eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2011-07

古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」について

ここにも少し書いたのだが、以下は先日twitterに書いたものをまとめなおしたものです。

昨日、先月の「新潮」7月号を買って古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」を読了。たまたま、集英社「すばる」8月号の表紙に『「3・11」と「その後」の小説』(陣野俊史)という見出しをみつけて、その書評を読んでみた。ちなみに陣野氏の書評自体も良いです。
この書評で紹介されていた「馬たちよ、それでも光は無垢で」のあらすじを見て、初めて古川の文を読まねばと思い、新宿まで先月号を探しに行ったのだった(自宅の近くでは先月号の「新潮」は返品済みなので)。わざわざ探してでも読む価値がある「小説」だった。

なぜ、小説に「」(かぎかっこ)をつけているのかといえば、古川の「馬たちよ、…」は小説と、そうでないものの危うい境界線上にあるからだ。しかしやはり小説である、というか積極的な意味で小説でしかあり得ない。
内容的には、(週刊新潮ではむしろ原発擁護的言辞を弄していたあの)新潮社の編集者と、福島県中通り出身の作者が、地震と原発事故の被災地を訪れるという、一種のロードムービー的ドキュメンタリーの趣きがありながら、ある瞬間で小説に変異している(このへんは陣野氏の書評に詳しい)。その瞬間の作者のためらいが真摯であり、美しいとも思う。
※ちなみに新潮社内も、原発についていろいろ立場があるのだろう。新潮45も擁護的な号とそうでない号があったりする。

小説家が真剣に文章に向き合えば、その文章はやはり小説になるであろう。例えばもしそれが随筆になってしまうのであれば、それは随筆家になるのではないかと思う。そういう意味では、ドキュメンタリー的に書き起こされた文章が最終的に小説になっているのは、古川氏が小説家以外のなにものでもないことを示していると思う。
詳細についてはここには書かないが、この「馬たちよ、…」は、とにかく相馬出身の俺には見逃せない小説であった。読むべきものに出会ったというかんじである。

ところでひとつだけ言いたいことがある。
著者は、中世以来、関東北部‐いまの千葉県あたりから城を作っては移転を繰り返した相馬氏の歴史にからめて、原発をあらたな「築城史」に加えているが、たぶんそうではない。
原発は、歴史的に見ればむしろ田村麻呂的な「侵略者側(都人)の作った新たな砦」であろう。相馬市付近に発電所計画が起こったとき、南相馬市、相馬市はかろうじて火力発電所(東北電力)によって対抗したとも言える。それは原発建設の経緯を見れば分かる。
簡単に言えば、貧しく人口も少ない土地で、人が日々の生活に追われているうちに物事が進んで、偉い人たちが「原発は安全でお金も地元に落としてくれる、大変にいいものだ」というのをそのまま信じ込んでしまっていたわけだ。
築城というからには、それを築く主体がある。相馬(と双葉だが、小説に合わせると相馬)側が主体となって積極的に原発を誘致したのであれば、「築城史」の末尾に書き込めなくもないが、そうではなかった。
原発を作った(誘致した)のは、いわき市出身(相馬や双葉郡ではないことに注意)の当時の木村守江知事と、伊達郡出身(福島県中通り、むしろ相馬藩の仇敵wである伊達)の木川田一隆東電社長、そして痴呆議員の偽黄門こと会津地方出身の渡部恒三議員らが主体である。彼らは中央(都)に電気という貢物を鄙から収奪する「貢ぎ取り」であったと考えられる。
歴史を千年ほどさかのぼれば、東北には阿弖流爲(あてるい)という首領がいたのだが、坂上田村麻呂に鎮圧された。その際に築かれたのが胆沢城等である。そして、中世に相馬氏も千葉から流れてきたわけだが(鎌倉から行方郡‐南相馬市近辺を所領として与えられた)、これも収奪者といえなくもない。歴史は繰り返すというべきか。その収奪者が土着化して小大名になり中世~近世まで生き延びたわけだが、今度はあらたな収奪者として東京電力が乗り込んできたわけである。
一方、相馬氏本家は廃藩置県後、今度は北海道に移住したので、歴史的にはたびたび流浪しているのだが、すたれることなく存続している。

