eeldogの鰻犬堂日乗(mankendo diary)

日々のよしなきことどもをつづります。 クリックすると写真が大きくなります。

2011-06

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相馬 1月ごろ

いまさらながらだが、冬の写真を。Horizon Perfektにて撮影。ポジからスキャンしたが、まだ発色がコントロールできてません。

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責任の問題

先日「ホロコーストを知らなかったという嘘」(現代書館)を読んだ。当然といえば当然なのだが、戦時中のドイツ国民は、ユダヤ人絶滅計画によって多くのユダヤ人が殺されていることを知っており、そしてナチスだけではなく自分たちもそれに加担していたことを十分に意識していた。しかし、戦後はこのことに口をつぐんで、悪いのはナチスであり、一般の国民に罪はないという態度で押し通してきた。
さらに興味深い指摘があるのだが、戦争後半になるとドイツ本国への爆撃が激化し、多くのドイツ市民が亡くなっているが、それは自分たちがホロコーストに加担したという許されざる罪に対する一種の罰として受け止められた。
※以下、110ページより抜粋。
(ドイツ国民が爆撃などによる)自身の苦しみに直面して、犠牲者であるという自己イメージの中に引きこもり、自身の良心のやましさ、または恥や罪の感情をも相殺の思惑によって紛らわすことは至極当然であった。
「ドイツは自らが犯したかもしれないすべての罪のために十分苦しんだ」ということが、1945年11月の西側連合諸国の報告中でドイツの知識人の間で広まった意見として強調されており、なかでも次のような発言が引用されていた。「強制収容所で死んだユダヤ人一人ひとりと引きかえに、多くのドイツ人が空爆で命を落とした」。

簡単に言えば、ホロコーストについては消極的もしくは積極的に加担したが、こっちも苦しんだからチャラにしてくれ、というわけだ。でもホロコーストの罪に対する罰として、空爆があったわけではない。自らの罪の重さに耐えられないので、すでに空爆で罰は受けたものとして、ホロコーストの件は終わらせてしまいたいということだろう。でも、終わらせていいと判断ができるのは、少なくともドイツ国民ではないだろう。

この図式、なんだか日本の市民レベルの戦争責任にも通ずるように思える。以前から疑問であったのだが、国防婦人会や在郷軍人会で偉そうにしていた人々は、戦後どのように責任をとったのだろうかと思っていた。しかし、「戦争中は私たちも苦労した」とか「軍部に騙された」とか「一億総懺悔」といってお茶を濁して、戦後は恥知らずにも知らん振りで普通に暮らしていたのだろうと思う。
まあ、でも一般市民はそのような程度のものだろう。自分だって、もしその状況にいたらすれば似たようなことをすぅるかもしれない。偉そうなことはいえない。

しかし注目すべきは、前述のドイツの場合「ドイツの知識人の間で広まった意見」として取り上げられていることである。社会を導くべき存在であろう知識人層が、このようなことでは困る。しかし「知識人」といわれる人士もこの程度のレベルであるのは、国、時代を問わず同じなのかもしれない。

今回の原発事故について、ある種の知識人たちは原発の無謬性(笑)を強調し、国民に虚偽を教え込み、事故後も一向に責任をとらない。そして、電気を大量消費してきたのは一般市民、国民であるというような論調で、いわば再びの「一億総懺悔」を強要して、自らの責任から逃れようとしている。
しかし、そうさせてはならない。国政レベルでは中曽根康弘を筆頭とする議員たち、それを操った歴代の通産省の官僚たち、県に誘致した県政レベルの政治家、そして当事者である電力会社の運営幹部とその関連団体(現場でがんばっている一般社員は、当然この中には入らない)、そして国民に虚偽を吹き込んだ学者、そのサポーターとしてのマスコミについては、具体的個人名を挙げて、その罪を問わねばならぬだろう。
それにしても膨大なリストになりそうで、「共同責任は無責任」というようなことを危惧している。

大西若人賛江

朝日新聞でしばらく前に編集委員になったようだが、美術関係の大西若人記者はひいきにしている。

さて、311の震災後、石巻市でお婆さんと孫が9日間家に閉じ込められながらも、無事救出されたというニュースがあった。そのとき、「将来は何になりたい?」と聞かれたお孫さんは「芸術家」と答えたという。
この件について大西記者は「大災害の中で芸術という言葉が語られたところに何かの光を感じた」(大意 記事のスクラップを忘れていたので、詳細は忘れた)と、このニュースからしばらくたってから書いていた記憶がある。

このせいもあったかどうかは分からぬが、最近は、昨年あたりよりも活発に書いているようにも見える。
記事が楽しみな方で、応援してます。

壁面

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今の心象風景のようなものかな。

NIkon F2, Canon T70, Nikon Mini

Petori ES Auto 作例

このカメラは、相馬市田町のカメラ屋さんが廃業するときに1000円で買ったもの。ジャンク気味であったが、手を入れたら復調した。発色のいいレンズだと思います
撮影場所は、相馬市、南相馬市、東京あちこち。

先日帰郷の際、このカメラ屋さんを通ったら、「貸し不動産」の看板が出ていた。ご主人は相馬を離れたのだろうか。たしか、観光ポスターの写真などは、この方が撮っていたと聞いた。街並みの写真もたくさんあると聞いているが、さて、どうなったか。

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ここまで相馬市

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南相馬市 原ノ町駅

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都内、四谷、新橋

今年の冬(カラー)

今年の正月のころ。もう、これまでのような屈託なく過ごせる正月は来ないのだろうな。
相馬のあたり、冬は乾燥して、空気が澄んでいる。写真日和が多い。
そして、唇が乾燥するので、よく割れて血がにじんだりした。

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Nikon Mini Canon T70/50/1.4, Tamron90/2.5

今年の冬

何もない郷里の町ですが、それで充分だった。震災前の日々に帰りたいです。

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Nikon F2 50/1.4 フジASA100
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