eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2012-08

わかるかなぁ〜 わかんねえだろうなぁ〜

だいぶ昔、松鶴家千とせという芸人が、ジャズ風のBGMに合わせて、こういうセリフを絡めた漫談をしていた。
♪オレが昔、夕焼けだった頃 弟は小焼けだった
母さんは霜焼けで 父さんは胸焼けだった
わかるかなぁ〜 わかんねえだろうなぁ〜
というやつです。

先日、実家の伯父と話していたら、「日本中の人が被災地のことを考えてくれているのに、云々」という言葉がでたので、ついこんなふうに言った。
すでに東京でさえ、震災や原発事故のことはだいぶ忘れている。本屋だって、しばらく前に震災関連の書籍が、店頭の目立つ場所から奥に移動していた。昨年は一番目立つところに平積みされていたのに。また会社にいる関西出身の人と話したが、そもそも原発事故なんてほとんど気にかけていなかった。
すると叔父は、こんなふうに応じてくれた。
そうかもしれない。聞いた話だが、桜島の噴火はたまにニュースになるけれど、本当はしょっちゅう噴火していて、現地の人はそれが当然だと思っているのでニュースにならないし、よその人はニュースにならないのでそんなに噴火しているとは思わない。こっちが当然だと思っていることも、ちょっと離れればそうは思わないのかもしれない。


また、311から数週間相馬市から脱出出来なかった姉と話したときに、つくづくと思った。やはり現地で被災した人の本当のところは、そのとき東京に居た俺にはやっぱりどうしても分からないところがある。むしろ、軽率に「分かる」と言ったりする方が不遜なのだろう。
自分では、被災地に自分の親族がいるので、東京に暮らす他の人よりは良く分かっていると思っていた。親族が福島第一原発からさほど遠くない相馬市にいるぶん、より切実に分かっているつもりではあったのだ。
しかし、その時の恐怖感、逃げたくても逃げられない(公共交通の崩壊、車で避難したいがガソリン不足)ことや近所の人がいつの間にか居なくなっていた(=人に言わずにそれぞれ静かに避難していた)時の焦り、収束しない原発事故がどのように進展するのかという恐れなどは、やはり想像でしか分からない。
さらにいえば、姉からすると、浜に住んでいて津波にあった人の気持ちは、やっぱり最後のところは分かりきれないという。
たぶんそういうものだろうと思う。

この話を聞いたとき、冒頭の「わかるかな~、わかんねーだろーな~」というフレーズを思い出した。けっこうこのフレーズは哀愁漂う歌い方で、そのニュアンスは、分かってほしいのは山々だが、しかしたぶんダメだろうな、という風に聞こえるのです。
俺の場合は、理解しようとしても出来ないないもどかしさと、理解されないだろうというあきらめがないまぜになっているのであるが。

ちなみに、松鶴家千とせは旧原町市、今の南相馬市の出身で、ここは福島第一原発の隣町です。
わかるかなぁ〜 わかんねえだろうなぁ〜

ところでこの動画、2011年3月12日にアップロードされている。さすがわかってらっしゃる(大橋巨泉)。

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このあいだ、帰省した時の話

5月中旬に福島県相馬市の実家に母を連れて帰省していたのだが、どうも考えがまとまらないまま、大事なことも忘れてしまい、そんなことをしているうちにまた8月が来てお盆のために帰省してきた。
いくつか聞いてきた話と、見てきたことを書いてみようかと思う。

