないものども、そのような人間の思惑自体から拒否というよりも、隔絶してしまったものども。
これらがいずれ人間の取り扱うことが出来るエリアに入ってくることがあるのか、それとも、結局は人間には分からないままで朽ち果て消滅していくのか、なんとも予測かつかず、だからグループ分けも出来ないし、見ていて落ち着かなくなり、不安になるのだろう。

イコン化を受容するものと、受容しないもの。その違いを見て感じるところから、改めてまたものと人間の関係から、人間という種の将来まで、つまりは人の営みについて考え直さなくてはならないような、そこまでの射程を持った写真群であると感じた。


2.さて、実際に開催された写真展を見に行ったときに、2つの松の写真に強い印象を受けた。
※詳細はこちらで書いた。http://eeldog.blog12.fc2.com/blog-entry-736.html

まず、エントランスには仙台荒浜で撮られたという松の写真。津波にあっても、青空を背景にすっくと立ち続ける雄々しさに勇気づけられた。
そして、別室の楢葉町、原発被災地のコーナー。ここにも松の写真があった。
夕焼けの白いフェンスを背景にした4枚の松の写真。ひょっとして六田さんの代表作のひとつになるのではないかと思うほどの感銘を受けたが、それがなにによるのか、まだ分からない。

最初の松には、やはり生命力を感じるが、後者の松は、現実世界とそうではない世界の境界を示しているように思えた。
あの松の向こうには、この世ならぬ世界が広がっている気配があり、実際に放射性廃棄物置き場でもあるという皮肉な現実。
以前、鎮魂の表現としての能を写真に重ねて考えたが、2つの松は、生と死を行き来する能の舞台を思わせるようでもあった。


3.ギャラリートークを見て
前回は、帰省直前だったため、じっくり見ることが出来なかったので、六田さんによるギャラリートークの日に合わせて再度会場に行った。そのときのお話を交えて。

・六田さんによれば、今回の写真展は、批判もあうだろうと考えていたが意外にも被災地の人には評判が良かったので、安心したという。
・震災後、写真家としてどうすべきか悩んだが、とにかくカメラを持って現場に行ってから考えることにした。4月に入ってから、最初はいわき市、次に仙台市の荒浜に向かった。途中までは普通の街並みであったが、突然津波に襲われたところに出くわした。そのときはあまりの惨状に呆然として撮影できず、車から外を眺めていた。しばらくしてから車を降りたが、風景しか撮れなかった(これはビデオにて会場で上映されている)。入り口正面の松の木はそのとき撮影したもの。
9ヵ月後に再び荒浜に向かって、同じ松のところに行ったところ、さまざまなものが散乱していることに気付き、スケッチブックを広げて影が出ないように撮影した。ものからは「撮ってくれ」という波動を感じ、それから数千枚の写真を撮影した(2011.12月~2012.11月の期間)。
・撮影したものたちは、あとで見ると美しすぎるのではないかとも考えたが、撮影中はそういうことは考えず、なんでもどんどん撮った。これらのものは、よく見るときれいであった。なぜだろうか。
・ものは三つの時間を経てきている。震災前の生活の時間。震災時の時間。震災後の時間
それらの時間の堆積を感じた。しかし、これらのものはすでに存在していないかもしれない。廃棄されたり自然に帰ったり。これらのものが撮ってくれといってきたので撮影した。
ものが発する声を聞いてほしい。
・楢葉町について
別室の写真は福島第一原発から20キロ圏内の楢葉町のもの。この町に行き、いつものようにものを撮ろうとしたが、いつもの撮影のようには行かない。撮ってくれという声がしない。ひどくつらく感じて7,8枚しか撮れなかった。楢葉町からいわき市に戻るとき、海沿いの道の両側に白いフェンスがあった。夕日が映えてきれいであり、撮影した。しかしフェンスの向こうは「汚染廃棄物仮置場」だった。異様な雰囲気なのでこの部屋に入りたくない人もいるかもしれない。
・タイトルについて、イコンとは正教会による聖像画である。館長の相田氏は、六田氏の古くからの友人なので、今回の写真を見てもらったが、そのときに「これはイコンですね」という言葉があり、それをタイトルにしたそうです。

