eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2012-04

今年の冬頃

やっとフィルムスキャンしました。
けっこうピンボケが多かった。

浅草~上野
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御茶ノ水  風の強い日でした。
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新宿
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世田谷ボロ市2011年12月

2011boro01.jpg 震災の関係で東北復興支援青空市

2011boro02.jpg 桑原甲子雄風に

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相変わらず不思議なものがたくさん売っている。
全部ほしいが、家がガラクタ屋敷になる。

2011boro28.jpg 家に帰ろう~



おまけ。
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うちで一番偉い方です。きりっとしておられる。

竹橋・近代美術館のポロック展、他

昨日、竹橋の近代美術館でポロック展を見てきた。
いろいろな作品があったが、なぜか「和風」な印象の残るものがあった。手法的に言えば、人為と自然というか、偶然をコントロールする技量とそれを超えた偶然の衝突というか、いびつだったりざらざらしたり、均一でないことをむしろ貴ぶある種の陶芸の世界に通ずるものを感じた。現代書家が和紙に墨で横書きに書いたようなもの(展示ナンバー47「無題」)もあったし、絵の具たらし(drippingやpouring)した作品のあるものは、春の野の山のよう(No.25)であったり、抹茶茶碗の表面のようであったり、あるものは梅の古木のよう(展示ナンバー55「無題」)であったりした。
でもさすがに「インディアンレッドの地の壁画」は、強烈な吸引力があって、しばらくたち尽くした。
また、1951年以降は黒を主体にした制作を試みているが、ポロックの手元に和紙と墨があったら、にじみやかすれ等も駆使してもっと面白く展開していたのではないかと思う。そうすれば行き詰まりを感じるのももう少し後になって、アルコール依存もひどくならなかったのではないかだろうか、等と考えた。
なんか漠然とした感想ですな。
で、最後にポロックの復元されたアトリエがあって、写真撮影OKであった。どんな画家のアトリエも床は絵の具で汚れているのだが、ポロックの場合はなんだかそれも一種の作品のように見えたので、バシバシ写真を撮った。でも暗いのであまりうまく撮れなかったな。
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拾いものだったのは、小特集の原弘展で、FRONT時代から戦後のポスターなど版下も含めて展示してあった。デザインに興味がある人や、印刷の指定をちょっと知っている人が見れば、とても面白いと思う。竹尾と組んで紙の開発をやったりしていたのは知らなかった。できれば、平凡社「太陽」あたりの仕事も取り上げてほしかったけど、大満足だった。
常設展では、久しぶりに見た齊藤真一に動揺したり、藤田嗣治の「猫(争闘)」を見てかわいいような怖いような気持になったり、小絲源太郎「惜春賦」を初めて知って、退場後に思わず受付のお姉さんに作品名を確認したり、大岩オスカール「Gardening (Manhattan)」を見て、唐突に911のとき、ビル崩壊前に飛び降りた人たちのことを思い出したりした(解説を見ると、そう思ってもそれほど間違っていないらしい)。

で、高梨豊の「東京人」は何度も見ているせいか、今回はあまりじっくり見ないで済ませてしまった。高梨先生、ごめんなさい。

それにしても大変充実した展示で、昼過ぎに入館して、出てきたのは18時過ぎだった。いい気分でした。

物欲の減衰

年をとると枯れて欲が少なくなるというが、これもそうかもしれない。
先日新宿の楽器屋でいろいろな楽器にさわらせてもらった。まずはFender Bass VIという6弦ベース。弾いてみたらベースというよりはむしろ低音の出るギターであった。低音感は物足りないが、弦の間隔はギターに近いので弾きやすくもあるが、この構造からサウンド的にどのように発展させるか、あまり思い浮かばない。ベースとしては生音が物足りない。フリクションでレックが使いそうだが使ってないな。ギターを弾いているとき、いつも低音がさびしいので前から興味があったのだが、実際に弾いて自分には不要であると目が覚めた。
次にアコースティックギターのフロアに行って、ヤイリのギターを弾いてみた。15万くらいの値段のもの。さすがにネックの具合が上等で、7フレットでBを弾いてもバレーが楽であった。肝心の音のほうは、材質のせいもあってかなり明るい軽めのどことなく品が良い音であった。いつも弾いているヤマハのFG500FG400D(30年くらい前のものか)のほうが、低音がぼったりとしていて(弦が古いせいもあるが)好みである。どうもダサい音が好きなようで、高級ギターが似合わないのだろう。ということで、ここでも目が少しさめた。
で、最後にバッカスというコピーモデルを作ったりしているらしい国産メーカーのメタリックブルーのSGを弾いたらしっくりきた。Jazz Chorusにつないで、アンプ側でちょっと歪ませると、なんともNew Waveな音でした、なつかしいのぅ。けど、色が派手すぎておじさんにはちょっとつらいのでした。値段はわりと安いけどw。