古川氏には、このへんの事情も汲んでほしかった。やはり東京電力福島第一原子力発電所が、相馬氏の築城史の流れにあるように読めてしまうのは、勘弁してもらいたい。

と、ここまで長々書いたが、俺の方が誤読してはおるまいな。心配なので、また再読しようと思う。
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リコーGRD ご下賜

あろうことか、リコーの名機GRデジタルをご下賜賜り(読みにくいな)、さっそく使ってみました。
40mmテレコンはフレアが残念。でも全体にいい具合にできていました。

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東京のあちらこちらを

小石川近辺、まだ寒い頃だったかな。

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最後の写真はクリスマスの夜でした。

今年の相馬野馬追-1 2011

郷里を離れ、仕事をするようになってから、野馬追を見る機会はほとんどなかった。しかし、今年はどうしても見たいという気持ちが強くなり、仕事もあったのだが帰省することにした。

7月22日。昼過ぎの新幹線に乗車、福島駅にて下車。発車時刻30分ほど前に相馬行きのバス停に行くと長蛇の列であった(といってもその時点では40人ほど)。いつもはこれほど並ぶことはない。列の人の話を聞いていると、やはり野馬追のために帰省する人が多いらしい。バス到着、乗車してみるとバスは補助椅子まで満席だった。阿武隈山地を山越えし、線量の高い伊達市、相馬市玉野を通ってバスは進む。車中、おばさんのグループが、霊山は線量が高いそうだから息を停めていこうか、等と冗談ともつかぬ様子で話あっていた。
90分ほどで相馬市に到着、しかし乗客の半分は下車せず、やはり原町まで行く人が多いようだ。
さて、この日も野馬追関連行事がいくつかあった。中村神社境内で催された「総大将出陣祝いの宴」では、鉄砲隊(相馬中村藩古式砲術)、相馬流山踊り、相馬太鼓が披露されたそうで、姉が見たところでは、良いものだったという。バスの時間が合わず、見逃して残念なことをした。
この日はお祭りにあやかって刺身をとって夕食とした。港も壊滅状態で、原発事故による海洋汚染もあるが、魚屋(魚健)からは、思った以上のお刺身が届いた。

23日。以前母からは、出陣式の「相馬流山」は一度見たほうが良いといっていたので、
野馬追当日は朝から出動。
まず三の丸屋敷に向かった。ここは総大将である旧相馬中村藩主の相馬氏の方が控えている。お堀端の屋敷の前には、すでに甲冑を付けた武者たちが騎乗して控えていた。しばらくすると、邸内での行事が終わり、総大将が騎乗して出発した。それをみて、中村神社に移動した。中村神社の境内には幔幕が張られ、武者のための席がしつらえられていた。
やがて、武者たちがあらわれ、総大将が席について出陣式が始まった。震災死者への黙とうがあり、法螺貝が吹きならされた。しかし節がいつもと違う。あとでNHKのニュースを見ると、死者を弔うための「伏せ貝」というものだったという。そしてお歴々の挨拶、総大将である相馬行胤公の挨拶のとき、時々声が詰まっていた。後で聞くと涙がこぼれたからだったらしい。そして相馬流山斉唱。自然に目頭が熱くなった。


やがて行列が出発。今年は参加騎馬が少ないので、行列は短いものであった。しかし、沿道からは、拍手が送られていた。行く先々で拍手を送られる侍大将の相馬公が、控えめに頭を下げられるのを見て、偉ぶらぬ領主(シンボルとしてだが)をいただくことのありがたみを思った。
ちなみに、このようなことは時代錯誤と思われるかもしれないが、前に「二宮尊徳とグラミン銀行」に書いたように、モンテスキューの「政治的自由は(政治体制によるのではなく)穏和政体にしか見いだせない」という言葉に納得するところがあるので、自分ではおかしいとは思わない。
以下、その部分のみ抜粋。
(前略)モンテスキューの「法の精神」を読みました。そのなかで「政治的自由は穏和政体にしか見いだせない」とありました。モンテスキューによれば、一般的に民主制>共和制>君主制の順に、自由があるように思われている。つまり、さまざまな種類の政体があって、その種類のなかには自由な政体もあるというふうに思われがちであるが、間違っている。実際はその政体ごとにそれぞれの(それなりの)自由がある。しかし政治的自由は、権力が濫用されない穏和政体の中にしか存在しない、ということを言っております。そして「権力を持つものはすべて、それを濫用する傾向があることは、永遠の体験である」ということから、有名な三権分立論が出てくるわけです(後略)