叔母から聞いた話
・原発事故以来、スーパーに買い物に行くと以前とは様子が違うところがある。店頭には、いきの良い地元産の野菜が安い値段で並んでいる。しかし、ちょっと店の奥に行くと九州産や四国産などこれまでは見なかった産地の野菜が並んでいる。小さい子供のいる家では値段が高くても、店の奥の方に並んでいる野菜を買う人がけっこういる。
・除染をするにあたって問題になるのは、廃棄物をどこに持っていくのかということ。ある人が政府の役人にこのことを問いただしたところ、「谷をひとつ埋める覚悟があれば、廃棄物は片付きます」と言ったらしい(後で思い出したが発言者は田中俊一だった。この人が原子力規制委員会の委員長になるようだが適任ではない)。叔母にいわせればとんでもない話だ、というのであるが、俺が自分なりに考えると、それも仕方がないのではないかと思ったが、叔母には言 えなかった。
※一方では、復興のためのセメント増産によるものか、阿武隈山地のある山がどんどん削られており(実家から見ても削られた山肌が分かるくらい)、近いうちにその山は消滅するだろう。人の都合によって、慣れ親しんだ風景が壊されていくというのは見ていて心が苦しくなるものだ。(ここまで5月の話)
・先月から相馬市沖ではタコとツブガイの漁が再開された。放射性物質も基準値以下という。今回の帰省で食べてみたかったが、地元で食べたい人も多いし、お盆で漁が休みということもあり食べられなかった。ところで、他の魚はどうだろうか。ヒラメなどの高級魚も獲れるのであるが、タコ漁のときに一緒に獲れてしまった魚はそのまま海に戻しているそうだ。
しかしこれは商売での話。自分が食べるためならば、どんな魚を獲っても止めさせようがない。実際、浜の人のなかにはこれまで通りの新鮮な魚が食べたくて、自分で漁をして、獲れた魚を食べる人がでてきたらしい。また、食べたいという人がいれば(身内ではあろうが)譲ったりしているという話である。ここでお金が絡むとややこしい話になるが、これまでもやってきたように獲れたもののおすそ分けをしているだけともいえる。年寄りがすべて分かった上で食べるのなら、もう止めようもない気がする。というか、俺もお相伴にあずかりたい(本気)。
ちなみに、皮肉にも漁ができないため、魚は非常に育っているそうだ。

浜の様子
・松川浦を歩いてみた。海沿いで被害にあったホテル、旅館のなかには営業を再開するところもけっこう出てきた。建築工事もだいぶ進んだらしい。しかし、浜焼きを売っていたような小さな店は跡かたもなくなってしまった。復興工事のため、宿舎としてのホテル、旅館の需要は一定数見込めるのだろうが、本来、海に遊びに来る人のための宿泊施設だった。もとの姿に戻るのはいったいいつになるのか見当がつかない。
・海岸沿いの松並木は津波で大半流されたのだが、残っていた松も塩害だろうか、枯れてきたようだ。松川浦の堤防が崩れて外洋とつながったあたりに松が何本か残っているのが見えたが、葉は緑ではないようだった。常盤なる松の緑というくらいで、常緑であるはずの松なのであるが。
・松川浦大橋の向こうのトンネルの先まで行ってみた。お地蔵さまに飲み物をあげてみた。海沿いの復旧工事は進んでいるのだろうが、寸断された堤防の途中に小型漁船が2隻ほど、いまだに撤去されずに残っていた。
・帰りはバスで帰ったのだが、津波で大きな被害をうけた原釜をバスは走っていった。あたりは夏草だけが生い茂り、撤去された家々の土台だけが残っていて、なにかの遺跡のようでもあった。海からだいぶ離れたところに黒光りするところがあって、それは墓を立て直した墓地であった。この墓地は津波で墓石が流され、さすがに忍びなくて昨年来た時は写真を撮ることも出来なかった。まずはお墓を直したのだろうか、遠目からも黒光りしているように見えるのは新しい黒御影石のせいだろうか。そこだけは生き返ったようであった。

なんだか表面的なことしか見えなかったが、ちょっと帰省しただけで分かるはずもないだろう。盆踊りは例年のような開催であった。
けれども町の書店では、いまだに原発事故と震災関係の本が平積みになっている。今住んでいる早稲田界隈の書店では、震災関係の本はすでに、一番目立つところには置いていない。当然といえば当然なのだろうが。