ここまでは前置き。
新宿などに出掛けると、必ず(文字通り「必ず」)カメラ屋をのぞいて来なければ気が済まなかった。暇があれば、定「店」観測をしてパトロールを怠らなかった。しかし、最近そうでもなくなった。これはここ20数年のなかでは特筆すべきことである(誰も気にしてないが)。どうもカメラ関係の物欲が枯れつつあるらしい。
理由として思いつくのは、今年初めにとうとう45の大判カメラを買ったのだった。ナガオカの非常に古いもので、レンズボードは見たことがないサイズのかなり小さめのもの。とりあえず「ナガオカ・ボード」と名付けた。蛇腹に穴があったので補修し、レンズボードは前オーナーの手作りらしい素朴なものしかなかったので、手持ちのレンズ(フジノン135/5.6)用に新たにレンズボードを自作した。で、フィルムも投げ売りされているのを買って、フィルムフォルダーまでそろえたら、なんだか満足してしまってまだ1枚も撮影していない。ただ、とうとう大判を手に入れたということで、なにか達成感があったらしく、新しいカメラが欲しいとか、ジャンク品をいじりたいという気持ちが薄くなった。
なに、機材なんてしっかりしたものであれば、どこのものだっていいんです、写真撮るのは人間ですから、などという余裕さえ漂うこの春の日々。
お迎えが近くなったのだろうか。もうちょっとやりたいことがあるので、そうなら困るのですが。

愛想のない猫写真 春の部

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なんか性格が出るのでせう。
篠山氏は富士山を撮影するときも「はーい、にっこり笑ってー」というらしいが、見習うべきか。

FUSHIKIZ氏について

最近、このblogを見に来られる方(物好きな方ですなw)のうち、FUSHIKIZという検索ワードで見に来られる方が多いのに気付いた。
FUSHIKIZ氏といえば、有名なところでは有名な方である。私も自分が分かる範囲では、なるほどと思うところの多い文章をお書きになっている。

ところで、この方がよく書いていたF&Fという掲示板で、オーナーであるほりこし氏とFUSHIKIZ氏が決裂して、FUSHIKIZ氏のほうが書きこめなくなったようである。
http://www.fnf.jp/bb10/mbbs.cgi#1
http://www.fnf.jp/blog/2012/04/fnfblog6050.html
↑で、もめて、こうなった↓
http://www.fnf.jp/blog/2012/04/fnfblog6073.html#comment-8824
それで、この件、気になる人がけっこう検索しているのかもしれぬ。

このF&F掲示板は、けっこう自動車の話題が多く、私のように免許はあれどまったく運転しないものには議論自体が縁遠いものであった。今回の件、なんかプリウスの燃費が発端らしいが、なにしろ車のことが分からないので、どちらがまっとうなことを言っているのか見当がつかない。
しいて言えることは、昨年3月11日以降に福島県の浜通りが極度のガソリン不足に陥った際、叔母が車を買い替える時プリウスにしておけばこれほどの苦労はしなかったろうに、と言ったことぐらいである。それとハイブリッドと言えばポルシェ博士のタイガー戦車(試作)と、エレファントくらいで止まっている。エレファントは田宮の1/35のシリーズにあったような。

私は原発関連でFUSHIKIZ氏に教わったことも多く、その意味ではファンであり書き込みを楽しみにしていた。それにしても、ほりこし氏、FUSHIKIZ氏どちらもなかなかの一刻者であり、いずれ衝突するのは避けられなかったようにも思う。
とはいえ、一方を盲目的に支持するというのも変な話で、私には分からない分野ではFUSHIKIZ氏もおかしなことを言っているのかもしれないので(というか専門的すぎて分からない話題が多い)、ある分野・ジャンルで真っ当なことを言っているからといって、他の事柄についてもまっとうであるとは限らない。
もしそうすれば、ある種の「政治」のにおいがしてくる。
私の学生時代の経験では、「学費値上げに反対」=「それを主張している派閥の支持者ですよね」=「成田闘争(古いですな)に賛同」という飛躍の激しい論法があって、それ以来、注意するようになった。
また「ソクラテスの弁明」では、ある分野で優れているからといって「ありとあらゆる重要事項も知っている」わけではないという話がある。
ソクラテスの弁明(永江良一:訳)

