eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2011-11

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

11月20日の空模様

この日は午後から一天にわかにかき曇り、あまりにおどろおどろしい雲のようすがすこし話題になったりした。
雲の写真といえば、スティーグリッツの「等価物」"Alfred Stieglitz, Equivalent"シリーズを思い出す。なにと等価であるか、それは撮影者の内面なのだろう。http://www.geh.org/fm/stieglitz/htmlsrc/stieglitz_idx00001.html#74:0052:0004 ここのeqivalentを参照のこと。
私としては、ダイナミックな雲の動きに魅せられた。

cloud01.jpg

cloud02.jpg

cloud03.jpg

cloud04.jpg

cloud05.jpg

cloud06.jpg

cloud07.jpg

cloud08.jpg

cloud09.jpg

cloud10.jpg

cloud11.jpg

cloud12.jpg

cloud13.jpg

cloud14.jpg

cloud15.jpg

cloud16.jpg
スポンサーサイト

先日、ハーバード大を卒業した人に聞いた話

先日、ハーバード大を卒業した人に聞いた話。ちょっとおもしろいので書いてみる。ただし真偽不明につき、ややこしいことを言われても困りまするw
・テレビでも人気のマイケル・サンデル先生の白熱教室。正義論を扱ったりしている。ハーバード大でも名物授業で履修する人は多いが、2期目?をとる人は少ない。テレビでは上手に撮影しているので分からないが、学生の半分は寝ていて、後の半分はfacebookで遊んでいる。ただし、熱心な人が何人かいて、適当に散らばって座っているから、その人たちが質問すると、あたかもみんな熱心に聴講しているかのように見えるとのこと。ほんとかね?
・ハーバード大の学食はまずい。理由はベジタリアンの発言力が強くて、手間暇かけて、まずいものを作っているという印象。ちなみに、この話をしてくれた人は痩せ型で、いわゆるアメリカ風ジャンクフードをよしとする人ではないので、一般的な意味でまずいらしい。
・やはり、ハーバード大の学生は裕福な層が多い。だから、差別問題等に敏感ではあるが、実体の伴ったものではない。例えば移民問題について、どんどん受け入れるべきという人が暮らす環境には、問題になっているような貧しい移民、政治的難民などはいない。正直に言うと(というかアメリカ国内では絶対に言えないことでもあるが)、郷里の町を歩いていて、むこうから移民の集団が歩いてくると、やはり自然と身構える、警戒心がないとはいえない。しかし、移民賛成派の裕福な学生は、そのような町を歩くことはまずありえないので、理念的なままで終わってしまう、ということらしい。

まあ、建前も大事ですが、実態を知らないからこそきれいごとも言えるわけで、どこの国も同じようなものか。

某月某日

ようやく秋らしくなってきました。

20112001.jpg

20112002.jpg

20112003.jpg

20112004.jpg

20112005.jpg

20112006.jpg

20112007.jpg

20112008.jpg

2011112401.jpg

ニュースに相馬市という言葉がよく出るようになって

先日、新聞を読んでいたら、東京版の記事に「相双」という言葉が使われていて、ここはいったいどこなのかと、目を疑った。ちなみにこれは相馬市、旧原町市、相馬郡、双葉郡のあたりを指す言葉です。
で、今日の夜7時のニュースを見ていたら、ブータン国王夫妻が相馬を訪問。で、ニュースの最後には相馬高校の生徒が京都の清水寺に参った話で終わりだった。

311の震災以来、いろいろな人が相馬市に来てくれる。ありがたいこと至極なのだが、相馬市だから来るのではなく、原発に近いところで、しかも避難区域ではないから、来やすいのだろうと思う。
このようなニュースで取り上げられても、うれしいとはちょっと言えない。ありがたくもあるが、悲しくもある。