また来月母を連れて帰省するのであるが、また様子が少し変わったいるのだろうか。

映画月間の終わり

5月に早稲田松竹でアンゲロプロスの「旅芸人の記録」を見て以来、数年ぶり(20年ぶり?)の映画月間が始まってしまった。
まずは、早稲田松竹で「旅芸人の記録」(大傑作)、同じく早稲田松竹でフェリーニ「8 1/2」「青春群像」(あまり期待していなかったがフェリーニも良かった)。
北千住の東京芸術センターに場所を移してアンゲロプロス「アレクサンダー大王」(傑作)、「シテール島への船出」(印象に残る)、「蜂の旅人」(いまいち)、「霧の中の風景」(けっこう思い出す)、「こうのとり、たちずさんで」(傑作の一歩手前)、「ユリシーズの瞳」(凄い、結局2回見た)、「永遠と一日」(少年が良い)、もう一度「旅芸人の記録」(これが今回の見納めか)。結局「狩人」はまだ見ていない。残念です。
渋谷のユーロスペースで「アレクサンダー大王」(しつこいね俺も)、「エレ二の旅」(最後の作品か?)。勢い余ってタルコフスキーの「ストーカー」「サクリファイス」「ノスタルジア」と見てきた。
3ヶ月で17本というのは、特別な映画好きではない俺にとっては異常な本数ではあるが、以前も同じようなことをしたことがある。
最初はマルクス兄弟の日本での版権切れによる最終上映で日本で見られる映画はほとんど見たはず(どうも「オペラは踊る」「マルクス一番乗り」「マルクス兄弟珍サーカス」「マルクスの二挺拳銃」「マルクス兄弟デパート騒動」「我輩はカモである」らしい。http://www010.upp.so-net.ne.jp/tatsuroo/marx/index.htm)。
次がナンニ・モレッティが同じく版権切れの作品でこのときは2、3本か(「ジュリオの当惑」が好き)。

「旅芸人の記録」は現代版アガメムノン物語なので、関係するギリシャ悲劇をいくつか読んでみた。
「ユリシーズの瞳」は、オデッセイが下敷きになっているのでトロイア戦争の本を読んだりしたが、長くて読み切れなかった。
それとはべつに、ギリシャの近現代史に関するものをいくつか読んでみた。

ひょっとすると「旅芸人の記録」はもう一度くらい見るかもしれない。
この映画のサントラ盤はすでにないようなので、youtubeから音声のみ吸い上げて私家版のサントラを作って聴いております。
ヤクセンボーレ!

※1分30秒あたりから見てください。

タルコフスキー「ノスタルジア」

先日の「ストーカー」に続いて、「ノスタルジア」を見た。
開場30分前に行ったのだが、すでにチケット番号は80番台だった。ずいぶん混んでいます。北千住のアンゲロプロスなら10分前に行っても空いているのに。

さて、有名な映画であり、いろいろな人がいろいろなことを語っているので、自分なりの感想を少し。
タルコフスキー自身でもある主人公(アンドレイ)が、現実世界にいるときはカラーの映像、夢もしくは幻想の世界の場合はモノクロの映像となる。しかし、音楽や効果音はカラーとモノクロ画面の両方にかかったりしている場合もあったような。モノクロの幻想シーンもカラーのシーンも美しいです。

ところで、タルコフスキーは、祈りというものは、ひざまずいてただ祈るだけでは足りないと考えていたのではないか。とくに世界を救おうというような気違いじみたことを祈る場合には、たとえ狂人と思われようと何か大事なものを賭けなければならない。

ドメニコという人物がいて、狂った世界から家族を守ろうとして何年も家族と一緒に家にこもった。一般的に見れば妄想による一種の監禁ともいえる。
アンドレイはそのドメニコから祈りを託された。温泉のなかをロウソクを消さずに歩ききると世界が救済されるという。実際にそうするのはいかにも難しそうであるが、完全に不可能というわけではなさそうでもある。が、ドメニコは一度も成功していない。
アンドレイは何度か失敗したあとに成功するが、極度の緊張のせいか心臓発作(直前に薬を飲むシーンで暗示されている)で倒れる。生死は定かではないが、モノクロ画面の世界に移行したので、おそらく死んだのだろう。
そのころ、ドメニコはローマで演説をするが、世に受け入れられぬ預言者として、焼身自殺をする。
アンドレイとドメニコの祈りは結局命を賭したものとなった。
この祈りというテーマは、「サクリファイス」から続くのだろう。