ほりこし氏はこれまで通り、またFUSHIKIZ氏も自分が書く場をもっているので、それぞれに思うところを(他者の批判・批評も受け入れながら)書いていってほしいものです。両雄並び立たずといえば言いすぎか。


ところで、プリウスというのは車の形をしているが、実はすでに似て非なるものになっているのではないか。機構的には既存の技術の組み合わせなのだろうが、統合されると、いわゆる「自動車」とは違うものなのかもしれない。それに気づいた人はプリウスを(自動車としてではなく?)評価し、そうでない人は自動車のうちには入らないと評価するのであろうか。

以下蛇足です。
自動車も、人間の身体機能の拡張のひとつであって、「より早く走る」「より遠くに移動する」等という目的があるのだろう。
ところで、自動車(というか原動機つきのもの一般)に求める身体機能の拡張の行き着く先には、ある種の全能感があるように思われる。だから、実際にはオーバースペックというか、ほとんど使うこともない最高出力を持ったエンジンを積んだりするのだろう。自分の肉体では持ち得ないパワーを、外部のエンジンに仮託するというか。
私が自動車が苦手だな、と思う理由は、あのパワーをコントロールすることが出来るのかという恐れをいつも感じるからで、田舎にいて必要に応じて運転していたらいずれ慣れたろうが、たまにしか運転しないとどうしても違和感と恐れが残る。早とちりで注意力がなく、自制心が薄い性格であることを自覚しているので、運転すべきではないだろうと思っている(うちに20年くらいたってしまった、もう運転できないと思うw)。
プリウスはまず省エネ性能が売り物であるらしく、そのうえで「より遠くまで走る」、次に燃費との兼ね合いの範囲内で「より早く走る」という優先順位なのではなかろうか。そうなると、全能感を感じながら運転するという楽しみが望めないプリウスで、運転を楽しむとしたら、燃費をいかに下げるか(安く、遠く)というところになるのではないかと思う。
そのへんが、これまでの自動車を愛する人との齟齬になっているのかな、ナンツッテナ。
さらに言えば、自転車は身体機能の拡張とその制御のバランスがちょうど良いのかもしれない。
などとペーパードライバーが卑劣にも書き逃げしてみました。

創造的?誤読

先日、タブッキの追悼文を書いていたときに、自分の誤読をひとつの材料にして文章をこさえた。
じつはこのとき、今道友信先生とやりとり(といえるか心もとないが)を思い出していた。

今道先生はいまは体調の関係でご自宅で執筆の日々を過ごされている。それ以前は、中央公論社の古典読書セミナーを主宰されていて、ときどき参加させていただいた。
ある回のとき、先生はこういうことを話された(以下、大雑把です)。

美について考えるとき、このように考えることができる。

           犠牲→人格美
          /
       自由→藝術美
      /―効果→技術美
   必然→自然美
  /
雑多な感覚所与

ところで藝術美は、本来見ただけで分かるはずであるが、やはり学ばなければ分からない美もある。例えばキュビズムをはじめて見た人はなかなか分からないが、説明を受ければ(=理性的にとらえなおせば)その良さが分かる。またそのような美に接することによって、ものの見え方が変わる場合もある。例えば、昔「25時」(著者コンスタン・ヴィルジル・ゲオルギュ)という小説が評判になったが、そのなかに、ナチスの強制収容所に連行される際、トラックにむちゃくちゃに詰め込まれて、手や足があっちこっちから飛び出てキュビズムの絵のようであった、という文章があった…云々。