そういえば、前回行ってから一月くらいたった。今は選挙が始まって少々賑やからしい。近日中にまた行かないといけないな。

いろいろなお店

20111118a.jpg

20111118b.jpg 恵比寿 
二つとも好きな店です。入ることもないけど。

20111118c.jpg 江戸川橋

20111118d.jpg 雑司が谷
なんか新しい古書店が出来ていた。沼田元気は相変わらずの趣味人ぶり。

20111118e.jpg 護国寺

花が目についたので

町を歩くと、季節の花が目にはいってきた。

2011111801.jpg

2011111802.jpg

2011111803.jpg

2011112402.jpg


2011111804.jpg
帰ってみると、家のなかにも花がありました、とさ。

双葉郡の将来像

先日twitterに書いたことをまとめてみた。漱石は新聞連載というフォーマットを利用し、連載1回ごとのブロックを構築することにより、一種の建築的(構築的)文学作品を作った。それにあやかれるはずもないのだが、140字という制約を、文章と思考の1ブロックとして連続的に書いてみた。
ちなみに、今回の文章は、「戻らない」52% 福島大が双葉8町村の全世帯対象に調査等のニュースをみて、以前から考えていたことを整理してみた。
以下本文です。

まとまったことをblogに書こうかと思ったが、腰が痛くて考えがまとまらない。こういうときは思いつくままにつづるに限るということで、書いてみる。あとで良いとこだけまとめるか。さて、腰が痛いので精をつけたいので鰻が食いたい。近所で梅1400円也。
しかし古書店で今道友信先生「わが哲学を語る」を同じ値段で見つけた。どちらを選ぶべきか。ところで今道先生は「エコエチカ」にてアリストテレス的行為の三段論法について重大な指摘をしている。
アリストテレス的に考えれば、行為については、大前提(目的)→小前提(手段と選択)→結論(実行)と進むが、近代以降逆転が起こった。まず手段が先行し、それに合わせて目的が選定され、実行(行為)される。典型的例として原子力が挙げられる。
まず第2次大戦時、戦争に勝ちたい(大前提)→強力な武器として核爆弾(小前提)→広島長崎投下し日本敗戦(実行)。ここまでは古典的な発想である。さて、ここからが問題である。核分裂の強力なパワーを戦後どのように使うべきか。その答えが原子力発電所である。
整理すると、核分裂の強力なパワー(手段)が既にある(大前提)→それを何に使うか(目的・小前提)→発電所の建設(実行)となり、これまでの大前提と小前提が逆転したhttp://p.tl/XD9L。つまり、たまたま手に入れた力の使い道を考えたら発電くらいしかなかった。
たしかに原発では核燃料でお湯を沸かしているだけで、高価で危険な巨大薬缶のようなものだ。蒸気タービンを回すのなら石炭でもOK。そして単なる薬缶だから空焚きしたら底が割れる。福一原発事故は言ってみればそれだけの話。しかし、薬缶が壊れりゃ大やけど。やけどの治し方が分らない。
今年3月、薬缶から毒水と瘴気が漏れ出した(今もなお)。誰も掃除の仕方が分らないので、水を撒いて擦ってみた。これが除染。しかし、水と一緒に核物質は流れる。流れる先は太平洋。もしくは循環してまた福島の美しい山河に降り注ぐだろう。一体ここに住み続けられるだろうか。

さて、話を土地柄に変えてみる。福島県浜通り、原発が林立する双葉郡とはどういうところか。今手元にないが天明期、古川古松軒「東遊雑記」(東洋文庫)では、相馬あたりいろいろある。磐城に下がればもっとある。しかし中間の双葉あたりはとくに目立ったものはないと書いていたはず。
私が叔母の家(木戸)に行った時も、人影少ない農業中心の地域であった。そういえば海のそばだが、川で泳いだ。つまりあのあたり砂浜があまりなかったはず。ただし浪江町は港もあり特急も停まり賑わっていたが、それ以外は原発以外あまり話を聞かなかった。Wikipediaの記述も同じ傾向