ヴェンダースに「パリ、テキサス」という映画があるが、そのなかで妙に心に残っている場面がある。1人の男が高速道路上の橋の上でこの世の終わりを叫んでいるのだが、誰も耳を傾けない。しかしその様子は必死で、なんだか胸を打つ。狂人めいてはいるが言っていることも実はそんなに狂ってはいない。その男とドメニコが重なって見えた。
※ちなみにこのドメニコ役のエルランド・ヨセフソンは、アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」でも重要な役を演じています。

実家の相馬市に中村神社というところがあり、そこの案内の額に「祈りは行動の最たるものである」(詳細は忘れたが大意はこんなふうだった)とあった。
アンドレイもドメニコも、そしてサクリファイスの主人公も、一見単なる愚行のような、しかし内実においては真剣な(命がけともいえる)祈りを行うのであるが、この言葉と重なり合うように感じた。

消費税増税法案が可決しそうだということで

今回の消費税増税の理由は、簡単に言えば「将来の世代に負担を残さない」という理由もあるそうで、しかしそれを言うのであれば、核廃棄物のほうがよほど将来の世代に大きな迷惑というか禍根を残す。100年先の人のどれだけ恨まれる分からない。
消費税増税法案が可決されるならば、同じように原発廃止法案が可決されなければ、道理が通らないだろう。

仮に国家が負債で破産したとしても、日本人は残るだろうし、日本文化も生き残るだろう。破産程度で消え去るのであれば、最初からそれほどでもないということだろう。ギリシャなど古代国家時代から何度破産しているか知らないが、いまだにギリシャ人(人種的実態はどうかわからんが)は生き残っている。
※だから、いまだに近隣諸国、国内でもめているということがアンゲロプロスの映画でよくわかった。

野田さんは、増税と引きかえに政権を投げ出したようなものだが、政権を掛けて原発を止めるような政治家を望む。

ことさらに大声を出そうとするのものへの違和感(嫌悪感含有)

自分の滑舌が悪いせいか、それとも根っからの柔弱文系野郎のせいか、昔から大声を出す奴が嫌いである。これは老若男女貴賎都鄙を問わずそうである。子供は大目に見るべきだという人もいるでしょうが、もちろん普通の大声くらいはほほえましく見ているけれど、常軌を逸した大声(時々こういうことをやりたがる)のときには、一声かけたりした。

先週金曜日、仕事帰りにまた官邸前に行ってきてみた。文字どおり「行ってみた」というだけで、スローガンを叫んだりすることもなく、警察による姑息な道路封鎖や会場への遠回りにも文句も言わず、やはり国会記者クラブ前(ここが所謂「官邸前」だろう)にもたどり着けずに、「ファミリー・コーナー」と「スピーカーズ・コーナー」に行ってみた。
途中何箇所かで、ハンドマイクを設置して「再稼働反対」と叫ぶ(PA通しているから叫ぶ必要なし)人たちが何組かいた。あるグループは、いくつかのスローガンを若干、節をつけて繰り返していたのだが、なんだかマイクを通して語ることに酔っているようにも見えて、あまり良いものではなかった。そしてそれに賛同して声を出す人もほとんどいないようであった。
スピーカーズ・コーナーではドラム隊がリズムを合わせて叩いていたが、あれは悪いものではなかった。リズムがあっているということは統制がとれているということであり、ということは手前勝手に喚き散らすようなことはないということでもある。まあ十分にうるさいので、そうとも言えないか。