という話であった。私はその「25時」という小説が気になり、図書館で取り寄せて(けっこう古い本でした)読んでみたが、「キュビズムの絵のよう」という表現はなかった。

その次の回の始まる前に、私はよせばいいのに、この小説にはそのような表現はなかったようですよと言って、該当箇所のコピーを渡した。先生はそのとき何も言わなかったが、セミナーが始まると、
「これから人格美の例として、私の受けた感動をもとにして、記憶だけでホメロスによるイーリアス中の、アキレウスについての場面を話したいと思います」と言って、語りだした。
「ギリシャのアメガムノンの振る舞いに怒り、アキレウスはテントに引きこもる。しかし、友人パトロクロスが敵の総大将へクトールに負けてしまう。
アキレウスとパトロクロスは乳兄弟で親友であった。アキレウスは怒り、へクトールを倒した。そして戦車に死骸をくくりつけ走り回った。死体がぼろぼろになった。へクトールの父・徳に優れた人物であるプリアモスが、夜一人でアキレウスの陣営を訪ねた。
「私はプリアモスだ」「ご老人、どうぞ中へ。あなたの息子を殺したのだから、さぞかし憎かろう」「戦いだから、どちらか一方しか生き残れないのは仕方がない。しかし正式の葬式を出してやりたい。二三日、戦いを休んで、子を葬りたいが、亡骸をいただけないか」(じつはへクトールの首を取って、アガメムノンのところへ行けば大功績であった)。「貴殿は、誇りを知る武将だと思って、このようにやってきた。たとえ一瞬でもいいから国民とともに弔いたい」「私はパトロクロスが討たれた以上、戦わないわけにはいかなかった。亡骸はお返ししよう。戦いを10日止めて、国葬の礼を尽くされるがよかろう。責任を持ってそうするので、あなたもそれを守ってもらいたい。ところで、戻るにあたり、誰か人をつけようか」「敵陣には覚悟の上でやってきた。敗将に従者はいらない」
アキレウスは、プリアモスが帰っていくのを見守った。不心得者がプリアモスを討たないように。」
そしてこう付け加えられた。
「今のホメロスの詩は、正確ではないが、かつて受けた感動をもとにその場面を想像して語ったものです。想像力で思い出せば、かつての英雄たちのいきいきとした姿を思い浮かべることができる」。
これは、私の浅薄な行為に対しての先生のある種の解答だったようにも思うが、この件について直接はお話ししなかったので定かではない(けれど、私の心の中ではそうなっている)。

そういえば、角川書店版の坂口安吾「堕落論」には面白い註がついていて、安吾は記憶だけで書いているので、引き合いに出している事柄や物語などは、実際とはかなり違うものが多い、等と書いてあった。けれども、安吾のなかではそのような記憶であったのだろうし、もし正確を期すために調べ物をしながら書いていたのでは、あの勢いは生まれなかったろうと思う。ちなみにいまでも「堕落論」や「不良少年とキリスト」「ぐうたら戦記」等を読み返している。元気が出ます。

また、フランスの実存主義者、サルトルあたりもカフェで文章を書いていたので、けっこう記憶違いが多いらしい(サルトルは読む気がしなくて、よくわかりません)。

いまでこそ、ネットで検索しながら、事実に基づいた文章が書けるだろう。でも、記憶が自分の頭の中で醸成され形が変わっていくほうが、どれだけ価値があるか分からない。正確さなら検索すれば満たせる。しかし新たな想像力をもって創造的誤読をし、なんらかの新たな価値を生み出せるなら、そちらのほうがいいのではなかろうか。思えば今道先生が25時という小説で描いたイメージは、ピカソの戦争画に通ずるところがあって、それはそれで間違ってないようにも思う。

思い込みが強くて、記憶力が弱い私は、このように思っていたりするのです。

昼の桜、夜の桜

フリッカー現象というのがあって、蛍光灯が古くなったりして激しく点滅したりすると、あまりに目がちかちかして頭痛がしたり気分が悪くなったりする。
この現象、桜の花を見ているときに似ていないだろうか。
桜の小さな花びらが決して弱くはない春風で細かく震えていたりすると、目がちかちかしてくる。それをそのまま見ていると頭がぼうっとしてきて、だんだんいい気持になってくる。しまいには孫悟空ではないが頭のタガが外れそうになる。

できるだけ、目がちかちかしそうな写真を何枚か選んでみた(昼間の写真)。

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ベス単レンズについて

ときどき、ベス単レンズという検索ワードがあるので、ちょっと書いてみます。
私の場合は、ヴェスト判コダックの出物がなかったので、小西六のパーレットを使用しました。
このへんご参照のほど。