さて、行列を追いかけながら見物していたら、白袴に羽織を着た徒歩きの人(鉄砲隊らしい)に、急に声を掛けられて驚いた。よく見ると父の件でお世話になった税理士さんであった。終了したのに請求されていない仕事があったので、はやく請求書を出してもらうよう何度か連絡を取っていたのだが、野馬追に参加していたとは知らなかった。それでは、いつもの仕事はなかなか手につかなかったからだろうと思った。
行列は宇田川を越え、原町方面に向かったので(実際には途中まで)、行列を追いかけるのはここまでにして、一度家に帰った。

朝食兼昼食をとり、喫茶店に行って一服。16時からの「お上がり」の行事を見に行った。まずは、宇田川町に行き、スーパーキクチ(震災直後も店を開け続け、食品を供給し続けた)の前で、行列を待った。小雨が降り始めた。午前中とは違い、沿道の見物客も少ないが、武者をねぎらう拍手は途切れることなく続いた。
行列の最後を追いかけて、中村神社に向かう。出陣式と同じ幔幕のなかで、帰ってきた武者たちが席に着き始めたが、ここで椿事が起きた。神主さん(いつも正月にお祓いをしてもらっている)が、既に総大将が席についているのに、まだやってこない武者がいるのに業を煮やして「総大将を待たせるな」と大きな声を出したのだ。にわかに人を呼ばう人、駆け出す人も現れて一瞬騒然としたが、神主さんはかなり聞こし召している風情もあり、一種のサービスというかパフォーマンスのようにも思えた(笑。
一同打ち揃い、法螺貝がひびき、口上が述べられ、最後に再び「相馬流山」斉唱がなされた。
それを聞きながら、今年は多少無理を野馬追を見に来てよかったと思った。


帰りに、広文堂書店で、鎌田正「大漢和辞典と我が九十年」(大修館書店)と、森鎮雄「戦国相馬三代記」(あぶくま企画出版)を購入。鎌田先生の本は、今年の2月ごろ双葉郡に住む叔母に貸したのだが、原発事故で避難したので、もう手元に戻らないと思い、買い直すことにした。

夜は「戦国相馬三代記」を読みながら寝た。

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7月15日、相馬に帰省

新幹線福島下車、空模様が怪しい
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相馬駅前通り
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中村神社
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墓石はまだ倒れていた。
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蓮池
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猫写真2

東京やら相馬市やら

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古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」にからめて

月遅れで「新潮」7月号を買って古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」を読んだ。異様な感銘があった。集英社「すばる」8月号、陣野俊史『「3・11」と「その後」の小説』という書評を読み(これも良い)、初めて古川の文を読んだのだった。
この作品について考えたことをおいおい書いていきたいが、まずは作中に出てくる中村神社と相馬神社にちなんだ写真をupしてみた。

※なお、こちらにこの作品に関する文章を書いてみました。

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相馬神社、天守閣跡の藤の花。

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作中に出ていたかもしれない白馬。震災後南相馬市の浜辺をさまよっていた馬だったか。

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中村神社、野馬追に参加する人が奉納した額。


以下、携帯電話のカメラで撮影したもの
作品中の「馬と猫は仲がいいらしい、云々」はこのあたりを見ていったのだろうな。子猫が多かった。
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中村神社
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松川浦

先日相馬に行ったとき、震災後初めて浜のほうに行ったが、ほとんど写真は撮れなかった。
自分のなかの何かが麻痺してしまって、あまり撮影できなかったのだろう。
現像する気もなくてほっといたが、気を取り直して現像してみた。撮影枚数が少なくてワラタ。