・それぞれの写真について、思い出したところを。
入り口すぐのコンピュータの解説書の写真。やはり大きく伸ばしたものは、細部まで見えて、それがかつてなんだったか、ということがよく分かり、さらにさまざまな連想が広がる。
赤い造花の花束。あれは石巻だったと思うが、色と形からなぜかサンマを連想した。石巻港あたりはサンマの水揚げ港であったはず。あの形と色は偶然なんだろうが。
チラシに使った子供靴のなかから芽が出ている写真。ちょっと図式的な気もしていましたが、やはり良い写真。
陸前高田の壊れたカメラ(キャノネット)。陸前高田といえば、写真家の畠山直哉を思い出す。2011年の写真展(東京写真美術館Natural Stories)のなかで、堤防でおばあさんが海に向かってカメラを構えている写真があった記憶がある。そのカメラを思い出した。


一番最初に写真を見せてもらったときは、「美しい」というのがためらわれたが、今は言ってもかまわないような気がしている。





なんだか、思ったより話題になっていないようで残念なのだが、心ある人ならば見に行ってほしいと思う。
出来れば、被災地巡回展を開催し、いろいろな人に見てもらい、また語ってもらうことができたらいいと思う。
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いがらしみきお「ものみな過去にありて」(仙台文庫2012)

この本を読んでいたら、はじめて知ったことがあった。そうか、いがらしみきおは難聴だったのか。
彼独特の、世界とのそぐわなさについて少し分かった気がした。文中にもあったが、4コママンガでもけっこう怒っていたものな。
それにしてもけっこう音楽が好きだったことは作品から知っていたが、だいぶ大きな音で聴いていたのだろうか。山下トリオなんか、大きな音で聴いたらいい気持ちだったろう。

ところで、「本へ」という題の文章に、「物語」についてなるほどと思ったところがあったので引き写す。

(前略)図式としてはこうです。人間→言葉→物語→本→いろんなもの。これが人の世の流れじゃないでしょうか。「本」はいらない、人間→言葉→物語→いろんなものだとする人もいるでしょうが、それでもいいです。問題は物語なので。では物語とはなんなのかというと、震災と津波で家族とあらゆるものを破壊されてしまった人が、もう土台しかなくなった自分の店に行ってみると、誰かが瓦礫のなかから拾ってくれた商売道具が置いてあった。それを見てその人は「ここでまた店をやれってことだと思ってー」と気持ちを決める。これが物語というものです。
なにもなくなってしまった自分の店の前に商売道具だけがポツンとおいてあった。それを見たとき、その人の中にあった物語が起動したわけです。その物語はその人の中にいつか埋め込まれていたものでしょう。たぶん本によって。または本から作られたいろんなものによって。
物語は人の行くべき道を示したり、逆に苦しみや悲しみももたらします。家族を失くした悲しみ、それも物語りだし、その悲しみを救うのもたぶん物語でしょう。そしてほとんどの物語はまず本に書かれてあるのです。(後略)

しみじみと良い本です。

ついでにひとつ。鬼海弘雄の写真集「persona」についてふれた文章があった。やっぱり見ている人は見ているんだな。

東電の崩壊

といっても、社宅のこと。だから正確には東電社宅の解体というべきですな。
通勤途中に東電の社宅アパートがあった。場所は早稲田大学のそばで、新目白通りを入ったところにある。原発事故以降、東電の看板を外していたような記憶があり、その前後から入居者の姿を見なくなったような気がする。
超優良会社であったのが、今はこのありさまなので、都心にある社有地を売り払わなければならないのだろう。
すでに解体工事は済んで、じきに更地になりそうだ。

現在、国から2~3兆円もの援助を受けるそうで、すでに会社の体をなしていないので、まあ表題のように言っても、それほど間違っているとは思わぬ。


以下、日経新聞http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD250KR_V21C12A2TJ0000/より引用。