では写真に解説を付けて。

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これは絞り開放の場合。ちょっとピンぼけ(笑。
たしか、rokuoh-shaと書いてある枠のネジ二本を外すと、絞りが触れるようになる。買ったものは絞りが開放にならなかったので、少しいじっているうちに開放できるようになった。でも再現性がないので、ネジは外しません。絞り開放になると、レンズ外側の黒いリングが、絞り8?くらいの口径になっていたはずなので、リーマーで穴を拡げた記憶がある。そのせいかちょっと歪みが残っているような。


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絞りが生きているので、一番絞るとこうなります。絞り8くらいか?ちゃんと計測すればいいのだが、ほとんど絞らないので意味がない。


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加工したレンズ部分をM42のボディーキャップに穴をあけて固定する。


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これをborgのヘリコイドにつけてマウントを選択する。私の場合はEOSです。

作例写真があるといいのだが、今データでは手持ちがない。ピントを合わせるのがけっこう難しい。絞ってピントを合わせると楽だが、焦点移動とかどうなんだろうか。おおよそ75ミリくらいの焦点距離です。ほんとうは645で使いたいところですが、ちょっと工作費が足りない。


【追記2012.10月】
ときおり「ベス単レンズ」キーワードでアクセスする方がおられるので、作例写真を貼ってみます。
しかし下手だね。ソフトフォーカスは難しい。
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タブッキ「レクイエム」風のレクイエム

ここに来れば、あなたに会えると思っていましたよ。

そうだね、と彼は言った。ここは誰にでも開かれている場所だからね。まあ掛けたまえ。

私はあなたの作品のそれほど熱心な読者ではないかもしれませんが、それでも、あなたの小説を読んだおかげでリスボンまで行きましたよ。

そう言ってもらえるとうれしいね。それでリスボンはどうだったかね。

私はまず美術館に行きました。「緑の窓の夢」というカクテルを飲むためです。

ほう、そうかい。で、どうだった? 彼はいたずらっぽい目をしながら言った。

あなたはとんだくわせものですね。いや、むしろあなたの虚構の毒にやられたのかもしれない。私は美術館に入って、まず案内図を見ました。barはあるだろうか。しかし案内板には部屋ごとの展示について書いてあるだけで、くわしいことは分かりませんでした。私は日本人である以上、やはり最初に南蛮屏風を見に来ました。いや、そうではないな。入口のそばにあるから行っただけで、ほんとうは「聖アントニウスの誘惑」を見たいと思ったのです。ボスの作品はすばらしかったが、そこには細部を拡大して描く複写画家はいませんでした。これはまあいい。私は妻に言いました(夏休みで妻と旅行中だったのです)。どこかに洒落たbarがあるはずだ、そこで少し休もう。
飛行機を乗り継ぎリスボンに着いたばかりで妻は疲れていたのです。私は、妻を椅子に座らせてレストランに行ってみました。そこには休暇中のアメリカ人学生がたくさんいました。むしろ学生食堂風でした。ここではカクテルは出ない。私はそう思って、他の階を見てまわりました。この美術館はそれほど大きいものではありません。私はようやく、あなたの虚構を真に受けてしまったらしいことに気付きました。

君はもうちょっと注意深く小説を読むべきだったね。他の料理も、現実にあるものと虚構のものが同じように書かれているだろう。それはポルトガル語からイタリア語への訳注に出ていたはずだが。

ええ、おっしゃるとおりです。そして、私は妻になじられました。だから小説好きは駄目なのだと。妻は、ヴェンダース監督の「リスボン物語」を見たので、私のリスボン旅行に賛成したのです。妻にいわせれば、文字による虚構よりも映像による虚構のほうが「罪」が少ないということです。この「罪」という意味は私にはまだ分かりませんが。

例え妻であっても女性は永遠の謎だね。でも、君たちのけんかの原因になったのだったら申し訳なく思う。

いや、そんなことはありません。彼女は「リスボン物語」の舞台になった町、とくに教会に行ければそれでいいといっていましたので、けっして気を悪くしたわけではないのです。