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細田、下がり松に向かう途中の原釜街道に漁船が打ち上げられていた。

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松川浦、海の中に家がある。なんでこうなったのか。

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中州のあたり、養殖のいかだの瓦礫か。

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大洲海岸が津波で決壊、遠くに外洋の白波が見える。

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観光市場のあと。

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311コスモ石油のデマメールは、本当にデマだったのか

311の震災の際、東京湾のコスモ石油から火災が出て、注意を促すデマメールが飛び交ったという。
俺には来なかったが、家人には来た。誰もこういうメールを送ってくれない俺ってちょっとさびしい…。
というのはさておいて、以下はその文をコピーしたものである。
「コスモ石油の勤務の方からです。できるだけ多くの方々に伝えてください。
工場勤務の方から情報。外出に注意して、肌を露出しないようにしてください!
コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降るので
外出の際は『傘』か『カッパ』などを持ち歩き、身体が雨に接触しないようにして下さい!!
コピペなどして皆さんに知らせてください!! 多くの人に回してください!! ご協力宜しくお願い致します。」

真偽はともかく、この対処法(外出注意、肌を露出しない、雨に濡れない)の項目自体は、放射能汚染に通ずる対応でもあり、心ある人がデマともとれるメールの形で、わざと拡散させたのではないか等と家人と話していた。
この内容に「煤煙で呼吸器が傷むのでイソジンガーグルでうがいせよ」と書いてくれれば完璧だった。
実際、3月15日には、東京にもピカ粉塵が降ってきたわけだし。

とか言っていたら、本日のニュースを見てぞっとした。
「東日本大震災で発生したコスモ石油千葉製油所(市原市)の液化石油ガス(LPG)タンク火災・爆発に伴い、隣接する劣化ウラン保管施設も延焼していたことが明らかになった。放射性物質の漏えいはなかったとしている」。
http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977
やっぱり地震当日のデマメール、あれはやはり単なるデマではなく、周辺住民に注意を喚起するために意図されていたものではないかと考えている。

まあ、妄想かもしれんが、「直ちに問題はない」「メルトダウンしてない」と言っていた官製デマよりは、実際には役立つ情報であったと思う。
もし仮にこのデマの通りに行動したとしても、得るところは多く、失うものはほとんどなかったと思う。
つまりは、公的情報とデマが内容においては等価ともいえるわけで、この状態が続けば、行政と国民のあいだのかぼそい信頼の紐帯が切れてしまうのではないかと危惧する。

松本復興大臣、辞意を表明したそうで。

松本復興大臣、辞めることにしたそうだ。
それにしても今回の件、ほんとうにいろいろと残念だ。
松本大臣、じつはアルバート・アイラーが好きだったようだ。このへん中上健次との関連も感じられたりする。
国会議員でアイラーが好きな人はそういなさそうで、こういうことがなかったら、ちょっと話がしてみたいと思っただろう。しかし、今はそうは思わない。
http://m-ryu.com/2008/09/ryus-4.html#more
今回の発言の背景には、瓦礫処理の件とか、宮城県の漁業権の問題とかあるそうだが、そういうこともあるだろう。しかし、テレビを見る限り、あの言い方はない。というか、公人として、人の面前で語るべき内容、言葉、態度ではない。
だから、そのへんの事情は、この件のフォローにはならない。
もし漁業権の問題で宮城県知事に言いたいことがあれば、むしろ普通のいい方で語り、県民を味方にすべきだろう。
また今後の復興には、被災者に我慢してもらうような場面も多々出てくる。しかし、被災地の人々とのあいだに信頼関係がなければそれもうまくいかない。そのための信頼関係を作る契機を自ら壊している。

松本大臣があのようなかたちで話をすれば、たとえ県知事に対して疑問を持つ人でも、むしろ県知事側に立つ。
つまり県知事と言えば、よくもわるくも県民の代表、それに対してあのような口を聞けば、県知事の背後にひかえている県民の気持ちは収まらなくなる。
そして、結局、松本大臣は謝罪した。確信があってそうしたのなら、謝るのはむしろおかしい。謝罪するくらいなら、最初から言わなければいいのだ。