東電、賠償資金援助7000億円追加申請へ 累計3兆円超
2012/12/26 2:02 情報元 日本経済新聞 電子版 記事保存

 東京電力は福島第1原子力発電所事故の賠償に必要な追加資金援助を、原子力損害賠償支援機構に年内に申請する方針を固めた。追加の申請額は7千億円弱。避難者の土地や家屋への賠償額が従来見込みを上回ると判断した。賠償向け資金援助額は累計で3兆円を超え、2011年11月の当初想定の3倍強に膨らむ。今後も賠償範囲が広がる可能性があり、東電の負担は一段と増す。


5月24日追記

その後、無事に更地になりました。
2013052402.jpg

相馬市で聞いた話

先日帰省した際に、親戚から聞いた話。真偽不明なものも多し。

震災で双葉郡からいわき市に逃げた人のはなし。
いわき市では、被災者のため人口が多くなり、病院もスーパーも道路も混んでいるので、被災者を悪く言う人もいる。でもそう言われても仕方がない人もいる。
子だくさんの7人家族で極貧生活を送っていた人が、被災者となったために毎月10万円/人、合計月収70万円となり、きゅうに羽振りが良くなって、それをひけらかしたりする。いっぽういわき市では、同じように震災で苦しんでいるのに、それほどの義捐金はもらえない人も多い。
いわば震災焼け太りのような人について厳しい見方が出てくるのはしかたがない。とはいえ、大多数はお金よりも元の生活に戻りたくて苦しんでいるのだが。

現在、相馬沖では、漁師たちが漁を出来ずに、かわりに瓦礫処理をして日当をもらっている。その日の仕事が終わって、船を港に戻すとき、宮城県方面からの漁船団がやってきて漁をする。それは船舶無線で話が聞けるから、分かる。今相馬沖では、漁をしていないので、大型の魚がたくさん獲れるらしいが、それらは、宮城県産として流通しているのではないか。原発垂れ流しの双葉郡の海と宮城県の海は、つながっていないわけではない。
ところで、阿武隈川の河口は岩沼市である。阿武隈川は福島県中通りを流れて、太平洋にそそぎこむが、中通りは、郡山、福島市を代表として、線量が高い町が多く、そこから流れた放射性物質は阿武隈川に流れ込んでいる。その河口付近での漁業には問題が有りや無しや。ちなみに昔、岩沼市に製紙工場があり常磐線で通るたびに鼻が曲がるほど臭かったが、そのへんで獲れた魚には背骨やエラの異常のあるものあって、売るときは切り身にしていたという。

相馬市内では、山側の玉野あたりが線量も高いのであるが、ある年寄りは、もういつ死んでも良いからと山菜をとり、きのこもどんどん食べる。その結果、内部被爆もものすごい状態になっているが、とめることも出来ない。

相馬市の海沿い。第二中学校あたりの小高い山は、ほとんどが崩され宅地になるという。これは海沿いの人が移住するためで、相馬市の場合、海のそばにわりと土地があったため事業が進んでいるようだ。
一方、被害が非常に大きかった磯部付近(高台があまりなかった)、最近、風が強いと砂埃がひどい。津波で上がった砂は、ひじょうに微粒子であったため5メートル先も見えないときがあるという(これはタクシーの運転手から聞いた)


相馬から東京に戻る直前に、相馬駅から松川浦、原釜を循環するバスに乗った。海に近づくまでは、ほんとうに震災の傷はかんじられないが、松川浦にバスがさしかかると激しく揺れ始めた。津波のために路面が悪くなったのだろう。この揺れ具合から、かつての常磐線特急、スーパーひたちの激しい揺れを思い出し、懐かしいような悲しいような気持になった。ちなみにバスに乗っていたのは私のほかには、途中ですぐ降りた老人一人きりだった。赤字路線なのだろうな。それでも公共交通を残してくれる福島交通、ありがとう。