ところで、私はあなたのあまりよい読者ではない、と言いましたね。そのことを話したいと思うのです。

それは、いわゆる日本風の言い回しだろうか。わざわざ来てくれたわりには失礼な言い方かもしれないね。

そういうつもりはないのです。
つまりこうなのです。私は「レクイエム」のビリヤードのシーンが好きで、人と話をするとき、よく取り上げていました。私はあなたが亡くなったことを知って追悼の意をもってこの小説を改めて読みました。そしてアレンテージョ会館で主人公がビリヤードをする場面で驚きました。わたしのなかでこのシーンは、こうなっています。
勝負相手のボーイ長が最初に突いた球筋が巧妙で、次の球の突き方は非常に難しいものとなっている。主人公は追いつめられており、勝負に勝つためには、盤面に散らばった球をひとつの脈絡あるものとしてとらえなおし、次の球筋を見いださなければならない。それはこれまで体験してきた様々なこと、自分にとっては筋道があるのだが説明しにくいこと―それは他人から見れば単に脈絡がない羅列にすぎない―を貫く、見えざる道筋を発見することと同じで、それができてはじめて主人公は、自分の人生を肯定できるし、その後のことに進める。そして主人公は奇跡的に成功する。
でも作中で主人公がプレイするのはおそらく四つ球です。アメリカ風の球の数が多いゲームは粋ではないというセリフがある。しかし私の思い描いていたゲームはよく考えるとナインボールです。そして私は過去に重点を置いて考えましたが、主人公はこの困難なゲームを乗り越えることが、イザベラに会うという困難を克服すること、つまりこれから先のことと重ねられている。だから、私はまったく誤読していて、あなたの作品を好き勝手に改変して、じぶんの話をしていたにすぎないのです。いったいどこを読んでこうなったのでしょうか。

君の誤読も面白いといえばいえる。でもそれはもう私の小説ではないね。

だから、もし良かったらこう思ってください。私はあなたの作品世界を自分なりに読み、さらにいえば生きた。その証拠に、あなたの小説が私の鼻面をつかんでリスボンまで連れていったのです。そして私なりの別の作品が、もう一つ出来てしまったと。




それにしてもリスボンというのは首都というには少しさびしい町ですね。なぜ、あなたはイタリアから移ったのでしょうか。あなたが教師をしていたシエナもよい町でしたのに。じつは、リスボンに行く前にシエナに寄ってきたのです。カンポ広場のそばにうまい魚料理の店がありました。ということは、私はそれほどわるい読者ではないようですね。

リスボンに移った理由は、もちろんペソアに魅かれたからだ。でも、それだけではない。
最後のファシストであるサラザール政権は、1945年以降も続いた。サラザールの最後の数年間は小説よりも奇妙なものであった。ちょっと小説にしたいほどでもある。その間の植民地戦争で、ポルトガルは1970年代になってやっと戦後を迎えたようなものだった。私は1943年の生まれだ。戦後の風景が幼いころの記憶と重なったという部分もある。また、サピア・ウォーフの学説を知っているだろう。

ええ。使う言語によって、ものの考え方は変わりえるという説ですね。

簡単すぎる要約だが、まあそういうことだ。私の書きたいものはイタリア語ではなく、ポルトガル語が一番ふさわしいことが分かったからね。では、私が書きたいものとはなんだろうか。社会性が強い作風だといわれることもあり、それはたしかなのだが、それにもまして、いま、ここにないものを愛惜するという感情が強いらしい。それを書くための言葉としてふさわしいのがポルトガル語だった。

「いま、ここにないものを愛惜する」という言葉がありましたね。そのことと、あなたの作品のなかにある鎮魂の気配は関係があるのでしょうか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは読者が決めることだよ。




ところで君は日本のどこの出身かね。無理だとは思うが、消息を知りたい人がいるんだ。

私もその話をしようと思ってここに来たのです。私の故郷は日本の東北部です。去年の地震では大きな被害があったところです。幸い身内に被害はありませんでしたが。

そうかい。大変な経験だったろう、どういう言葉を言うべきか私には分からない。で、私に知らせたいことってなんだろう。

あなたの「レクイエム」の翻訳者がどこに住んでいるかご存知ですか。

スズキさんのことかね。彼は日本の北部センダイに暮らしていると聞いたことがあったので、地震に関係があったのか心配だったのだ。

そうです。スズキ氏は東北地方の仙台という町に住んでいます。この町も、とくに海沿いの地域は津波で壊滅的な被害を受けました。彼は内陸部に住んでいたので無事でした。
しかし、この町は、電気、ガス、水道がしばらく途絶え、復旧するまで時間がかかったそうです。私の知人がたまたま彼を知っていので、間接的に彼が無事であることが分かりました。そのことを伝えたいというのが、今回ここに来た理由の一つでした。