この人のバックグラウンドはとくに知らなかったが、東北出身の俺としては、昔「橋のない川」を読んで、世の中には偉い人がいるものだなと感動したくらいで止まっているレベルである。
しかし、この人、本来、他人の痛みをよく知るはずの立場ではないか。そういう意味でも残念である。

現在は、原子力不沈空母を建造した中曽根風見鶏が、思わず自然エネルギーもいいよねと口走ったくらいの国難、むしろ敗戦のときである。
国土の一部が失われ(=使えなくなり)、戦勝国への賠償金同様に多額の金が消えていく。こういう時に、やる気がない、もしくは能力がない人が国民の代表として重要な地位に就いているのは、本当に残念なことであった。

そして、このごたごたで復旧、復興がまた遅れた。それが一番の問題である。

松本復興相の愚行

「拡散希望」と書いたことはないが、これは【拡散希望】。
311から、いろいろとずっと怒りが収まらないが、これには久しぶりに本気で腹が立った。
「松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発」(朝日)
http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY201107030246.html
・知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない(岩手県知事に対して)
・九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない(岩手県知事に対して)
・お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ(宮城県知事に対して)
実際の映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=VtUqWdbjnTk
さすがにやばいと思ったのか「しっかりやれ」といった後、「今のはオフレコだぞ、書いたらその社は終わりだから」といっている。
なんだこの馬鹿大臣は。人格としても最低である。恥を知るなら今日やめろ。

ちなみに3月に福島県知事に怒鳴られてたそうだ。
「知事怒り止まらず 顔色失う松本防災相 県災害対策本部」(福島民報)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/03/post_433.html

正真正銘、人間のクズだな。
明日のマスコミ各社の取り上げ方が気になる。

本日の読売新聞トップ「20年後の電気料金、原発撤退なら月2千円増」などと嬉しそうに言っておるが

本日の読売新聞トップ「20年後の電気料金、原発撤退なら月2千円増」。
日本学術会議の分科会(委員長=北沢宏一・科学技術振興機構理事長)からの試算だそうだ。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110703-OYT1T00003.htm
他紙はどうだろうか。朝日、日経を見ると一面では、取り上げられていない。サンケイはよくわからんが、net上で見る限り読売ほどの扱いではない。毎日も同様。
やはり、読売新聞だけが(非常に?)突出している。
なお、ネット上の記事では割愛されているが、安全対策、廃炉コスト、使用済み燃料の処理費用、事故時の影響については検討されていないようだ。
また、記事末尾に、賛成意見として日本エネルギー経済研究所・十市勉顧問、反対意見としては、NPO法人環境エネルギー政策研究所・飯田哲也所長がコメントを載せている。
※ちなみに、日本エネルギー経済研究所は、原発推進の総本山、経産省所轄で、理事長の豊田正和氏は、通商産業省OB。NPO法人環境エネルギー政策研究所の背景はよくわからんが、飯田哲也氏は「原子力ムラ」という言葉を使い出した人でもある。
関連記事としてhttp://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20110702ddm004070164000c.html

そこで、日本学術会議の北澤宏一氏で検索すると、こういう記事が出てくる。
http://scienceportal.jp/highlight/2011/110525.html
5月25日時点での記事であるが、このなかに「国内電力の3割を占める原子力発電を現在、市販されている再生可能エネルギーの中で最も高価な家庭用小型太陽電池ですべて置き替えたとして家庭の電気料金負担がどれだけ増えるか試算してみた。1世帯(2.65人)当たり、毎日、缶ジュース1本、130円の出費程度でしかない」とある。
この時点での計算では130×30日=3900円アップとなるが、「毎日、缶ジュース1本、130円の出費程度でしかない」と言っている。
その後計算し直したらしく、読売新聞の記事からすると、1800円ぐらい減額して毎月2121円アップとなる。これを北澤氏の言い方を真似ると「毎日71円の出費程度でしかない。ちなみに71円の商品は思いつかない」(「ちなみに」以下は蛇足w)となる。

正力―中曽根-ナベツネラインの読売原発路線は現在も生き続けている。いい加減、購読者は気付いてほしいと切に思う。

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