それとyoutubeでこういう映像を見つけました。18分ありますが、見てみてください。



新しいようで古い避難倫理

先週から、胃の調子が悪い。酸っぱい液がこみ上げてきて、やたらとげっぷが出る。これもやはり一種の身体反応なのだろう。
昨年の3月11日は実家の相馬市に戻っていたが、今年は仕事していた。それでも午後2時46分が近づいたときに事務所のうらに行き、テレビに合わせて黙とうした。1分間というのはあんがい長いものです。たくさんのことが頭に浮かんで収拾がつかなくなった。

先日から、震災に関するいろいろな番組があるが、ほとんど見ていない。先週は実家に帰省していたせいもあるが、なんだかそういうものを見たくなかった。
いつも、暇になると震災に関わることを自然に考えてしまうので、かえって嫌になったのかもしれない。

地震自体での被害者は少ないのに、そのあとの津波で犠牲者がたくさん出てしまった。それがどうも残念でならない。そして原発事故被災者については、これからどうなるのか、見当がつかない。

以前、震災とは無関係に家人と話したことがあるのだが、もし万が一のことがあった場合、子供を最優先にして、子供を助けるためにどちらかお互いを見捨てて逃げても恨みっこなしにしようと決めた。
同じように、もし自分が年老いたり、身体が不自由であったりした場合に災害に襲われたとしたら、家族や若い人が自分を助けにやってくるのはやめてもらいたい。
震災のことを今になって振り返ると、若い人が年寄りを助けるために海岸部に戻り、犠牲になったという事例が大変に多い。家族だから、身内だから、知り合いだから助けにもどりたいと思うのは当然だろう。
しかしこれからは、助けられる側は、もう助けに来るな、と若い人たちがやってくるのを拒絶すべきではないかとも思っている。
子どもを助けに来るのは、親の本能なので止められないだろうが、年寄りを助けに来ないようにするのは、理性に基づく倫理的判断(と言うのは憚られるが)としてはいけないだろうか。俺ならば、自分を助けるよりは、孫を助けてもらいたい。

そういうことを考えていたが、それを別の言い方で表現したのが「津波てんこでんこ」なのかもしれないと思いついた。これは、津波が来たら、それぞれが取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろという意味の言葉である。詳細はwikipediaにある
言葉自体は新しいが、考え自体は昔からあるようです。
それぞれが逃げる=他の人にはかまわない、というところから、逃げられない人もいるだろうが、恨みっこなし、というのは飛躍でもあろうが、こういう話もある。
NHK3月6日 クローズアップ現代「“それでも生きる” ~被災地3000人の声~」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3170.html
この中にあった話。
「地震の後、祖父母がダウン症で全盲の孫を車に乗せようとするが、車に乗せるのに手間取ってしまった。
お祖母さんが助手席に孫を押し込んだところで津波が背後に迫ってることを知り、運転席のお祖父さんに「先に行け!」という。やむなくアクセルを踏むお祖父さん。
お祖母さんは走り去る車に向かって「生きろよ! こっち見るな! 後ろを振り向くなよ! 頑張って生きろよ! バンザイ! バンザイ!」と叫びつつ流されて行った。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1289904435/472
自分の命よりも、孫のほうが大事だからバンザイと言えたのだろう。

ちょっとまとまらない話だったかもしれないが、そんなことを考えていました。

六田知弘写真展「3・11 時のイコン」

会場・会期等はこちらから。
http://www.muda-photo.com/publicity/index.html#T121228-2

いろいろ書きたいことはあるが、まだ考えがまとまらない。
まずはひとつだけ。
会場正面に、大きな松の写真がある。
津波にあっても、青空を背景にすっくと立ち続ける雄々しい松の姿。ひょっとするとこの後塩害で枯れたのかもしれない。しかし力強い姿に勇気づけられる。

一方、別室の双葉郡広野町、原発被災地。
ここの夕焼けの白いフェンスを背景にした4枚の松の写真。
これ、ひょっとして六田さんの代表作のひとつになるのではないか。
それくらいなにかの感銘を受けたが、それがなにか、まだ分からない。
なぜか、マーク・ロスコとちょうど逆の位相にあるような気がしたが、気のせいか。
ロスコは抽象表現だが、しかし受ける印象は直接的、肉体的である(俺にとって)。
しかしこの松は、現実の写しではあるが、すでに具体ではないもののようにも見える。