そうか彼は無事か。ほんとうに良かった。
君はリスボンの大地震について知っているだろう。1755年11月、リスボンは直下型の地震に襲われた。母なるテージョ川は逆流し町を襲った。火災は都市を焼き尽くすまで6日間燃え続け、7日目安息日を迎えたかのようにやっと火が収まった。そして私はイタリア人だ。地震の怖さは知っているつもりだよ。
当時、この地震によって知識人は深刻な影響を受けた。ひとつには創造主である神は必ずしも人間の側に立つものではないこと。もうひとつは、やはり人間は自然には太刀打ちできないということ。たぶん、今回の地震も、それまでの世界を支えていた思想がもう通用しないことを意味するだろう。ただ、それについて言い表す言葉はまだ生まれていない。
そして原発の爆発事故。私は黙示録の世界が出現したと思っている。これは世界史に残る事件だ。想像力は、知っている人がそこに居ることによって、はじめて実際に活動しはじめる。スズキ氏との関係が紐帯となり、今回の地震と原発事故について考えをまとめたいと思った。ただ私にはこのことについて十分に考え、書く時間はもうなかった。




ところで「フェルナンド・ペソア最後の三日間」という作品がありますね。あれは美しい作品だと思います。私もあなたの最後の三日間について考えてみましたが、なんだかコメディになってしまいましたよ。いいや、コメディだと三日間は長すぎる、「最後の三十分」でしょうか。

それはちょっと聞いてみたいな。私は、教会に響き渡る荘厳な音楽よりも、俗っぽい小唄端唄を好むほうだから。

そういってもらえるとうれしいな。あなたはマルクス兄弟というコメディアンを知っていますか。

知っているとも。私の幼いころは、イタリアでも知らぬ人がいないくらいの人気があった。

では「オペラは踊る A Night at the Opera」という映画をご存知ですか。

いや、どうだったろうか。詳しくは覚えていない。

この映画のなかで有名なシーンがあるのですが、兄弟がもぐりこんだ客船の船室に、いろいろな人がやってきてだんだんぎゅう詰めになってくる。最後に女性が船室のドアを開けると、なかから全員が雪崩をうって溢れ出すというものです。
同じように、あなたが最後を過ごす病室をペソアとその分身である詩人たちが訪れる。でも、お互いに話し込んで誰も帰ろうとしない。その会話は文学的でもあり、俗っぽくもある。そのうちにあなたの作品中の人物も集まりだす。「夢のなかの夢」にでてくるラブレーやランボーまで現れて議論する。マヤコフスキーとチェホフが人妻との報われぬ恋について話し合ったり、フロイトはペソアの精神分析をしようとして、しかし寝椅子がないので、ペソアをあなたのベッドに割り込ませようとする。タブッキさん、死の床についているときに恐縮ですが、少しベッドを詰めてもらえませんか、と申し訳なさそうに聞いてくるフロイト。なにしろペソア/Pessoa(ポルトガル語のperson)のpersonaを診ようとするのでややこしい話になる。でも、みんなペソアの分身であり、あなたの創造した人物でもある。あなたは拒むことはできない。だんだん病室は人でいっぱいになってくる。そして最後に「煙草屋」が現れる。すると水兵姿のあなたの父が煙草を買おうとする。あなたは若き日の父にこう言います。父さん、あなたは咽頭癌で死ぬことになるんだから、煙草なんてやめてください。そういって無理に父から煙草をひったくろうとするのをきっかけに、人混みが崩れて全員病室からこぼれてしまう。そして、あなたはご臨終。ペソアとその分身、登場人物に囲まれながら、ともに地上から去っていく。

いやはや、とんでもない話だな。怒るべきか笑うべきか。ひとつ質問があるがいいかい。

ふざけすぎましたかね、なんでもどうぞ。

このあと、この連中はどこに行くのだろうか。天国かそれとも地獄か、さあどっちだろう。

この人たちは、やはり虚構という毒に犯されているので、まっすぐ天国に行くことはできないでしょう。ではどこに行くか。この場面はcomedyでもありますが、文学的にはdivine(聖なるもの)であるとも感じられます。the Divine Comedyといえばダンテの「神曲」のことですね。だからまずは地獄門から入って、でもそれほどの罪は犯していないからすぐに煉獄に行くのでしょう。そしてさまざまな遍歴を繰り返すのです。それにあなたは旅が好きだから、苦ではないでしょう?
そして、たぶん500年くらい後の文学史には、こう書かれています。
・アントニオ・タブッキ。20世紀のポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの「異名」のひとつ。散文小説を書く際に用いられた。社会性と抒情性を兼ね備えた作風で知られる。代表作「レクイエム」等。