さて原発事故以来、今に至って警戒区域解除、除染とともに帰郷という話が出ているが、それで良いはずがない。第一、事故はまだ収束していない。先日の2号機核分裂のニュース、あれは未だに人間が管理できていない証拠。事故も収まらないのに人を事故現場に戻す人非人がいるものか。
では、いつ戻れるのか。事故の収束を核燃料の取り出しと考えれば、最低30年。冷温停止としても本当に安定するのは数年かかるだろう。もし帰郷しても、時々核分裂やら再臨界するのなら、人が住む場所ではない。そうは言っても、先祖伝来の土地を守りたいという気持ちがあるはず。どうするか。
幸か不幸か、老人は細胞分裂が不活発なので、核物質の影響を受けにくい。一方、乳幼児~若い世代は影響を強く受ける。ということは年寄りは居住可、若い人は居住不可となるはずである。では、具体的にどういう生活になるのだろうか、その一案を書いてみる。
まず、若い人が集まって暮らすための場所が必要。いってみれば新双葉町(郡ではなく)の樹立、亡命政府みたいなもの。場所はどこか。できれば双葉郡のような海のそばで農業可能で、雪の降らない乾燥気味の土地だろうか。しかし、贅沢は言えまい、過疎の地域に集団入植するのだろうと思う。
これは江戸時代、天保の飢饉で人口激減後に北陸から禁を犯して入植者を集めたのと逆である。「虹のたつ峰をこえて」新開ゆり子http://p.tl/DXD1を思い出す。土地は全国にお願いするのが良いんだろうと思うが、できれば線量の低いところで、それほど遠くないところが良い。
土地の選定は今の私の手に余る。そこでは若い世代を中心に、双葉郡町村の伝統を語り継いで暮らすのだろう。そして若い世代が年老いたとき、つまり放射線の影響があまり出なくなったら郷里に戻ればいいのではないか。ちなみに、私は今東京だが、子育てが終わったら相馬に戻ることを考え始めた

そして、現在の双葉郡はどうなるか。まず最低限のインフラの復旧が必要。これは原発事故収束事業のためにも必要である。そして、双葉郡で死にたいという人たち(おそらく年輩の方)が暮らせるような体制を作る。これは東電と国の責任であり義務だろう。
具体的には生活物資の供給、電気・ガス・水道・通信網・交通・医療体制あたりだろうか。これらについては、原発収束作業のため人員・設備とある程度兼用できるのではないかと思う。例えば、収束作業者用の病院が今後できるだろうと思う(専門は放射線障害と外科精神科、循環器科かな?)。
土地に残った人はそこで医療を受ける。生活物資の供給も、収束の資材と一緒に運べばよい。ゴミは山に埋める(3月までそうやってたかな)。そして、徐々に帰ってくるだろうと思われる壮年後期・若い老人がその地域の運営をして、双葉郡を現地で存続させる。
ようは、無理に今の双葉郡に若い人を留めるべきではないということ。それは、若い人の将来を考えたら絶対に強いてはならないはずである。土地の伝統と歴史というものがある。しかし、それは将来があってこそ意味があるもの。人がいなくなった土地の歴史を語っても空しい。
過去の歴史は、未来につながるからこそ意味がある。未来がなければ歴史はそこで断ち切られ、無意味なものになる。いま、浜通りは、そのような危機にあるとも言える。天明天保の大飢饉以上の最大の危機であろう。あのときは二宮尊徳の教えを頼りにした。しかし、今は何があるか?
原発事故を収束し、そこで暮らせるようにする方法は、これから作るしかない。その方法は世界中の人に助けを求めるしかないが、時間がかかるだろう。その間どうするか、智恵を絞り、被害を出来るだけ少なくしながら、しかし暮らせる範囲(空間・時間)を広げるしかない。
しかし、いずれにせよ時間がかかる。その間に故郷は消滅するかもしれない。ではどうすればよいか、そこを中心に考えてみた。以上、思い付き中心で勝手なことを書いたが、不快に思われる方がおられるかと思う。その方には申し訳ないと先に謝っておきます。

ちなみに今道先生のご著書はまだ買っていない。頭を使う前に体調を整えるため、やっぱり鰻を食べようと決心して出かけたが、途中でなぜかラーメン屋に入ってしまって、それきり忘れてしまった。
でも、まだ本は売れてない。それも少しかなしい。

突然段ボール「ありきたりの進歩」リリースパーティー

というわけで、渋谷のライブハウスに行ってきました。今回もやっぱり道に迷ったw

最初の前座はskillkillsというバンドで、ドラム中心、ベースはダブっぽい。なんとなく初期のPILを思い出した。へんなブレイクと変拍子で、上手いバンドだけど、やたらと混沌としていて、なんとなくうたごころ(求めてないような気もするが)がないような気がした。お好きな方はいいんでないでしょうか。演奏が短くてよかった。耳が疲れる。
次は、石川浩司(パスカルズ、exたま)で、一目見るだけで、すぐあの人と分る。なんか手ぶらでステージに上がって、突段の蔦木俊二(GOJIO)さんのギターを手にとっておもむろに歌いだした。
歌いだしたとたん、別の世界が広がった。好きかといわれると微妙と答えるが、すごい音楽だと思う。「Only You」は普通に良い曲で、ちょっと泣けます。ちなみにチューニングは最初から最後までちょっと狂ってたけど気にしない様子だった。