一人ひとりの、機械的に増幅されない、生の、普通の声が合わさって、結果として大きな声になるのはもちろん良い。というかそうあってほしい。
しかし、最初から大声を出そうというのは、なにやらある種の「権力」への志向、そして一人一人の意志や考えを一色に塗りつぶそうとしているようにも見えてくる。大声を出すというのは「俺の言うことを聞け」ということであり、そこから「俺の言うとおりにしろ」までは、あまり距離がない。
それに、ハンドマイクでスローガンなんて、ありきたりの組合運動みたいで嫌やではないですか。組合自体を否定するものではないけれど、別に動員かけられてここに来ているわけではない。既成の運動へいつの間にか呑みこまれてしまうようなことはあってほしくない。

やはり大声出す人ばかりが目立つのであるが、じつはごく一部である。大半を占める、ことさらに大声を出さぬ、しかしやはり何らかの意思表示をしたいと思って官邸前に来た人のほうに自分は立っていたいと思う。というか、文字どおり立っているだけだけど。

城山三郎の座右の銘(他の作家の言葉らしい)に「静かに行くものは健やかに行く。健やかに行くものは遠くまで行く」というのがあって、ときどき胸の中で繰り返している。
原発の問題は時間がかかるものだ。大声出して消耗するよりも、遠くの目標までたどり着くことが大事である。そのために健やかでなくてはならず、やはり静かに行くべきである。

それにしても、警備をする若い警察官にも一言。といって別に苦言めいたことではない(言いたいけど)。
今、再稼働反対の声がでているが、それが通らずにこのまま他の原発も再稼働したとする。しかし昨年以来、日本列島は地震が頻発する状態になってしまったようだ。再び大地震が来て稼働中の原発に何らかの問題が生じないとも限らない。原発事故が起こる確率は低いとして、しかし大事故が起きれば、いくら確率が低くても被害が極端に大きいので、確率の話は無意味である。
そのとき、福島第一原発事故のように全国から消防隊、自衛隊、警察、機動隊が招集され、原発付近に派遣されるだろう。一地方自治体の扱える問題ではない。
実際に前線に行かされるのは、ひょっとして総理官邸付近を警備している警察官たちかもしれない。仕事とはいえ、自らを害そうとするかもしれないものを警備しているように見えて、なんだか少し気の毒にも感じている。

タルコフスキー「ストーカー」

現在、渋谷のユーロスペースで、タルコフスキー特集をやっている。「ノスタルジア」「サクリファイス」「ストーカー」と見るつもりで、まずは日程がちょうどあったので「ストーカー」を見に行った。
前回この映画を見たのは25年くらい前、高田馬場だったか。その時は風邪気味のため、また長時間の映像も相まって、朦朧としながら見ていた。あまりはっきりした記憶はなく、悲惨と奇跡、真実とそれに対する疑念、それらがないまぜになって、画面的には常時水が滴っていたような漠然とした印象しか残らなかった(が、それにしては強烈な印象ではあった)。
最近、アンゲロプロスの映画を見続けてきたせいか、長時間にもかかわらず最後まで眠らずに見ることができたw

「ストーカー(Stalker)」というタイトルの意味は「密漁者」だそうである(「狩猟管理人」という意味もあるようです)。
改めて見てみるとあんがい分かりやすい。説明的でもあるし図式的でもある。
「zone」と呼ばれる禁域に潜入する人物が3人。物理学者と作家、それと案内人である。どうも物理学者と作家の対話を聞いていると「科学」と「詩(芸術)」を象徴する人物らしい。では、役立たずで世渡りのできない案内人(主人公なのだろうな、やはり)は何者であるかと考えると、発言から察するに「宗教者」のようである。宗教者であるがゆえに世俗のことに疎いという設定なのだろう。
この案内人は陋屋に住んでいるのだが、妻と娘がいる。この娘は足が不自由らしいが、最後の場面で特殊な能力を持っていることを示す。この娘は頭にスカーフを巻いているのだが、その様子がロシアのイコンのようでもあり、なんだか聖なる存在のようである(そのためか特殊な能力をみせる前後に、騒音に交じってベートーベンの「喜びの歌」がかぶったりする)。陋屋で暮らす様子が、キリストが馬小屋で生まれた故事を思わせたりする。では、zoneからついてきた黒犬はなんであるか(冥府からつかわされた番犬-ケルベロスに近い存在、それともタルコフスキーが犬好き?)とか、言い始めると細々あるわけですが。