ほう、ちょっとおもしろいね。いったいどうしてこんな奇妙なことを考えたのかね。

それはあなたの「こわれた小説」もしくは「できそこないの物語、決着のつかない物語」を読んできたから、私の頭もこわれたのです。つまり私なりにあなたの小説を生きるということはこういうことなのです。あなたがペソアの作品を生きたように。

そうかい。ありがとう。君の設定では、我らはいつになったら天上界に行けるのか分からないように思うのだが、文学史の話は少しおもしろかった。なにか救いがあるようで、私の趣味にもあう。作中の登場人物にも愛情をかけるのが私の主義だからね。
ところで、そろそろ夜が明けそうだ。君も帰る時間じゃないのかい。





カーテンを開けるとまだ桜は散っていなかった。ときは春、今年は満開になってから寒さがもどったので、花が長持ちしているようだ。別れ際に、さようならと言うべきだったか、それとも、おやすみなさいがふさわしかったか。でも、私は今はこういいたい。みなさん、おはよう。そして、古いカメラEOS-RTに、今年で生産中止になるフィルム「リアラ」を詰めて出かけよう。
行く春をリアラで撮りて惜しみおり。タブッキ先生、さようなら。


・アントニオ・タブッキ Antonio Tabucchi、1943年9月23日 - 2012年3月25日


※以下、タブッキに関する書き込み
・アントニオ・タブッキが亡くなった。
・聖アントニウスの火、もしくはタブッキはミスったかw
・アントニオ・タブッキ「レクイエム」

どら焼きはなぜ電気猫の夢に出るか?

先日、義父の法要で家人が郷里の富山県に帰っていた。その土産というか引き出物として、大量のドラ焼きを持たされて帰ってきた。
包みから出すと、テーブルいっぱいに広がるくらいの量がある。
これを見ていて、なんだかドラえもんの一場面を思い出した。
ドラ焼きというのは、けっこう甘みが強くて、それほど沢山は食べられないものである。よく考えるとドラえもんがドラ焼きを山盛りにして食べているというのは、かなり無理があるし、子供でもそううらやましがるとは思えない。

ところで、ドラえもんの作者である藤子不二雄氏(藤本弘と安孫子素雄)は二人とも富山県高岡市近辺の出身である。安孫子氏は氷見だが、すぐ電車で行けるし、渡し船もあった。
家人の実家も高岡の近くである。ドラえもんのドラ焼き好きという起源は、その地域性にあるのではないかと考えた(けど、べつに深い意味はない)。
有力な傍証写真


早稲田界隈の桜

去年は桜が咲いても、自分がなにを見ているのか、よくわからなかった。
今年は、なんだか何かが終ってしまったあとのような気持ちで桜を見ている。
桜自体はなにも変わっていないはずだが、自分が変わると見えかたもずいぶん違うものだな。
なんか、芭蕉の「さまざまの事思ひ出す桜かな」という句を思い出した。
とはいえ、満開の花を見ると、自然に顔がほころびます。

江戸川橋、箱根山、神田川芭蕉庵と歩きました。
毎回思うが、桜の撮影は難しい。

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・3枚目の写真は、箱根山にある旧陸軍戸山学校時代の将校集会所の跡を教会になおした建物です。今は幼稚園かな。
・4、5、6枚目は神田川の芭蕉庵。しだれ桜がよい。以前はもう一本あったが伐ったようだ。咲ききらぬうちがいいように思う。花のもと 美人を一人立たせたし。
・芭蕉庵では甘酒が飲める。甘すぎなくてちょうどよい。江戸川公園の露天の甘酒は生姜がきいて、これもよい。
・道行く人で、フィルムカメラを使う人はほとんどいないが、何人か、しぶいフィルムカメラをお使いの人を見かけた。マミヤRZ(重いよね 箱根山)、キヤノネット(旧型の大きいほう 神田川沿い)、オリンパスμ(神田川沿い)、ニコンF6(神田川沿い)。
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