いよいよ突然段ボールの出番。曲は「ありきたりの進歩」全曲だが、CDとはかなり曲順が違っていたように思う。セットリストは例によってよく覚えていない。誰か教えてください。
まずは「冒険王」から。音が出ると、skillkillsみたいな音圧感はなく、シンプルですっきりしている。ドラム(お父さんがGOJIOと同い年とのこと)はちょっと音量小さいかな(演奏するうちにのってきたのかちょうどよくなった)。松浦さんのGはいい音。ちょっとだったら掘られてもいいような気がした(嘘)。GOJIOは後の曲でエフェクターのバッテリー切れで電池交換していた。準備があまり良くないぞよ。Gの音はいつも通りかな。お二人ともアンプがローランドのジャズコーラスで、俺好みの音である。たしか80年代以降のキング・クリムゾンとかポリスも使っていた気がする。あのコーラスのかかり具合が、ギターの音を引き立たせるのです。80年代後半のギターバンドの音を思い出す(雰囲気はだいぶ違うけどthe FIXXとかね)。あのアンプ、歪ませた音もいいし、生っぽい音もいい。
ベースはいつも通りで、ドラムとのマッチングが良い。後半はドラムとベースが消えた(意識されなくなった)が、これはバンドの一体感があるとそうなるわけで、それそれのパートは聞き分けられるけど、それはあまり意味がなくて、全体として一つのバンドの音になっているところに意味がある状態。けっこう誉めています。
キーボードとコーラス(というかサイドのボーカルですな)は、このバンドにぴったりはまってる。「D」の曲だとまた違うかもしれないが、今回の曲調ではこれしかないというかんじ。
で、後半、ゲストでMAYAさんという方と、石川さんが入ってきた。MAYAさんは「らりーん、りらーん」のフレーズを作ったそうで、そこだけ見れば天才かもしれん。石川さんは「終電車」でボーカル、あと「病の底」とか何曲かでパーカッションとコーラスとみょうなダンスをやってました。
今回聞いていると、曲によっては、昔ENOがソロアルバムでバカっぽいような不思議なロックロールやってたような頃の趣があったりして、でもそれだけじゃない。「月は△」等ふつうにヒットしてもいような気がするが、気のせいか、たんなる贔屓しすぎか。
で、今回のライブも、CDの原曲にわりと忠実にやっていたわけだが、それだけじゃない瞬間があった。原発の話題にふれた後、イントロにちょっとインプロ的演奏が入った瞬間があって、それからの曲は、なんか凄味があるように感じた。
原曲通りにやるのもいいけど、ときどきインプロの暗黒面を噴出させると、楽曲のポップさが余計引き立つようにも思う。インプロ地獄と、楽曲としての演奏は切り分けているのかもしれないが。

アンコールは2回。最初は新曲2曲で、1曲目は「ありきたりの進歩」の延長上。もう1曲は311にレコーディング(リハーサルだったか)していたという曲で、ちょっとフォークロック?のようなかんじも一部あるが、これまでなかったような曲で新鮮だった。発売が待ち遠しい。
最後は「ホワイトマン」だったが、ベースがビールを飲みに行っていたので松浦さんがベースを弾いた。ベースがリードする曲なので、いい感じになっていますた。でもCANを越えたというのは言い過ぎというか方向が違うと思った。
ちなみにGOJIOは、演奏しているときは神々しいくらいだが(照明の関係か?)、しゃべると俗人ぽいのでMCは最小限にしたほうがいいと思う。

というわけで、今回も大満足のライブでした。それと同時に、やはり前回の吉祥寺ディスク・ユニオンの小じんまりした独特な空間での演奏も良いようにも思った。ライブハウスもいいのだけれど、それ以外に本屋とかギャラリーとか、いろんなところでライブをやったらどうだろうか。楽しくなると思うのだが。
さて、11月12日に深谷ロックフェスがあるのだが、深谷に行きたしと思へども、深谷はあまりにも遠し。せめてあたらしきCD(「ありきたり」のデモCD)を聞きて、気ままなる妄想にふけらん。
行ける人は行ってください。http://twinavi.jp/event/detail/2987
人気ブログランキングへ

 | HOME | 

MONTHLY

CATEGORIES

     

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

鰻犬堂

鰻犬堂

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。