最初の松は「常盤木の松の緑」という言葉が浮かび、やはり生命力を感じる。
しかし後者の松は、現実世界とそうではない世界の境界を示しているように思える。
つまり「松→不老長寿・不死→永久の世界→常世」⇔「現世」。
あの松の向こうには、この世ならぬ世界が広がっている気配があり、そして現実に放射性廃棄物置き場でもあるという皮肉。
また、夕方=「誰そ彼(たそかれ)」時であり、昼という現実の世界から、夜という別の時間に移るという状態でもある。
やはりフェンスの向こうはすでに現世とは言えない状態になったのだろうのか。

これはぜひ見るべきと思います。


そういえば、河北新報にも記事が出ていました。仙台のほうでもやるかもしれません。

うぱうぱてぃんてぃん へんなおみせがありました~

え~「へんな」というのはむしろ誉めているつもりですが、もし誤解する方がいたら、すみません。


水原弘「へんな女」 投稿者 xxobakasan

しかし、不思議な歌ですね。

先日、六田知弘写真展「石の時」(2月28日~3月9日 京橋 繭山龍泉堂)に行こうと、京橋の画廊の多い裏通りを歩いていたら、左手から何か視線を感じて、振り返ったらイコンがあった。なんとも気になって写真を撮ったら、後ろから声をかけられた。「こういうの興味ありますか」。
ウィンドウの写真を撮ったので、たしなめられるのかと思ったら、むしろ今、店に戻ったので、なかに入ってみていかないか、とのこと。
なかに入ると、イコンとか好きなの?と聞かれ、じつは、なんか視線を感じて振り返ったら、この絵があったと答えたら、ときどきそういうことを言って、見ていく人がいる、とご主人(であることが話しているうちに分かった)。
話していると、積んでいる箱のなかから、いろいろと取り出して見せてくれる。
ちょっと濁ったような黄色のガラスの小瓶。四面に十字架が浮き彫りになっているが、この時代、十字架の形があまり決まっていないらしく、どれも形がちょっとずつ違う。
また、表面が銀化したらしいオリエントの小瓶。そういえば、大昔、松永伍一のコレクションを見に行ったことがあったな。
ガラスケースのなかには、ガンダーラ仏の仏頭。

ある表現が誕生して、まだ試行錯誤しているような時期のものがお好きだという。だから、ジャンルはあまり関係なくて、いろいろな時代・地域のもので、自分が気に入ったものを集めて買ってきたそう。
ここで「世襲美」という言葉が飛び出した。面白い言葉だと思って聞き返したら、定型化した表現を無反省に繰り返すような状態になったものを示しているという。つまりご主人があまり好まないタイプのもののこと。
この「世襲美」という言葉が面白くて、使っていいかと聞いたら、承諾してくれた。
面白い言葉なので、これから使います。面白いご主人でした。

この古美術店は「飯沼緑心堂」。
もし出世して、お金持ちになったら、なんか買うかもしれませんww

20130307.jpg

六田知弘写真展「石の時」2月28日(木)から3月9日(土)まで

副題は「宇宙との対話、祈りのトポス」。現在開催中です。
http://www.muda-photo.com/publicity/index.html#T121228-1
http://www.mayuyama.jp/mayuyama_event_01.html

もう2回見てきました。もう一度くらい見たいが、行くと六田さんに会うので恥ずかしい気もする。お金があれば写真買いたいが、あのかっこいい写真を飾る壁がない。さびしいのぅ。
それはさておき、場所は京橋の繭山龍泉堂です。

会期も残りわずか、お勧めします。

3月5日からは、「3・11 時のイコン」(有楽町の相田みつを美術館)も始まります。
3月31日まで、会場は第2ホールというところで入場無料です。
明日は仕事でいけないが、こちらも何度か行きたいと思っています。

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