それもそうなのであるが、この案内人が住む地域のすぐそばに原発がある(スリーマイル島の原発のような冷却塔が見えている)という設定自体が、意図的なのか偶然なのかわからないのだが、予言的であるように思えた。

とはいえ、全体としてはキリスト教的背景が強調されている点、また図式的=分かりやすいため、以前見たほどの異様な感銘はなかった。とはいえこの映画の3時間はそれほど長くは感じない。
まあ異教徒がなに偉そうに言っているんだというご意見も御座いましょうが。

ところで、画面の質であるが、モノクロ部分(セピア色)の部分はとくに画面が汚くて、細部が良く見えなかった。カラーの場面は発色が鮮やかなのでそれに救われるせいか、それほど画面の粗が目立たない。例えて言えばVHSの映像をデジタルテレビで見たときのような画面の粗さがあった。後で見ると「デジタルリマスター」とあった。
字幕付きの上映フィルムが劣化してるので仕方がないのかもしれないが、なんだか味気ないものではあった。
画面に「雨降り」があったり、ノイズ、退色があったりしてもスクリーン上ではフィルムで見たいものです。

野田総理が、官邸前抗議行動のメンバーと会うことにしたらしいが。

野田総理が、官邸前抗議行動のメンバーと会うことにしたらしいが、どういうつもりだろうか。
毎週官邸前にそれなりの人数が集まるので、やはり無視は出来ないということだろうが、かといって会っても、どれほどの意味があるのか疑問だ。

先週の金曜日、市民グループ主宰では官邸前に集まらないことを事前に公表していたが、それでも人は集まった。
市民グループは、集まりを主宰してくれる=段取りしてくれる立場であって有難いとは思うが、かといってあの場に集まる人たちを代表する立場ではすでにないだろうし、グループの人たちもそういう気はないだろう。
それぞれの人が、自分の意思で勝手に集まるのであって、誰かに先導されているわけではない。
野田さんはそこを見誤っているのか、それとも誰と会って話せばいいのか分からない(だから厄介だし、得体が知れなないし、対応の仕様がない)から、とりあえず言いだしっぺの人に会うのか。

どうせだったら、野田さんは夕方に官邸を出てSPつけながらあのへんを実際に歩いてみたらどうだろうか。途中でつるし上げに会うのかもしれないし、殴りかかる人もいるかもしれないが、殺されはしないだろう。まだ東電幹部や、原発を主導した経産省や文科相の役人、御用学者たちで殺された人はいないのだから。

むかし、東大紛争というのがあって、文学部の文学部長・林健太郎教授が学生と直接対応した
林氏のように8日間もやらなくてもいいから、直接現場に出てきたらどうだろうか。


(以下、朝日新聞より引用)
野田首相、脱原発の団体と面会意向 次の官邸前抗議で

 野田佳彦首相は、毎週金曜日に官邸前で関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働への抗議行動を呼びかけている市民団体のメンバーと、近く面会する意向を固めた。早ければ、次の抗議行動が予定される3日にも会う方向で調整している。

 首相は13の市民団体や個人による連絡組織「首都圏反原発連合」の代表者と会う意向。これまで首相は「一つ一つ、デモの皆さまに出て行って会うことは前例がない」として、超党派の国会議員でつくる「原発ゼロの会」を通じた面会要請も断ってきた。だが、抗議行動は広がりをみせ、「民意を軽く考え過ぎている」との批判が政権内からも出ていることを踏まえ、方針転換した。

 ただ、首相には大飯原発の再稼働を見直す考えはなく、面会ではエネルギー政策の見直し方針への理解を求めるとみられる。

2012年8月2日11時46分
http://www.asahi.com/politics/update/0802/TKY201208020289.html
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