eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

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2013-02

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大きいということ

数年前の正月に、奈良の興福寺周辺や明日香村のあたりを歩く機会があった。
そのとき大仏殿に行き、久しぶりに大仏様を間近で見ると、やはりなんとも言いようもなく大きかった。大きいといっても、辞典にあるような高さは14.7メートル、周囲は70メートルというような数値的な情報からすれば、それよりも大きな仏像もあるだろう、町にはそれよりも大きなビルがいくらでもある。
でも、それとは違うたぐいの大きさが感じられたのだが、それがなにかよく分からなかった。

先日、はじめて根津美術館に行き、「那智瀧図」を見てきた。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2013_n01.html
以前からこの瀧図は知っていたのだが、NHK教育で写真家の杉本博司氏がとりあげているのを見て、急に見たくなったのだった。
行ってみると平日午後だが、けっこうなにぎわい。それでも那智瀧図は別室にあって、寄せては返す人波をながめていると途切れることもあるので、ここぞとばかりにじっくり見たのだが。

まずは下の方から見ていく。
手前に木立があり、左右のあれっというようなところにも支流がある。そこから滝壺に行く。水が落ちてしぶくようす。下の方は岩にあたって水の柱が太くなったりしている。そこから上にのぼっていく。目は水流に逆らって、遡っていくだけで手いっぱいで、いつのまにか瀧の落ちるところ(瀧口)までたどり着いている。ここで川は右に折れており、さらに水流をさかのぼると森に消えて、その上には月が出ている。つまり、この瀧は月から流れているということだろうか。

今度は上から見てみる。夜の山があって、月が頭を出している。水が右手から流れてきて瀧を落ち始める。周りを見ると水流で瀧の周囲は削られており、見ようによっては光背のようでもある。それを縁取るような森林。瀧は細く始まり、いつの間にか少し太くなり、中央すぎたあたりで最初の岩にあたり、水流が太くなる。そこからいくつか岩にあたりながら落ちて滝壺に落ちる。いったん落ち着いた水流は、そこから主に右側に流れるが、左側にへんなところにも水の流れが見える。

こうやって何度もじっくり見たはずなのだが、なぜか全体像がつかめない。そう思って離れて見ると、今度は瀧の様子がよく分からない。また近づいて見てみる、というようなことを繰り返していたら、なんだか奈良の大仏様を見たときのことを思い出した。
サイズ、スケールはまったく違うのだが、物理的な大きさ、尺度を越えて、どうにも全体像がつかめないところが似ている。どうも、私の頭のなかには収まりきれないなにかがあるのだろう。たぶんこれが「大きい」ということなのではなかろうか。

漱石「三四郎」の冒頭で「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中のほうが広いでしょう」という科白がある。広さと大きさの違いはあるが、頭のなかに畳み込めれば、それは大きくない。しかし、熊本県よりも小さい那智の瀧のさらにその写し絵はさらに小さいはずだが、しかし頭のなかには畳み込めなかった(もちろん、かるく頭のなかに入ってしまう人もいるでしょうが)。

那智の瀧は、それ自体がご神体であり崇敬の対象であるが、この瀧図自体も「千手観音が姿を変えた神体・飛瀧権現を図絵した礼拝画」であったそうだ。
であれば、そもそも矮小なこの一つの頭のなかに収まりきれなくても仕方がない。

それにしても、いちど那智に行きたいものです。この目で見てみたい。

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かたとかたち

以前、オギュスタン・ベルク先生の講演を聞いていたら、先生は「かた(型)とかたち(形)の関係について、いまだに少し考えています」というようなことを話されていた。
それがなんとなく頭に残り、いつの間にか自分でも考えるようになった。

先の大震災のあと、定型詩のかたちで、いろいろな歌が発表された。その歌を詠んだのは、市井の人々が多かったように思う。
そのときに思ったのだが、震災に直面した悲しみ、行き場のない怒り、驚き、生き残ったことの安堵と後ろめたさ、亡くなった人への鎮魂などさまざまな感情、思い、思考がないまぜになった、名づけようのないものが胸のなかに渦巻いていて、しかし、それはなかなか言いつくせないし、表現できない。しかし短歌や俳句という定型の力を借りることによって、かろうじてその胸のうちをかたちにすることができ、また、それが他の人の心も慰撫したのだと思う。
つまり、定型詩という「かた」に、どろどろとした不定形の何ものかが流し込まれ、そこではじめて「かたち」になったのだろうか。
思えば、鋳物を作るとき、砂鉄で作った鋳型に、どろどろに溶けた鉄を流し込んで製品を作るのと同じである。

さらに考えた。「かたち」の「ち」とはどういう意味か。「いのち」の「い」は、息吹の「い」であり、「ち」は霊の意味があるそうだ。
http://gogen-allguide.com/i/inochi.html
これを踏まえれば、「かたち」の「ち」は「いのち」の「ち」と同じ意味で、型から生まれ出て命を持ったものが「かたち」なのだろう。

やっとここまで考えがまとまってきた。もう少し考えを先まで延ばしてみたいと思う。
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